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不安に押しつぶされそうです

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旦那の仕事が忙しくなり、仕事部屋に住み込むようになりました。
が、私は仕事以外の理由があって帰ってこないと思っています。

特殊な仕事なので、子供達は仕事が忙しいと信じています。
でもふとした時に、子供の前で、両親の前で、友達の前で、職場で、正気を失ってしまいそうになります。

このまま、おかしくなってしまったらどうしようと思います。平静でいるためにはどうしたらよいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

柔らかければつぶれない

24時間のゲームセンターの店主さんをしておられる方の奧様はダンナは7日に一遍しか返ってこないそうです。
自衛隊員のご主人を持つ奧様も数か月行ったっきり帰ってこないそうです。
うちの寺の宗派の本山に役職を持った友人の奧様は3年間旦那が帰ってこない僧です。
私は住職なのでほぼ自営業で毎日家に居て煙がられて、時々シッポを踏まれます。ギャワーン
あなたの置かれている状況。
これを失いと観るべきか自由の獲得と観るべきかはあなた次第。
あなたにとっては失いとみている。でも、それはそう思ったからその時だけが失いなのです。
確かに子供にパパがいないことは大変です。可哀想です。
ですが、子供は大人と違って素直にそれを学んでいます。
大人と子供の違いは、さらにそこに評価の後追いでザクザク傷つけてしまうことです。
え?ムリ。とおもわれるかもしれませんが、今度、居ない時間を親しんでみましょう。
ある主婦は居たら居たで文句言う。
居なければいないで文句言う。
ある主婦は居てくれれば感謝し、居ない時も貞淑にしっかり家を支え、イキイキとしている。
要は本人という事です。
あなたがグラつかないように生きる。
あなたと子供とのかかわりをしっかり務める。
それとは別に日頃ご主人にカリカリしていませんか?
なるべくウェルカムな環境を作って帰ってきやすい環境をまず調えることです。
その為にまずお子様たちとのかかわりを楽しみながらパパの帰還を待ちましょう。
職場で働く男性も女性もみな戦士です。
戦士には休息と癒しが必要。休息と癒しには暖かさが必要。あなたがふかふかのポヨンポヨンになってみてください。柔軟な方が変化に対応できます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

思い込む、ということの危険性

おそらくkomiさんは旦那の浮気を疑っていらっしゃるのでしょうか

それに関しましては絶対に無い、ということはありません。
何故ならそれは本人にしか分からないから。

そして本当に仕事が忙しいだけなのか、浮気してるのではないか、ということは考えるだけなら無駄なことです。
仕事が忙しいと言われても疑ってしまう以上、考えても本人に問い詰めるか現状を自分で確認するかをしなければいつまでも納得は出来ないことでしょう。
つまり曖昧な疑惑の状態から何も確たる証拠を持っていないにも関わらず確信に変わるのです、「間違いない」、「こうに違いない」、と。
ですがあなたの取得している証拠やアイテムが増えたわけではなく、それは「思い込み」が成長しているのです。
勝手に膨らみ続けているのです、それではkomiさん自身もしんどいままだし解決もしないでしょう。

もし正気を失いそう、おかしくなりそうと感じているのであれば、komiさんが何としてでも浮気の証拠を掴むか潔白であると確信を得る以外にありません。
そのためには仕事場に一緒に泊まるとか急に押しかけるとか、興信所を使ってもいいでしょう。
コストはかかるでしょうが正気を失ったり、おかしくなるよりよっぽどいいと思いませんか?

疑念というものは自分自身でもう抑えが利かないまでに膨らんでしまうと、明確な答えを入手するほうが手っ取り早い。
たとえどちらの結果にせよ、今のままのおかしくなりそうな状態ほど悪くなることはないでしょう。

一刻も早く心の平穏が戻ることを願っております。

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おきもち

質問者からのお礼

ご丁寧に回答をいただきまして、ありがとうございます。
まずは日々、少しずつ、色々やれることをやっていこうと思います。
迷ってしまう気持ちと戦って…がんばります。

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