輪廻転生はあるのでしょうか
こんにちは。
私は数年前から一人暮らしをしており、1人の時間も長くなると考え事をする時がしばしばあります。
その中で昔の嫌な記憶を思い出すことがよくあり、思い出した嫌悪感に我慢できずにたまに泣いてしまいます。
自分の性格や人間性のダメな部分に嫌気がさして自己嫌悪に陥るのですが、ああしてこうして育ててくれればこんな人間にはならなかったのに、と親のせいにしてしまう自分に何より腹が立ち、情けなくなります。
もちろん四六時中こうして悩んでいるわけではなく、仕事ができるありがたさや趣味に打ち込める楽しさもあり、普段はポジティブに生活しています。
ですが、人間いつか死ぬのなら、できるだけ早く死にたいなとも考えています。
自分で言うのもなんですが、感受性が豊かな自分にとっては家族も含め人付き合いに疲れてしまい、早く楽になりたいんだと思います(叱られるかもしれませんが…
死後の話でよく『輪廻転生』と耳にします。
私は現時点で20数年しか生きていませんが、もし人間として生まれ変わるのなら、またこんな人生を送らなければならないのならないのは御免だなと思います。
やはり死後の魂は何かに形を変えて生まれ変わるのでしょうか?だとしたら魂の数には限りがあるのでしょうか?
もう一度生き物に転生せずに済むのなら、魂ごと消えてしまいたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あるといいなと思う人にはあるし、無いといいなと思う人には無いのですよ。
ただそれはまだ先の話。
今は、昔の嫌な思い出をなるべく思い出さないようにしましょうね。
せっかく生まれてきたのですから、一つでも二つでも楽しい思い出を作りましょうね。
実生活から人生と仏教を学んでみて
おもちさん
1人の時間に人生について考えに耽るのは、けっして無駄なことではないと思います。感受性の豊かな人は、この世の生きにくさを感じることも多いのではないかと思います。「もし生まれ変わるのなら、またこんな人生を送らなくてはならいのなら御免だな」と思うのは、とても鋭い感性だと思います。人生は苦であるということを20数年で理解したということですね。それこそ仏教の出発点です。ここで何度かご質問されているのもご縁ですし、仏教を学ぶ機縁にあるのかもしれません。
死後の魂は何かに形を変えて生まれ変わるのか?魂の数には限りがあるのか?その問いと同じことを私も若いころに考えました。だからこの質問をみて、おもちさんに親しみを覚えました。その問いへの答えを探し求めていくのが、人間の人生ではないかと思います。輪廻転生はあるのかないのか?それは人に聞いても答えはありません。死んでみないと正解はわからないからです。
そういうことを考えるより、自分の性格や人間性のだめなところを克服していくにはどうしたらいいのか、お釈迦さまは、こういうことに対して何と言っているのか、ぜひ学んでみてください。もちろん、仏教に限ることはありません。自己嫌悪になったり親のせいにしたりする自分を超えていくこと、生きる苦しみからどうしたら解放されるのか仏教は答えてくれるはずです。でもそれは、本を読んだだけで、人に聞いただけでわかるのではありません。実生活で苦労しながら、わかっていくものです。そこに、苦しいけれど生きていく意味があるのではないかと思います。おもちさん、まだ20代です。仕事もして、趣味も楽しみ、恋もして、たくさんの実生活から人生と仏教を学んでください。おもちさんのこれからの人生を応援しています。
輪廻転生から解脱するためには
輪廻転生から解脱する(解放される)ためには、煩悩をなくす必要があります。
つまり、仏教の修行をして悟る必要があるということです。
しかし、この世で生きているうちに悟りを得るのは、かなり難しいですよね。
少なくとも、浄土宗という宗派では、現在の地球上で悟ることは、かなり難しいと考えます。
お釈迦様が亡くなってから2600年近くになり、仏教教団が衰退しているからです。
そこで、浄土宗では、とりあえず悟り易い環境である極楽浄土に往生しようと説きます。
極楽浄土に往生する(生まれかわる)のは簡単です。
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて、阿弥陀仏の力で極楽浄土に往生させてもらいたいと願うだけでよいのです。
善人でも悪人でも、念仏すれば必ず来世は極楽浄土。
極楽浄土で、阿弥陀仏に直々に教えてもらって修行すれば、あなたも必ず悟れます。
つまり、輪廻転生から解脱するための近道が、念仏(往生極楽)なのです。
南無阿弥陀仏 合掌
来世(死後)の往生ばかり願っている浄土宗は、なんて暗い宗教だと思うでしょうか?
それは誤解なのです。
あの世は極楽浄土だと思えば、二度とあの世の心配をしなくていいわけだから、あとはこの世をどう生きるか、気楽に考えられるのです。
夏休みの宿題がお盆前に全部終わったような気分で、残りの人生を遊びましょう。
南無阿弥陀仏 合掌
質問者からのお礼
皆様、ご回答ありがとうございました。
1人で悩んで考えることが多く、辛くて気が重かったのですが、心が少し楽になった気がします。
機会があれば仏教について勉強してみようと思います。