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実の父親の振る舞いについて

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こんにちは。実の父親について、相談です。
私の父親は自営業で、一代で企業、私が子供のときは貧乏な時期もありましたが、現在60をすぎた今も会社役員として頑張っています。
子供を全員上京させ、大学にいかせ、仕送りもしていただき、(母との二人三脚)本当に感謝しているし尊敬していました。今回悩むきっかけになったのは、父が招待してくれた海外旅行でした。

父、私、私の夫の3人でいったのですが、父と会話、コミュニケーションがまったくできないぞ?と思いました。
そもそも自分が大好きな父でしたが、
話すことが全て
「他人はバカで、自分がすごい話」
「自分の母(私から見ると、祖母)、
妻(私からみると母)が間違えばかり
する、自分が正しい」
「自分に話しかけられた女性はブスも美人も喜んでいる」
「日本食が素晴らしい!ここの国の料理はまずい。」この5つの繰り返しでした。こちらからなにか話をしてもすぐ自分の話にし、祖母の悪口に関しては四泊の間で10回以上話していました。聞いたよ、と言ってもよっぽどショックだったのか何度も話します。

店員の女性にも「ビューティブルガール!」と話しかけ、みな接客業だから苦笑しているだけなのに、「女は褒められるのがうれしいんた。ブスなおばちゃん(自分より下)も、喜んでるぞ」と女性軽視していることに気づいていません。
その国の料理を食べようとしても「まずいもの食いたくない。美味しい和食を食べよう」や、現地のご飯を食べても「なんでこのスパイスいれるかな、余計な味付けして…日本料理は〜」となります。

一番嫌だったのは、父と私が2人になったときに、父が夫についての悪口(とろい、間抜け、容量が悪い)を私に話したことです。本当にやめてと言っても、その場では辞めても次の日には繰り返し。本人はブラックジョークとのことですが何一つ笑えないので悪口にしか聞こえません。「ムカついて車で260キロも出してやった!妻が悪くて腹がたった。俺は間違ってない」と聞いた時危なさを感じました。
①父ともう会話できないのか?
周りを傷つけていること自覚できないか。②男の更年期の場合、受診してもらう言い回しがないか。(プライドが高いので、傷つかないようにしたい)
③尊敬できなくなってしまった父への気持ちの行き所が辛いです。この3つで悩んでいます。御回答お待ちしてます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

過去をいただいて、今を考える。

質問読ませていただきました。

特に年を取ってくると、丸くなっていく人もいれば、我が強くなっていく人もいます。接していると「あれ、なんか昔とずいぶん違うな」と思うことも少なからずありますよね。心中お察しいたします。

さてご質問についてですが、60歳を過ぎたお父さんに自分の発言を自覚させることはとても難しいでしょう。シャララさんが「やめて」と伝えても、一向に直らないとのことのようですし。
少し強い言い方になるかもしれませんが「これまでたくさん尊敬していたのに、そんな言い方をするお父さんは嫌いだし尊敬の念が薄れていってしまう」と、気持ちを率直に伝えてみてはいかがでしょうか?大切な娘さんの言葉だし、ひょっとしたら聞く耳を少し持ってくれるかもしれません。
しかしそれでもどうしようもないというのでしたら、シャララさんが我慢して話に付き合うか、お父さんと話す機会を意識して避けるなどといった対処法を考えなければならないかもしれません。

また、更年期障害というのは誰もがなる可能性のある病気ですし、決して恥ずかしいことではありません。しかし、昔の人はそういった病状への知識不足から、「恥ずかしい」と思う人はいるかもしれませんよね。
ですので、「周りにそういう人がいて、とても苦しんでいる。お父さんにそんな思いをして欲しくないから、一度受診してほしい」といったような作り話をするのも1つの方法かもしれません。それに、受診してもらうことで、ひょっとしたら他の病気や悪いところが運良く早期に発見できるかもしれません。
60歳を過ぎれば、身体のどこかが悪くなっていても不思議ではありませんので、お父さんの身体が心配だ、というスタンスで話をしてみてはいかがでしょうか。結局は、それが本当にお父さんのためになるかもしれませんしね。

最後に、お父さんへの気持ちですが、過去にたくさんお世話になったのは動かしようのない事実です。ですので今と切り離して、過去への感謝の気持ちはしっかりと持ち続けるのが大切です。
人はどうしても、悪い部分が見えると全て悪く考えてしまいがちです。しかし、悪い部分もあれば、良い部分もあるのです。そこをしっかり分けて考え、感謝や尊敬する部分、苦手だから距離を空ける部分を自分で判断して下さいね!

