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大好きな母が亡くなりました

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先週の土曜日に母が亡くなりました。

がんと診断されてから10年間、手術や抗がん剤治療を繰り返してきましたが、昨年の秋に治療がないと言われ、がんセンターでの治療もうち切りになり緩和ケアを中心にしていく方針が示されました。

11月ごろから腸閉塞になりかけたり、浮腫ができたり、これまでにないような痛みや息苦しさに悩まされ、食事の量も減っていました。
素人ながらにも年明けに今度のお正月は一緒に迎えられないなぁと思ったほどでした。

先月の23日に突然、母は経験したことのない痛みや苦しさを訴え慌てて実家に帰り救急車に乗りました。医師からは今日か明日中を覚悟してくださいと言われ父と私は病室に泊まりました。それから数日間は嘘のように普段と変わらない様子で会話が出来ていましたが、やはり長くは続かず次第に意識は薄れていきました。そんな中でも母はお父さんと麻美子がいてくれて、みんなに囲まれて私は幸せ者やっていってくれました。亡くなる前の日は私が語りかけると届いたのか泣いていました。そして入院してから1週間、30日の朝に亡くなりました。

お通夜と告別式も終わったのにも関わらず、未だ受け止めきれず、長く寝ていたね、ごめんね‼︎と帰ってくるような気がしてなりません。来週からは忌引き休暇も明け、仕事にも戻ろうと思いますが遺影を眺めて、線香をたき涙ぐむ毎日です。

これまでもいろんな辛いことがありましたが、30年間で最も辛いことを経験したように思います。
どうかアドバイスいただけますよう、よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お母様を幸せにした

大好きなお母様を亡くされ、心よりお悔やみ申し上げます。

長い闘病生活の中で、耐え難い痛みや苦しみもあったと思います。しかし、Mameta様やご家族の皆様の献身的な支えがあったからこそ、お亡くなりになる前、泣かれていたのではないでしょうか。涙って辛い時にも出ますが、嬉しい時にも出ますよね。
私もたくさんの方から臨終間際のお話を聞いてきましたが、なかなか亡くなる前に「私は幸せ者や」なんて言えませんよ。心の底から幸せを感じられていたから、お母様はそのようにおっしゃったのだと思います。

諸行無常。人の命はいずれ尽きる時がきてしまいます。頭ではわかっていても、心で受け止めることは難しいですよね。
大切な人の死とは、考え得る限り、最も受け入れがたく、辛い経験です。お通夜が終わり、葬儀式が終わったからと言って、そう簡単に受け容れられるものではございません。時間が経ったからと言って、悲しみが消え去るものでもございません。すぐじゃなくて結構です。お母様の、日々のご供養の中で、少しずつ受け容れていって欲しいです。

今は安らかな世界でMameta様を見守ってらっしゃいます。お母様を幸せにしたMameta様。今度はMameta様自身が幸せになる番です。それを何より願っているのは、大好きなお母様でしょう。特効薬も日にち薬もございません。少しずつ前を向いて歩んでいただきたいです。

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浄土宗の僧侶です。一緒に悩みましょう!
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少しずつゆっくりと

お母様を亡くされたとのこと。ご愁傷のことと思います。

人は別れを迎えると残された人は悲しい気持ちになります。
今まで目の前に居た方が亡くなると、記憶の中にまだ鮮明に残っていますから、亡くなった事実を受け入れることは簡単なことではないと思います。
時間はかかるものです。
特に四十九日の間は、残された方が死を受け入れ、次に向かうための準備をする修行期間です。少しずつ気持ちを整理しながら、初めは悲しみだけでも少しずつ現実の生活に目を向け、お母様の残された教えを実践し生かすことを少しずつ始めるのです。

体は亡くなりもう会うことも話すこともできません。しかし、記憶の中のお母様はあなたの中で生きていくのでしょう。そしてあなたは、そのお母様から学んだことを生かし、次の命として生きていくのです。
受け入れよう、早くどうにかしようとするのではなく、少しずつゆっくりと、変わっていきます。死を否定せずにいれば、自然と受け入れることができる時が来るでしょう。

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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質問者からのお礼

母に対して、もっとこうすればよかった…もう少しわがまま聞いてあげればよかった…三七日過ぎても、嘘だよ心配かけてごめんねと帰ってきてくれそうな思いは残ります。それでもアドバイスいただいたように、ゆっくり死を受け入れられるようお線香をたいたり、お膳を作ったりしながら向き合っていこうと思います。

買い物に出かけても、母の好きだったものを見つけたり、他の親子連れを見て帰りの車で泣いていたり…今にもそんなに泣いてばかりじゃ始まらないよ。楽しくしなきゃと言う声が聞こえて来そうです。どんなに病気で辛くても辛さや弱さを人には見せず、明るく尊敬できる母でした。

