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仏教では性行為をどのように捉えているのでしょうか?

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性行為って、最も心と命に関することなのに、タブーだと真剣に議論しません。それゆえに性行為をした結果、その行為をした人たちの中には不幸になってしまう人もおり、その子どもが不幸になってしまう話も聞きます。

性行為に関する言葉として性欲があります。
食欲や睡眠欲と同様に、人にとって性欲は生きていくなかで避けられないものだと思います。
この三大欲求の中で、一番取り扱いが難しいものではないかと思います。例えるなら、車の運転と同じで、快適なものですが、一度コントロールを失うと、他人の心を傷つけ、深い悲しみに追い込んだり、命を失ったりしかねません。そのように考えると、闇雲に避ける話ではなく、成人し、自分の行動に責任を取らなければならない年齢になる前に、しっかり考えておく必要があると思うのです。
物事には、メリットやデメリット、リスクがあるはずで、それを理解した上で利用することが大事かと思います。心と命に関することなので、メリットやデメリットという言葉はふさわしくありませんが。
タブー視すれば、人によっては汚いものや穢れたものと捉える可能性もあります。違う見方をすれば、タブー視することで簡単にその行為に及ばないようにしていると捉えることができます。メリットやデメリットの判断ができない人に対しては「ダメなものはダメ!」でいいのかもしれませんが。

おそらく、基本は、「相手の立場に立って、将来起こりうることを見通し、相手が幸せになるように行動し、目の前の相手に誠心誠意対応する。そして、そのアフターケアをしっかりする。」
別にこれは、性行為に限らず、仕事においても、人間関係においても、人間が行う全ての行為に言えることだと思います。男女関係なく、全ての人に言えることなのではないかと考えています。
とはいえ、人は失敗するもの。仕事でも失敗します。そのあと、どう対応するかということが大事なのかなと思います。ニュースやワイドショーを見ると、そのように感じます。

このように考えていくと、性欲を抑えきれず、風俗に行くこともアリなのかなと思います。ただし、その際のリスクとデメリットもしっかり考慮すべきで、パートナーや子どもがいるなら、それがどのような影響を及ぼすのか考えるべきだとは思います。

私は風俗には通ったことはありませんし、性行為による大きな失敗はしたことはありませんが、問を立てました。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

問題を起こしてしまうようなその行為自体が問題

性行為がどうかよりも、それによって現実に様々な問題が起こているのですから、罪づくりな行為は性行為に限らず罪づくりな行為でしょう。
それでも今現実に、望まれない出産によって生まれてきている人が存在していますし、性行為による弊害である性病や自分を安売りすることや、心が乱れたり依存に陥ったり、性犯罪は大問題なのですから、同じくそういう罪づくりなことはしない、させない、これ以上生み出さない世の中にしていかなければいけないと思います。
性行為なくして命の誕生は無いからこそ、いい加減な行為とすれば風俗や売春や性犯罪が増える。
女性の人権が諸外国に比べてまだまだ尊重されていいない日本や韓国やインドにおいてはまだまだ、これらの問題は見直されるべき分野であると私は考えます。現実に我々誰もが女性であって昼でも夜でも安心して歩ける世界を作らなければいけません。なのに、今の日本は性被害を受けたら被害者の方が悪いような風潮すらあります。とんでもないことだと思います。
そういうことが無くなるように、じょせの人権の尊重や生命の尊厳の重さが見直されていかなければまだまだ日本は後進国であると私は思います。
だからこそ、宗教・仏教・倫理・道徳・モラルというモノがあるのでしょう。
ぜひ、すべての女性が安心して暮らせるように、性暴力の厳罰化や男性の女性に対する倫理観が高まるように勤めて参りましょう。極端に厳しい話をすれば性暴力が死刑になれば誰も性暴力をしなくなるのです。それが見直されないという事は現実的に女性の立場が軽んじられているのであると思います。
仏教において性行為がどうであるかという事ではなく、人間として男性も女性もLGBTも互いを尊重する生き方が求められているんだと思います。相手を尊重するココロがある人は相手を軽んじなくなる。一人の人間として尊重する。
人を軽んじている人は海外に行って見知らぬ女性と関係を持ったり、いい加減な管理と言わざるを得ない関係を持つようになるものです。それが不倫になったり、売春買春になったり、自身を安売りして風俗産業に身を落としたり、万人がもろ手を挙げて讃美できないようなことを生み出してしまうのではないでしょうか。性の問題ではなく人間性の問題なのかもしれません。

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有り難し
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質問者からのお礼

〉丹下覚元 様
ご回答、ありがとうございました。
おっしゃる通りだと思いました。私自身の人権意識を高めていこうと決意を新たにしました。
人間というものをいろいろな論点で分析すると、様々な欲によって数えきれない命を傷つけ、多くの罪を作っているなと思います。
人権に関しては、日本は様々な点で遅れていると思います。もはや、男や女、LGBTとかという話ではないとも感じています。男による女性に対する性犯罪は最も許すことはできず、命を軽視している点で死刑に値する問題だと思います。人権に関して言えば、日本は他にも問題を抱えているように思います。
・わざと痴漢の冤罪を被せて、その人や家庭を崩壊に追い込む人がいる。
・親が娘に売春をさせる。または、売春せざるを得ない経済的環境に追い込む。
・弱味につけ込んで、金銭を搾取する。
日本の人権の問題点を挙げればキリがありません。相手理解の不足があるのではないかと思います。目の前にいる人の背景に、大切な人や大切に思う人がいることを考えれば、相手を陥れるような行動や相手を大切にしない行動はしなくなるのではないかと思います。
1人として同じ人はいないのに、男だから、女だから、LGBTだからという差別意識は根強いと感じています。そのような偏見もまた差別を生み出すのだと思います。おそらく言葉に対する認識の問題もあるのだろうと思います。
中には自分から進んで風俗産業に飛び込む人もいるかもしれませんが、大多数は仕方なく、あるいは騙されて飛び込んだ人もいるかと思います。騙されたというのは、警察が関わる問題ですが、経済的・心理的にそうせざるを得なかったという人がいるのも事実で、その方たちの話を聞いてみたい気持ちはあります。記事で読んだ話だと、かなり闇が深いようです。
そのような苦しい状況の人を見ると、心が痛くなります。宗教や道徳、倫理、モラルがありますが、それらを表面的に認識し、思想を押し付けてはならないと言われればそれまでで、個人の人間性に期待するしかありません。
具体的には解決できませんが、苦しんでいる人の話を直接聞いて和らげることはしたいなと思っているところです。
私にできることは、社会的弱者に寄り添う気持ちと、人権意識の向上に努めることだと思いました。そのような人が増え、私も完璧な一員になれるようにしたいと思いました。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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