遺体が怖い
いつもお世話になっております。
カテゴリーをどこにするべきか悩みましたが、宜しければお知恵をお貸しください。
私は遺体が怖いです。
気持ち悪いとかではなく、怖い。
例え大切な親類やペットだったとしても、いざ寿命や老衰、病死で綺麗な状態で亡くなっていたとしても、怖くてしかたありません。
曽祖父が亡くなった時も、父が亡くなった時も、ペットの犬猫が亡くなった時も、とても大好きだったのに触ることだけはどうしてもできませんでした。
飼っていたメダカが死んで水槽に浮いていた時も何故か怖く感じてしまい、自分で引き揚げて埋めてあげるということすらできず、他の家族に頼むほどです。
「最期だから触ってあげて」
「手を握ってあげて」
「怖いものじゃない」
親戚や周りの大人からそう言われても、怖くてできません。
身内が亡くなったのに薄情だと白い目で見られたこともありますが、正直近付くのも怖いんです。
私からすると何故皆亡くなった方の手を握ったり、顔を撫でたりできるのか不思議でしかたありません。
どう表現していいのか分からないんですが、空っぽになったというか、何か足りない、生きている者とは違う存在、と言いますか…
かといってドラマや映画に出てくる死体は怖いとは思いません。
自分の目で実際見る遺体が怖いんだと思います。
ずっと自分はおかしいんだと思っていました。
身内でも怖いのに、他人だと見るのも近付くのも怖いです。
ご遺体を扱うお仕事に携わっている方達には失礼な話だと重々承知しています。
これから先、葬儀の場に呼ばれることも増えるでしょう。
こんな意味不明な理由で行かない訳にもいきません。
何故こんなにご遺体に拒否反応が出てしまうんでしょう。
またご遺体に向き合う時の心構えなどお教えください。
拙い文ですが、よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
理屈がわかれば怖くないですよ!
質問読ませていただきました。
ご遺体を怖がるというのは、元々日本人が持っていた民族的な性質と言ってもいいのかもしれません。
昔の日本では、人の死とは「穢れ」の1つとされていました。人の死が不幸を招き、そしてこの世に未練を残した人が周りに悪さを働くと考えたのです。
ですので今はあまり見ませんが、「野辺送り」をして故人の霊が悪さをしないように鎮め、野辺送りが終わるとお風呂に入って自分の身に付いた「穢れ」を落とすのです。(所説はあります)
もしくは、身内が亡くなると喪に服します。これは、身内の死という「穢れ」を周りにまき散らさないようにするために、日常をつつしむという意味もあります。
他にも色々ありますが、日本人は古来より「死」というものを極度に恐れ、死に直結する「ご遺体」も怖れ(敬う気持ちもあるが)てきました。
ですので、瑞月さんがご遺体を怖いと思うのであれば、それは日本人として元々持っている性質ですので、そんなに考えすぎなくても大丈夫です。感受性が強いんだ、くらいに思っていれば大丈夫でしょう。
また、亡くなった方にお経やお題目を唱えてあげれば、必ず成仏されます。そうすれば、周りに祟ることもないでしょう。そうすれば、「穢れ」や「死」というものも、それほど怖れることはないのです。
ですのでもしご遺体に触れるのが怖ければ、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えた上で触られたら安心かと思います。それでもイヤと言うことであれば、無理に触る必要も私は無いとは思いますが・・・
理屈としては、申し述べたとおりです。誰しも、理解不能なモノは怖いものです。しっかり理屈がわかっていれば、むやみやたらと怖がる必要もないでしょう。
何か少しでも参考にしてみて下さいね!
こんにちは
実は私もです。
ご遺族のかたが、ご遺体に触れたりするのを見ると、こういうの私にできるかなぁ、できないかもなぁと心配になることがあります。
人は慣れていないものに対しては拒否反応を示すものです。例えば私は動物を飼っていないので、(生きていても)ワンちゃんなどを触るのが苦手です。そういう事かもしれません。だって体温がないとか何をしても反応がないとか、普段とは様子が違いますものね。そのような事で本能として拒否反応があるのかもしれません。
今後大切な方のご遺体を目にすることが何度もあるかもしれませんが、私は無理して「触らなくちゃ」とか「近づかなきゃ」と思う必要はないと思いますよ。「ご遺体を見ると悲しくなっちゃうから」などと言って周囲の方にはやんわり近づかない意思を伝えてはいかがでしょう。あなたの思うお別れの方法でお見送りすれば良いと思いますよ。
身体は不浄
生きていても死んでいても、身体は不浄なものであるというのが仏教の観点です。
ただ、「不浄」は、むやみやたらに嫌がりなさいという「拒絶・拒否」ではなく、「執着に値しない」ということだと思います。
本来「不浄」である肉体ですが、生きているときは「不浄」を覆い隠すような別の魅力を放っているから、私達は「不浄」に気づかないだけです。
あと、死体を嫌がるのは、感染症や腐敗による細菌てかの危険から身を守ろうとする、ヒトとしての本能かもしれません。
質問者からのお礼
皆様、回答ありがとうございます。
「死」をどう捉えてきたかの民族的視点や仏教的視点、また同じような思いを抱いている方のお言葉になんだか肩の荷が下りたような思いです。
「死」という理屈が分からないから怖い、確かにその通りだと思いました。
今回の回答で、何故怖いと思うのかという長年のモヤモヤが晴れました。
理屈さえ知れば、もしかするとこんなに悩むようなことでもなかったのかなとさえ思えてきました。
もしこれから先葬儀の場があった際は、以前とは違う心構えであれそうです。
波風立てないような躱し方も教えていただけたので、それでも無理な場合はありがたく使わせていただきます。
この度は本当にありがとうございました。