hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

いじめられました

回答数回答 1
有り難し有り難し 40

タイトル通り、私はいじめを2回経験しています。
私をいじめた人達は、何か罰を受けるのでしょうか?因果応報という言葉がありますが、どうなんでしょう?いじめた人達の末路を知りたいのですが、仏教でいじめについて記載はありますか?

また、私はいじめられて何度も泣いて、今も思い出すと泣いてしまいますが、よく涙を流した分だけ強くなれるといいますが私の涙に無駄はないと思いますか?

やられっぱなしで悔しいので書き込みしました。

宜しければ回答お願います。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

怒りに身を任せないで下さい!

質問読ませていただきました。

れんさんがおっしゃるように、自分が積んだ業(ごう)というのは、その報いを受けなければなりません。悪いことをして積んだ業(悪業)は、悪い報いとして受けます。良いことをして積んだ業(善業)は、良い報いとして受けます。
本当のところは、善業も悪業も「業」に変わりはないのですが、字数の関係でここでは詳しくは申し上げません。
つまるところ、れんさんをいじめた人達は、何かしらの形でその報いを受けることでしょう。ただし、それは今の命で受けるのか、未来の命で受けるのかは分かりません。
ただし、気をつけなければならないことがあります。相手が報いを受けるというのは相手自身の問題であり、れんさんの問題ではありません。

もっと分かりやすく言うなら、「自分をいじめた報いとして相手に悪いことが起こって欲しい」と願うのは、怒りに自分が支配された心の状態です。もちろん、人間はなかなか聖人君子たりえませんので、そのような心に支配されてしまう瞬間もあるでしょう。しかし、その心を抱き続けて人生を生きていくことはおすすめしません。
なぜなら、怒りの心を長らく持ち続けると自分の心をむしばみ、その心根が自分の言動に現れてきます。そういう心持ちの人は、周りから人も離れていき、あまり幸せと言えるような人生を歩むことは難しいでしょう。つまり、怒りに自分の身を焼かれてしまうのです。
ですので、「相手はきっと報いを受けるであろうが、自分はそんなこと関係なく、これから幸せな人生を気持ちよく真っ直ぐ生きていくんだ!」という心持ちで進んでいくことが何より大切なのです。

また怒りの心を持ち続けるというのは、言い換えれば相手に心を縛られているのです。
過去にいじめられた人達によって、怒りの気持ちを抱かされて、これから心までも縛られて辛い思いをする。そう考えると、とってももったいないし悔しくないですか?
過去にたくさん辛い思いをされてきたのですから、これ以上自分を苦しめる必要はありません。これからは怒りの心から自分を解放してあげて、顔を上げて真っ直ぐ幸せな人生を歩まれて下さい。

何か少しでも参考にしてみて下さいね!

{{count}}
有り難し
おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

丁寧であたたかい回答ありがとうございます。これ以上相手を憎まないように、日々過ごせるようにしたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