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輪廻転生はあるのでしょうか

回答数回答 3
有り難し有り難し 27

こんにちは。
私は数年前から一人暮らしをしており、1人の時間も長くなると考え事をする時がしばしばあります。
その中で昔の嫌な記憶を思い出すことがよくあり、思い出した嫌悪感に我慢できずにたまに泣いてしまいます。
自分の性格や人間性のダメな部分に嫌気がさして自己嫌悪に陥るのですが、ああしてこうして育ててくれればこんな人間にはならなかったのに、と親のせいにしてしまう自分に何より腹が立ち、情けなくなります。
もちろん四六時中こうして悩んでいるわけではなく、仕事ができるありがたさや趣味に打ち込める楽しさもあり、普段はポジティブに生活しています。
ですが、人間いつか死ぬのなら、できるだけ早く死にたいなとも考えています。
自分で言うのもなんですが、感受性が豊かな自分にとっては家族も含め人付き合いに疲れてしまい、早く楽になりたいんだと思います(叱られるかもしれませんが…

死後の話でよく『輪廻転生』と耳にします。
私は現時点で20数年しか生きていませんが、もし人間として生まれ変わるのなら、またこんな人生を送らなければならないのならないのは御免だなと思います。
やはり死後の魂は何かに形を変えて生まれ変わるのでしょうか?だとしたら魂の数には限りがあるのでしょうか?
もう一度生き物に転生せずに済むのなら、魂ごと消えてしまいたいです。

2019年1月29日 19:08

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あるといいなと思う人にはあるし、無いといいなと思う人には無いのですよ。
ただそれはまだ先の話。
今は、昔の嫌な思い出をなるべく思い出さないようにしましょうね。
せっかく生まれてきたのですから、一つでも二つでも楽しい思い出を作りましょうね。

2019年1月29日 20:42
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんをしています。 なかなか良い回答はできませんが、少しで...

実生活から人生と仏教を学んでみて

おもちさん

1人の時間に人生について考えに耽るのは、けっして無駄なことではないと思います。感受性の豊かな人は、この世の生きにくさを感じることも多いのではないかと思います。「もし生まれ変わるのなら、またこんな人生を送らなくてはならいのなら御免だな」と思うのは、とても鋭い感性だと思います。人生は苦であるということを20数年で理解したということですね。それこそ仏教の出発点です。ここで何度かご質問されているのもご縁ですし、仏教を学ぶ機縁にあるのかもしれません。

死後の魂は何かに形を変えて生まれ変わるのか?魂の数には限りがあるのか?その問いと同じことを私も若いころに考えました。だからこの質問をみて、おもちさんに親しみを覚えました。その問いへの答えを探し求めていくのが、人間の人生ではないかと思います。輪廻転生はあるのかないのか?それは人に聞いても答えはありません。死んでみないと正解はわからないからです。

そういうことを考えるより、自分の性格や人間性のだめなところを克服していくにはどうしたらいいのか、お釈迦さまは、こういうことに対して何と言っているのか、ぜひ学んでみてください。もちろん、仏教に限ることはありません。自己嫌悪になったり親のせいにしたりする自分を超えていくこと、生きる苦しみからどうしたら解放されるのか仏教は答えてくれるはずです。でもそれは、本を読んだだけで、人に聞いただけでわかるのではありません。実生活で苦労しながら、わかっていくものです。そこに、苦しいけれど生きていく意味があるのではないかと思います。おもちさん、まだ20代です。仕事もして、趣味も楽しみ、恋もして、たくさんの実生活から人生と仏教を学んでください。おもちさんのこれからの人生を応援しています。

2019年1月29日 23:33
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有り難し
おきもち

お釈迦様の教えと瞑想法は苦悩の多いこの世を生きるための「船」のようなもので...

輪廻転生から解脱するためには

輪廻転生から解脱する(解放される)ためには、煩悩をなくす必要があります。
つまり、仏教の修行をして悟る必要があるということです。
しかし、この世で生きているうちに悟りを得るのは、かなり難しいですよね。
少なくとも、浄土宗という宗派では、現在の地球上で悟ることは、かなり難しいと考えます。
お釈迦様が亡くなってから2600年近くになり、仏教教団が衰退しているからです。
そこで、浄土宗では、とりあえず悟り易い環境である極楽浄土に往生しようと説きます。
極楽浄土に往生する(生まれかわる)のは簡単です。
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて、阿弥陀仏の力で極楽浄土に往生させてもらいたいと願うだけでよいのです。
善人でも悪人でも、念仏すれば必ず来世は極楽浄土。
極楽浄土で、阿弥陀仏に直々に教えてもらって修行すれば、あなたも必ず悟れます。
つまり、輪廻転生から解脱するための近道が、念仏(往生極楽)なのです。
南無阿弥陀仏 合掌

