マナーの守れない人間達への怒りを抑える方法
私は日常生活で度々酷くイライラすることがあります。
とりわけ車の運転中にマナーの悪い、ルールを守れない、周囲の事を考えられない連中を目の当たりにすると酷くイライラします。
・順番を守らずに割り込む人間
・身障者スペースに駐車するどうみても身障者には見えない人間
・タバコやごみを平気でポイ捨てする人間
・周囲の交通状況・流れに逆らい不必要にスピードが遅い車
・曲がる直前になって突然ウインカーを点灯させる車
・信号無視をする自転車乗りや歩行者
例を挙げればキリがありませんが、このような事は私の基準では「悪」だと考えます。
その私基準の「悪」を目の当たりにすると耐え難い怒りや憎悪の感情を抱きます。
自分だけ良ければいいといった考えを持つ連中が蔓延り悪びれもせずにのうのうと生きていることが自分の中では許せません。
なぜ、こういった人間達はマナーやルールを守らないのでしょう?
なぜ、守るべき当たり前のマナーやルールが守れないのでしょうか?
逆に考えれば、いちいちこのような事に腹を立てずに、
守ることの方がおかしいと考えるべきなのでしょうか?
守らない人たちが正しいと考えるべきでしょうか?
ですが法やルール・マナーとはなんのためにあるのでしょうか?
日々考えますが、全く答えは出ません。
ルールやマナーをきちんと守る人間達が損をしたり不快な気分になることが許せませんし、納得がいきません。
しかし毎回気にしていては疲れるだけです。いずれそういった人間の行いは自身に帰ってくると考え気にせず割り切りばいいのですがなかなか難しいです。
これは負の感情であり、いい結果にならないということは自覚していますがなかなか改善できません。
私には妻ともうすぐ生まれる子供がおります。
妻は私の考えを理解してくれますが、そういった人間に対して注意などしてトラブルになってほしくないと毎回言われます。
私も家族が一番だという気持ちはありますので家族のことを考えぐっと堪えます。
あくまで私自身の基準の「悪」ですので他人からすればエゴや単なるわがままだとみなされるかもしれません。
ですが少なからず、人それぞれ善悪の基準があるはずです。その「悪」に遭遇した際はどのように対処しているのでしょうか?
感情のコントロール方法など参考にさせて頂きたいのでご回答の程よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【柔和忍辱】
あなたの気持ちはよくわかります。私も一緒ですから。
しかしながら、
あなたにだって息が臭い時もあるだろう?
あなたにだって汗臭い時もあるだろう?
あなたにだって他人様の気遣いに気が付かない事もあるだろう?
あなただって知らない間に他人様にご迷惑をおかけしているはずだ。
他人様が目をつぶって下さっている事はあるはずだ。
ただあなたが知らないだけで。
人の粗は挙げればキリがない。だから、
【柔和忍辱】
人間、少々の事はお互い様、笑って赦し合いましょうね、とお釈迦様は教えてくださいました。
不埒者のお行儀の悪さに一瞬カチンとくるのは仕方がありません。しかし、他者を片っ端から裁きまくれば、どいつもこいつもバカばっかりに見えてきて、いつでもどこでもだれにでもムカムカムカムカ…いよいよ腹が立って仕方がなくなることでしょう。そんな日々をお望みかい?
ところで、奥様がずいぶんご心配なされているようですが、あなたの低い沸点で沸きっぱなしの怒りを家庭内に持ち込んで、空気を淀ませてはいませんか?もしそんな本末転倒を起こしているとしたら、あなたもまあまあ不届き者だ。
人のわろき事は、能く能くみゆるなり。
ご相談拝読しました。なかなか悩ましい問題であるかと思います。
浄土真宗の蓮如(れんにょ)という方の言葉に
原文「人のわろき事は、能く能くみゆるなり。わがみのわろき事は、おぼえざるものなり。わがみにしられてわろきことあらば、能く能くわろければこそ、身にしられ候うと思いて、心中を改むべし。ただ、人の云う事をば、よく信用すべし。わがわろき事は、おぼえざるものなる」
意訳「他人の悪いところはよく目につくが、自分の悪いことには気づかないものである。もし自分で悪いと気づくなら、それはよほど悪いことだから、この自分の身に気がつかせていただいたのだと思って、心をあらためなければならない。人が教えてくれることには耳を傾け、素直に聞き入れるべきである。自分の悪いところはなかなかわからないものである。」
あなたにとってはマナーを守らない人の姿がよく目についてはいますが、あなたが怒りによって振り回されている様子は奥様の目についているのでしょう。
世間のルールや法律は結果論(行為主体)ですが、仏教の考え方は動機論(意志主体)です。
例えば、あなたが彼らにもし制裁を加えたいと怒りに震えても、実際には何もしなければ法律的には何にも問題ありません。しかし仏教的にはあなたはあなたの怒りの影響を今後も受けていくということになるのです。現にあなたがイライラに苦しんでいる様に。
さて、彼らはどうしてマナーを守らない人になってしまったのでしょうか?悪い人間だからでしょうか?世の中には良い人間と悪い人間がいるのでしょうか?
そうではありません。誰も生まれながらに犯罪者になろうと思う赤ちゃんはいませんね。でも生まれ育っていく中で降りかかる縁によっては、悲しい事に犯罪を犯すことになってしまう方もいます。
つまり、彼らはマナーを守らなくなってしまうような縁に今の今までもよおされてきたのでしょう。
それは怒るべきことというよりも、傷み悲しむべき、憐れむべきことがらではないでしょうか。
あなたがイライラすることに奥様はそうでもないように、人は皆違いがあります。つまり縁によってはどんな振る舞いもしてしまう可能性があるのです。
他者の心無い行いが目に着いたら「私も気をつけねば」と心を改めて、その方には憐みの目を向けたいものです。
もちろん度が過ぎる場合は注意も必要かもですがお気を付けくださいませ。
善悪ではなく、能力の問題
煩悩がない、悪いことをしないことは、仏教では神通力の一種に数えられるくらい凄い能力なのです。
マナーを守れる人は、能力が高い、つまり頭が良いのです。
マナーを守れない人は、能力が低く、頭の回転が悪い人です。
他人の能力が低いことを怒っても仕方ないのです。
走るのが遅い人、車に酔いやすい人、暗算が苦手な人。みんな、能力が低いのです。
もちろん、能力は努力で伸ばせますが、しかし、やはり能力には個人差があります。
ドラえもんに出てくるジャイアンが、野球の下手なのび太によく怒ってますが、怒っても仕方ないですよね。
仏教では、怒りは煩悩です。
煩悩とは、悩み苦しみ・ストレスの原因になるものです。
怒らないことも能力です。
あなたは、怒らないという能力が低いのです。
つまり、怒る人も(仏様に比べたら)頭が悪いのです。
仏教の宗派は、怒りの煩悩を弱めることにもつながります。
是非、他人の頭の悪さには寛容に、自分は頭が良くなるように、仏教的な修行をしましょう。
「慈悲の冥想」や「ヴィパッサナー冥想」をネットで検索してやってみても良いと思います。
質問者からのお礼
ご回答いただいたお二方へ
お忙しいところありがとうございました。
友人もほとんどおらず相談できる相手が家族以外誰もいないので大変参考になりました。
いただいたアドバイスを忘れないよう、しばらくの間日々読み返して少しでも落ち着けるよう努めていきたいと思います。
新たにご回答いただきありがとうございます。
まだまだ自分も未熟で日々成長しなければならないと思っております。
ご意見参考にさせていただきます。