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劣等感の塊自分がもう嫌なんですが

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私は写真部に所属している高校生です。もともとは高校入学を機に写真を始め、同学年の1年生も皆高校から始めた仲間です。私は他の仲間より先生に褒められることも多く、自信過剰な私は同学年の中でも私が1番上手いのかなと思っていました。

しかし、ある大会では私以外の1年生が入賞して全国行きを決め、先日あったある大会でも結果私は入賞せず他の1年生が入賞しました。
1年だけではなく先輩も入賞しますが先輩が入賞しても流石だなと思うのですが、同学年が入賞すると、とてつもない劣等感を感じてしまいます。

例えば水泳だったらいかに早く泳げるかが上手い下手の基準になると思いますが、写真の上手い下手って曖昧な部分で普段全くやる気がない人でも偶然良いものを撮れば入賞してしまうこともあるくらいです。

なので私の方が頑張ってるのになとか、なんで私の写真じゃないんだろうとか考えてしまいます。自信がある写真を大会に出し、私のは落選し他の1年生の人の写真が入賞したら落ち込みますし「めちゃくちゃ凄いじゃん!」って口では言いながらも心の中では劣等感しか感じてません。頑張っているものだからこそ、負けた時凄くやる気がなくなっちゃいます。

最近、自分には才能ないのかなと思ってきてて部活を辞めようかなと思っています。自分が出来ないことから逃げ出すのってダメなことだと思いますか?
3年生の先輩方が引退される時に顧問は「辞めたくなることもあっただろうけど、辞めずに今までやり通してきたその力は社会に出ても大きな強みになる」と言っていたので、ここで辞めたらどうなんだろうかとも思います。
入賞することが全てではないですが、顧問はよく私に「全国大会行こうな」と言ってくれます。そういうのものしかかってプレッシャーになりますし、顧問の期待に応えられないのも嫌になります。

もうどうしたらいいのか分かりません。コミュニティ狭すぎて相談できる相手も居ないので、どなたか答えていただけたら嬉しいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

感性と分析

「コミュニティ狭すぎて」よく気づいてくれました。ありがたい事です。
 さて、学校の試験はある意味単純ですよね。「こう聞かれたら、こう答える」問題作成者の意図に沿ったことを答えれば良いのですから。もちろん先生の側は、「どうしてこの問題を作るのか」を答える義務があるわけですから。
 しかし写真については、あなたの言うように「偶然」が入り込みます。私もある時偶然に、メチャいいものが撮れたので、それの再現を狙うのですが、なかなかうまくいきません。むしろ「一期一会だな」と考えるようになりました。
 どうなんでしょう、「全国大会に出せる」「入賞する」は、何か理論的なもの、セオリーがあるのでしょうか?「勉強して何とかなる部分」と、「言葉では言い表せない部分」と「その時の偶然の部分」があるのでは?
 そうやって「自分の手のおよぶもの」「およぼないもの」両方があることを弁えるのは、これまた今後の人生に役立つと思うのです。
 セレンディピティという言葉を知っていますか?私は「時間をかけて対象に関わることで、ふとしたキッカケをつかむ可能性が高くなる」と考えています。入賞作品についてじっくり皆んなで見て、「どうしてこれが良かったのか」をディスカッションしたりすると、ある程度のセオリーは見えると思います。けれど大切なのは「写真って楽しいなぁ。趣味として長く続けたいなぁ」という感覚だと思いますよ。「いつかの入賞作品」よりも「今日、私が感動した事」のほうが、いま残す価値があると思いますので。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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ある写真家の一言

枝豆さん、はじめまして。質問を拝読いたしました。

枝豆さんは、写真部に所属して写真をはじめたスタートラインは同じですが、同学年が入賞するとものすごく劣等感を感じてしまうのですね。

私は写真は素人なのですが、私が関わったムック本の写真を担当された方がすばらしかったのです。主に寺社仏閣や自然(小鳥などの動物)をテーマにした撮影をしておられる方です。SNSで写真家の方を見つけて褒めちぎったところ、「そんなんじゃないんです」という気のない返事が返ってきました。謙遜しているわけでもないようで、「あなたの発言はズレていますね」というニュアンスが伝わってきました。

しばらくして写真家さんの意図が分かりました。
「私が撮影するのは、神社仏閣でほんの一瞬、仏さまがこっそり見せてくれるものをカメラで切り取っているだけなんです」

すばらしい写真を撮っているというのは見る人の主観であり、写真家さんとしては仏さまがこっそり見せてくれる瞬間を待っているだけなのです。だから、誰かにほめられても、「それは違うよ」ということなのです。

枝豆さんもコンテストの結果で劣等感の塊になるのではなく、被写体がこっそり見せてくれる一瞬をカメラに納められるようご精進ください。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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質問者からのお礼

なるほど...。そういう考えもありますよね。回答ありがとうございました。

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