来世(死後)の往生ばかり願っている浄土宗は、なんて暗い宗教だと思うでしょうか?
それは誤解なのです。
あの世は極楽浄土だと思えば、二度とあの世の心配をしなくていいわけだから、あとはこの世をどう生きるか、気楽に考えられるのです。
夏休みの宿題がお盆前に全部終わったような気分で、残りの人生を遊びましょう。
南無阿弥陀仏 合掌

2019年1月30日 12:36
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有り難し
おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

皆様、ご回答ありがとうございました。
1人で悩んで考えることが多く、辛くて気が重かったのですが、心が少し楽になった気がします。
機会があれば仏教について勉強してみようと思います。

「輪廻転生」問答一覧

死んだら輪廻転生しないですよね?

先程、寒いのに蚊が飛んでいたので殺してしまいました。菩薩心を持ちながら感謝の気持ちを持ちながら申し訳ない感情で、手を洗剤で洗い手に付いていた細菌を信じられない数で殺してしまいました。しかし人生上手くいっている人は細菌など意識すらしないでしょう。感謝や申し訳ない気持ちすらなく手を洗い成功しています悟りに近いのでしょうかね。 はてさて、これらの生き物は輪廻転生するのでしょうか?  私にはお婆ちゃんがいましたが、認知症になり自分すら認識できていませんでした。 お婆ちゃんが亡くなりましたがお婆ちゃんという根底の存在?アートマン?それってなんだったのでしょうか。自分すら認識できない彼女の根底の意思とはなんだったのでしょうか? ISISというテロ組織が色々ロケットランチャーで1人を殺害する動画を作っていました。 ロケットランチャーで跡形もなく粉のようになっていました。 死んだ彼はなんだったのでしょうか?原子が組み合わさった物としか思えませんでした。 私が輪廻転生して、また再び人に生まれたとします。それは私ではないのでは?私とは?今の私というのも曖昧です。記憶を喪失したら私? もしそれも私なら今IQが高い人のみ輪廻転生できて、自分すら認識できない人間は輪廻転生してまた人間になったら自分すら認識できない存在? 少子化とは言いますが70億人に人口が膨れています。 さて、それまでの輪廻転生があるとしたら60億人ほどの魂はみんな人間界に一斉に来れたの? 死というのは、ただ肉片になるだけではないでしょうか?そうとしか思えない感情が湧いてきます。 踊って唱えるだけで悟りを得れるのなら、知能の低い人や認知症もそれができないとおかしいでしょう。 やはり救いはなく、死という拷問に近い形の苦しみを受けて全てが抹消されて苦しい気持ちを得たという事実だけが残るのではないでしょうか。 もちろん人生楽しんだ恵まれた人は生まれつき遺伝子や環境に恵まれてるので、仏教も興味なくて人生に何の疑問も持たなくてただただこの世界は楽しみだったという感情に溢れてるんじゃないですか。(それこそもはや輪廻転生のせいというか生まれつきの条件を輪廻転生側が選ぶという暴挙) まあなんであれ死んでも輪廻転生なんてないし素粒子になるだけだよね。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

輪廻があるなら、私は天界も地獄も見て来たのでしょうか?

こんにちは。 前回質問で、輪廻思想がどうも腑に落ちない、と主張した者です。 ただ、輪廻に限らず、事物が「ある」とも「無い」とも断定するのは中道の教えに反すると感じるので、輪廻思想の側からも質問させてください。 輪廻転生があるなら、私は六道あらゆる世界を見て、生きて来た事になりますよね。何しろ仏教の宇宙観は無数劫の時間スケールで成り立ってるのですから。 また、私は、いわゆる地球外生命というものも、必ずどこかの惑星で誕生し生を営んでいると信じています。 そうなると、私の魂(?)は天上界のめくるめく壮麗な世界も体験して来たし、地獄の底の恐ろしい責め苦も受けて来た事になりますよね? また想像を絶するような異星の光景も目の当たりにしてきたのではないでしょうか? 輪廻転生が教えているものって、 「そういう一切合切の有情は、別個に生きているのでなく、過去、現在通して、物質から魂のレベルまで、密接に繋がって生きてるんや。天人も地獄の衆生も、あらゆる命も決して他人事じゃおまへんで。なにせアンタがそれ自身だったんだからな。」 と言っているようにも思えるんです。なぜか関西弁ですが。 そういう所から、いわゆる慈悲って生まれるのでは無いでしょうか? 生前や死後を無記とするのは「智慧」ですが、また輪廻をわが事として受け止めるのは「慈悲」の根源なのかな?とも思います。 この2つの考えは矛盾するものではないとも、私には思えます。 お坊様方は輪廻と言うものをどのように受け止めてるのか、気になったので再び質問させて頂きます。 お考えを聞かせて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