私自身も幸せになれるよう、真面目に働いて休日には楽しみも入れて、下手なりにも家事も頑こなし、母にたくさんの幸せや嬉しかったことを報告できるように頑張ります。

本当にお忙しい中、暖かいアドバイスありがとうございました。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

人を失った時の乗り越え方を教えてください

はじめまして ここ数ヶ月で大きな出来事が続きました。 この喪失感をどうにか乗り越えたく、知識をいただけますと嬉しいです。 8月に直属の上司が精神的不調で離職しました。私は転職で入社してから数ヶ月しか経っていなかったこともあり、その上司に頼りきりでした。今は自業務と上司の業務を1.5〜2人分担当しています。業務量や慣れない業務にストレスを感じています。 8月末に父が他界しました。がん闘病の末の自死でした。父を喪った悲しみはもちろんですが、父が感じていた辛さを思うと、今も胸が締め付けられる思いです。 10月に婚約者と別れました。上記の2点で、気持ちが落ち込んでしまい、婚約者の優しさに甘え過ぎていたと思います。ここ最近、結婚準備を進めるときに、気が重そうにしていました。「一緒に住むのを先延ばしにしたい」と言われて、別れを決めました。 とにかく辛くて、毎日生活するだけで精一杯です。職場で涙が溢れそうになります。 本来ならば、私が母を慰めなければならないのに、母に気を遣わせており、情けないです。 辛い気持ちを乗り越える心の持ちよう、考え方など教えていただきたいです。 長くなってしまってすみません。

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推しの死。これからどうやって生きていこう

以前の質問にも登場した、私の推し(好きな芸能人)が急逝しました。 ステージで体調を崩し、心配していたときでした。 昨日訃報が発表されたので、とても辛くて悲しく、信じられない、どうして亡くなったの、などいろいろな思いがめぐり、考えがまとまりません。いつも他のファンとの交流に使っていたSNSも書けませんし、同じ悲しみを持つファン、仲間と話すのもいまは辛いです。 泣いて泣いて、職場でも取り乱し、結局休んでしまったけどそれでも辛いです。ふとした時に涙が出ます。 ここ三年ほど、依存しているようなくらい、彼を推すことに人生を費やしていたので、これからどうしたらいいのか、私がいついなくなるかは分かりませんが、長い?人生をどうやって生きていったらいいか分からないです。 どん底です。世界にくすんだフィルターがかかった状態で、彼のいない世界が信じられません。 どうしたらこの辛い状況を脱することができるのでしょうか。今はだれの言葉も響きませんが少しでも心が癒えるようなお言葉をください。 また、一番辛いのは御家族やバンドメンバーだと思うのに悲しんでいるのも変かな、職場に後ろめたいという気持ちもあります。そしてファンは直接供養ができません。私ができることはなんでしょうか。

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まだ立ち直れてない

先日、母の四十九日を終えました。お経をあげてもらって、お位牌に魂を移してもらいました。 それから母の好きだったお饅頭型のロウソクを供えてみたり、母が好きだった香りのお線香をあげてみたり、色々していますが私の気分はまだまだ落ち着いていません。 お医者様にも「まだリラックスできる状況にないみたいだから無理しないように」と言われてしまいました。確かに眠りが浅い気がします。 でも私は元気に働けていないといけないのです。父は私が働ける状態かどうかくらいにしか興味がありません(多分私がどれ程落ち込んでるかには興味が無い)(後ろから着いてきただけの末娘なのでまあそんなものです)。職場からしてもなるべく出勤してもらわないと困るはずです。私は早く元気にならないといけない……と思いながら、周りに「無理はしないで」と言われ続けています。 体調がどうしても悪い時に休んでしまっているので、それほど無理をしているつもりはないのですが、周りからするとそうではないようです。 些細なことでも「母との思い出が沢山あったな」と涙を浮かべてしまうような状態ですが、みんなのために私は早く元気にならないといけません。 リラックスする良い方法などはあるでしょうか?

