闘病記
私は現在五十二歳の男性です。十六歳の時に統合失調症にかかり以来精神障害者として生きてきました。就職も結婚もしていません。
子供の頃は高校で微分積分を勉強したり大学に行って青春を謳歌しようと思っていましたが夢と散りました。高校の時好きな女の子もいましたが告白の電話を一回しただけでそれっきりになりました。
こうも長く精神疾患にかかっていると病気を治すより病気と上手く付き合っていくことを心がけています。障害も個性だと思うのです。
私は思うんですが病気のことはお医者さんに生きる孤独は家族に経済的な面は国の障害者年金にそれぞれ任せるようにしています。色んな所から援助を引き出してそれぞれの助けを得る。
統合失調症で夢や希望を持てと言う方が無理かもしれません。しかし一日一楽日々楽しいことを見つけて日常のちょっとしたことに幸せを見出す。
禅で言うじゃないですか。一寸座れば一寸の仏、しからば一寸の楽しみは一寸の幸せなんです。お金を稼いだこともない、女性と愛し合ったこともない。
このような人生を送るうえで必要なのは人とのつながりです。こうやってハスノハにメールを送るのも人とつながりたいためです。私の問題は色々ありますが簡単に言えばつながりたいんです。
人とつながりが現代社会では希薄になってきています。孤独のうちに自死した人も知っています。しかし私は生きたい。寿命が百歳の時代において、早死にしたくはない。
質問としてはこのような人生では残せるものがないという事です。子供もお金も業績も何一つ残せません。私はここにいたんだというレガシーがないのです。
人として何かを残したい。人間残せるものってあるんでしょうか。よく言う生きた証が欲しいのです。どう思われますか。ではよろしくお願いします。
被害妄想がひどくて道を歩いていて自転車に追い抜かれるだけでかっとします。後座禅していても妄想はなかなかとれません。因みに女性とお付き合いしたこともありません。以上です
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
残すもの
質問拝見しました。
ご自分の病気と上手に付き合ってらっしゃる姿、障害も個性だとのお考え、一寸の幸せを見出す姿勢、尊敬できます。
せっかく頂いたいのちを精一杯生き、足跡を残したいという思いも賛同いたします。
確かに現実世界では、人との繋がりが希薄になってしまった世の中ではありますが、それと引き換えに、昔からは想像も出来なかったほど、インターネットが普及しています。
ふた昔前では考えられないような事が自宅で出来るようになりました。
釣りキチ三平さんも、何かネットを駆使した足跡を残してみては如何でしょう?
かくいう私も、微力ながら、ネットを通して悩んでいる方々の力になれればと思い、hasunohaに登録した次第です。
積極的にアプローチして下さい
拝読させて頂きました。
今あなたがこのようにご自分の思いを表明してUPしていることから始まりです。
あなたはここからネットを通じても或はまた別の方法でも他者とのつながりを模索して、あなたの存在や痕跡を残していっているのです。
どうかここでも或は別の場所や別の方法でもあなたの思いを表明して様々な分野や社会やグループにもアプローチしていってみて下さいね。
文章を書き表明していくことはとても大きな武器になります。そして多くの賛同を得ることにもつながります。逆に非難を受ける場合もありますがそれがあなた自身の意志や存在を認めさせることになりますからね。
どうぞこれからも積極的にアプローチなさってみて下さい。
またあなたの思いや感想や主張や疑問を質問をなさってみて下さいね。
あなたをお待ちしています。
質問者からのお礼
お二方のアドバイスありがとうございました。ここで一つ気づいたことは人のあとに残るものってその人のオリジナリティーなものですよね。自分の頭で考え自分の足で歩きその足跡が残るもののような気がします。インターネットやSNSはあくまでもそのツールです。すぐには答えが出ませんが大切なのは肝心なところは自分で決めるという事です。人生の扉を開けるのはその人個人個人です。先生やリーダーは道を指し示すことはしますが、扉をくぐるのは私です。それが私の人生です。では!