輪廻の主体

輪廻転生の事を考えると胸が痛くなります。何故仏教は命を一回限りとしないのでしょうか。 もちろん今ある生も今生限りのものですから人生が一回限りであることには変わりありません。 ただ殉教、殉死、心中等を遂げた歴史上の偉人の前世や来世が全く下らない物だったかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになります。 自分の運命や人生を全面的に肯定して死に切ったとしても、過去世や来世の全く違う人生によって矛盾をきたしたものになるとしたらどうでしょうか。 「七度生まれ変わって朝敵どもを皆殺にしたい」と言って自決した楠木正成が果たして貧民街の子供に生まれ変わる事は無いと誰が言えましょう。 彼は生まれ変わりを願いましたが、あくまで自分の人生を貫き通す意思であり、運命愛に過ぎません。 生涯不犯を誓って異国で命を落とした宣教師達の前世がどこかの売春婦であると考えただけで吐きそうになります。 もしそれで良いのならこの世での清貧、忠義や誠意も全く無意味なものとなりますから。 ただ輪廻思想が広大無辺な仏教の歴史の中で偉大な説法者達に受け継がれてきたものである事は否定できませんし、 私は至らぬ凡夫ゆえ仏教の各宗派の前提とする輪廻の教義まで仔細には存じ上げません。 仏教では、特に自性を認めない中観派では何が輪廻するとされているのでしょうか? 水車を廻す水や携帯を動かす電気のように、「私」ではない、「私」の生み出す執着そのものが輪廻するのでしょうか? 執着が輪廻するのであれば悟りを得た=執着を滅した釈迦が解脱に入られたと解釈できるように思えますが。

有り難し有り難し 36
回答数回答 3

輪廻からの解脱

回転寿司が大好きで週に一度は食べに行っています。 そこで、hasunohaの左上のロゴの類似であるホッキ貝より、味は赤にし貝、歯ごたえはつぶ貝が好きだなと気づきました。 気付いたんですが、ホッキ貝も食べますし、赤にし貝やつぶ貝のみ食べるという事をしませんでした。 そして回転するベルトコンベアを見て、自分の輪廻からの解脱は本当に難しいなと感じました。 今回の『輪廻』の定義は死んだ後の話ではなく、 『執着する限り何度でも苦が繰り返される、因果応報としての輪廻』です。 (本を見たりネットで調べたり人に聞いたりしたわけではなく、毎日自問自答しているうちに『生きているうちにも輪廻している』と気づきましたので、これは仏教やブッディズムでいう輪廻ではない、というご意見もあろうかと思いますが、その場合は正しい言葉を教えていただければ有り難いです) 気付いてもなかなかやめられない、そして心に余裕がなくなったら外的要因のせいにしている自分の心がいます。 ダンマパダや七仏通誡偈の中に、 諸悪莫作(サッバパーパッサアカラナン) 衆善奉行(クサラッサウパサンパダー) 自浄其意(サチッタパリヨーダパナン) 是諸仏教(エータンブッダーナサーサナン) がありますが、白楽天に言った道林禅師の『3歳の子供でも分かるが80歳の老人にもできない』という偈に自分の経験を当てはめて痛感しております。 僧侶の皆様は忘れてしまったらしょうがないのですが、忘れてしまいそうなときはどのようにして忘れないようにしていますか。 (忘れてしまいそうなときは忘れていないから、忘れることはない、という答えもあるでしょうが) 苦の輪廻を寿司で例えると味にアクセントを与えるワサビ(たまに多くつけすぎたり少なくつけたりして苦しむがちょうどよい辛さを探している)だと、勘違いしている自分がいるのかな? と迷ってしまっています。 いや、違う。ただ何も考えてないだけですね。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

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