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母を亡くした父へのサポートについて

今年6月に母が急死してしまい、一人暮らしになる父のサポートの事で助言をお願いします。 私は次女で長女は危篤の病院にも葬儀にも姿を見せませんでした。 長期に母を利用し裏切っていました。 私と母の関係は良好で母が行きたい所はどこでも連れて行き旅行も毎年一緒に行っていました。 私はシングルマザーで長男長女次男がいます。 私の父親は長男が生後半年で離婚しています。 長女と次男はその事を知りません。 長男は私を毛嫌いし10年会っていませんでしたか、母の入院中に再会し7年前に結婚した長男の嫁ともその時初めて会いました。 長男は私の両親を親のように思い、母も長男夫婦に『親と思って良い』と言ったそうですが私は知りませんでした。 嫁と親しくしてる事も聞いた事はありません。 長男は私の戸籍から除籍し父の姓を名乗っていて、嫁は除籍したので私の方とは何の関係もないんです と言いました。 父の養子にもなっていません。 母が亡くなり父が一人暮らしになるので長男の命令で独身の次男が父と同居し、今は娘の協力もあり私が仕事が終わってから毎日夕飯作りに行っています。 私不在時は長男の嫁が一日中父の側にいて我が物顔で実家にいます。 私は父の出来る事は父がする方が良いと思うし、出来ない事も努力して欲しいと思っていますが、長男夫婦は考えが違います。 長男夫婦の実家への関わり方の距離感があまりにも不自然で納得が行きませんが、私が聞くと長男はキレるので話もできません。 病院の清算や葬儀の事お香典、全て嫁がやりました。 私がやるべきと言っても夫婦で仕切りました。 そんな様子を知っても父は誰かがやればいい。 子供も孫も一緒だし関係ない。 仕切る長男が頼りになるけど大人しく優しい次男は頼りにならないと思うらしく次男にキツくあたります。 例えば次男と父が食事をしていて父の食べるペースを見て次男は食べるペースを調整して父より後に食べ終わるのを『さっさと食べろ!』と言う具合です。 20代と89歳では寝る時間も違って当たり前だと思うけど『いつまでも起きてる』と文句を言う。 俺の家だから俺のルールに従ってもらう!と言う。 生活費も父のお金が減らないように次男が負担するよう長男が指示してます。 長男経営の会社で次男も働いているので長男には逆らわないです。 仕事も次男に任せてます。 私が父と住むべきですが父は何もしなくなると。

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何年も前に亡くなった人の事で泣いてしまう

何年も前に亡くなった、おじいちゃん(16年前)おばあちゃん(4年前)の事を思い出しては未だに泣いてしまいます。 母とは関係が悪くほぼ縁が切れている感じですが、母方のおじいちゃんとおばあちゃんが大好きでした。遠方でお盆くらいしか会えませんでしたが、私の事をとても可愛がってくれました。 母は私の事を邪険に扱いましたが、おばあちゃんは会うといつも 「◯◯ちゃんはパパに似て白くてスタイルがよくてお人形さんみたいでかわいいね。パパに似てよかったね」と褒めちぎってくれました。それに対して母はいつも「スタイルよくないよ、世間一般じゃそうでもないから」と返してましたがおばあちゃんは「いや、いいよ可愛いよ」と肯定してくれました。 簡単に言ってしまえばおばあちゃんは、私の敵である母を否定して、私を絶対的に肯定してくれた絶大な味方でした。 ここまで読んでいただいてなんとなく分かったかもしれませんが、私が母を毒親と思っているのと同様に、母はおばあちゃんを毒親と思っていたようです。だからこそおばあちゃんは母を否定して私の味方をしてくれたのかもしれません。 辛いですが、私の親族は色々と問題があり、関係が切れたりもつれたりしていて、お盆に集まってお墓参りなどはありません。でも私は未だにおじいちゃんおばあちゃんがとても恋しく、長期休みには1人でおじいちゃんおばあちゃんと過ごした町に来ます。今もお盆でホテルをとって来ています。 亡くなって何年も経っているのに、突然思い出して泣いてしまうこともあります。もちろん今みたいに一緒に過ごした町に来ると涙が止まりません。まるで昨日亡くなったかのように。亡くなった人のことを普通に懐かしんで話す、ということが未だにできません。涙が止まらなくなります。 私はまだ乗り越えられていないんでしょうか。思い出して泣くのではなく、おじいちゃんおばあちゃん大好きだったなぁと笑っていたいです。人の死を乗り越えるというのはこんなに時間が経ってもできないものなのでしょうか。

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母の死から立ち直れない

いつもありがとうございます。 先日、母が闘病の末亡くなりました。乳癌でした。享年67歳でした。 母はかなりの病院嫌いで、乳房が腫れ始めても頑なに診てもらおうとしない人でした。結果、癌の型が悪かったのもあって、治すということができないところまでいってしまっていました。 段々できることが減っていって、階段が登れなくなって、歩けなくなって、寝返りもできなくなって、喋ることもできなくなって、ゆっくり呼吸が止まっていくのを家族一同で介護しながら見届けました。後悔が無いと言えば嘘ですが、やれることはやり切ったと思っています。 お葬式あたりではバタバタしていて、涙は出てもなんとなくふわふわした落ち着かない気持ちでいたのですが、数週間経った頃から体調不良を繰り返すようになってしまいました。 頭痛薬を処方されたら母が飲んでいたものと同じ薬で涙が出たり、銭湯で話しかけてくれた人が母と同じくらいの年頃で涙が出たり、そんなことの繰り返しです。 医師には「段々とそういう症状も薄れていくから大丈夫」と言われましたが、現状家族にも職場にも迷惑をかけてばかりで申し訳ないです。一刻も早く立ち直れないといけない気がしています。母も私が不甲斐なくて心配していると思います。 四十九日が過ぎたら落ち着いてくるものでしょうか?それとも私がもっと努力すべきでしょうか? よろしくお願いします。

有り難し有り難し 13
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