何か少しでも参考にしてみて下さい。

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有り難し
おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
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「父親のこと」問答一覧

父親との付き合い方

都内一人暮らしの社会人です。 実家との距離はそれなりに近く、ペットに会いたいこともあり、三ヶ月に一度程度帰省することがあります。 仕事を休んでいることや体調のことは伝えていません。 その度に、父親との会話の噛み合わなさに傷つくようになりました。 ・冗談や会話が通じないことが多い。 ・母との会話に割り込んできて、自分が中心にならなければ、会話を中断させる。 ・人に手間をかけさせるな、自分でやれ。と言う割には、一泊二日の入院程度(骨折)に私を呼び寄せ、面会時間がすぎたから帰るねと伝えると、気が利かないなどと怒る。 ・一回り上の男性と交際しているが、そのことに対して「もっとまともな人間だと思っていた」と言われる。 ・親戚との集まりに呼ばれた際に「お前は余計なこと言うなよ」と言われる。 ・大学生時代、アルバイトで貯めたお金で買ったウイスキー3万円分を捨てられた。 ・成人済みでタバコを吸っていたら殴られ、罰則として、門限20時までを設けられた。 などと傷つくエピソードが多かったです。 学費を出して、育ててもらったことには感謝しています。(勿論、伝えています) 私は学費以外を高校生からアルバイトで賄ってきましたが、弟は全て親から出してもらっており、お小遣いまでもらって、優遇されているように感じ、疎外感を感じます。 母とペットは好きで、時折会いたくなるのですが、父との付き合い方はどうするべきでしょうか。 なるべく流すようにはしていますが、それでも傷つきます。

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父との関係で将来実家に戻るか悩んでいる

大学卒業後、実家に戻って就職するか、一人暮らしを続けるか悩んでいます。 現在大学四年生で、人間関係の構築、勉強、バイトが辛くて去年不安障害と鬱状態が強くなり引きこもってしまい、半年〜一年留年予定です。 私が一人で生活できない状態なので、母は「早く帰って来て」と愉します。 しかし私の父がズレた人で、帰省が不安です。 教育費は十分に与えてくれ、留年も認めてくれたので、金銭的にはとても援助してもらいました。十分恵まれていることは承知しています。 ただ、父親は非常に不安定な性格で、収入が減るなど気に入らないことが起こると暴力的になることが怖いです。 小さい頃は泣けばうるさいと脅され、私が小学生〜中学生のときは「道で卵売りでもしたら」「腎臓を売ったら」「塩酸の海で泳いで」「AV女優〇〇(私の名前)の□□が見れる」と言われました。他にもセクハラめいた発言をされました。本人は奇声を上げ大音量でヘビメタを流しうるさいのに、私達には包丁で脅したこともありました。 母に至ってはよく叩かれたり首を締められたりしていました。 清潔感も皆無で、食べ物や飲み物をあちこちに飛ばします。父親が寝そべる床は油で滑ります。 こんな性格の父は高学歴で、私も同じ大学に入学しました。 進学で遠方へ引っ越したから母は「〇〇ちゃんは逃げられるけどお母さんは一生逃げられない」と言っていて、母が可哀想に思えました。 私がいるから離婚できず、父の死亡後の保険金を狙っているようです。 また実家に自分の部屋がないこと、貧しくないのに歯列矯正を受けさせてくれなかったことが引っかかっています。歯列矯正は将来私が貯金して受ける予定ですが、母は矯正なんて気にしすぎだ、という感じです。 以上の理由で帰省が怖いです。 一方で、私が去年から生活が困難で勉強できずゴミ屋敷に住んでいる状態なので、実家先で就職してもいいのでは、とも思います。 最近私が冬休みなどで一時帰省してるとき、父親はケーキや美味しいものをくれるようになりました。以前より暴力性が収まった気もします。けれどそのケーキが歪んだ愛情表現のように思えてなりません。 親に対してお金と食べ物にしか感謝できない娘は最低ですか? 私は実家で安心して過ごせるでしょうか? 就職後も一人暮らしをして自立した方がいいのは分かっていますが、体力的・精神的に厳しそうです。

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父の死が受け止めれない

今年の8月30日に父が癌で他界しました。 享年60歳でした。 今年の初めより余命宣告を受けており、亡くなる2ヶ月ほど前から看取りの方針で同居することになりました。 私は看護師をしているのですが、現在育休中で他の家族より長い時間共に過ごし、点滴等の介助、病院の付き添いも行っていました。 入退院を繰り返してきてた父でしたが、 他界する数日前に「しんどいから病院へ行きたい」と口にし、入院となりました。 点滴加療で身体のしんどさは軽減し持ってきた梨まで食べてくれるまで元気になっていました。 早く帰ろうな!また来るわ!と言ったのが 最後2日後に危篤状態になって亡くなりました。 余命宣告を受け医師から何度も話をしてもらい 看護師をしている上で経験上他の人よりわかることも多かったのですが、いざ本当にいなくなってしまうと受け入れれない自分もいます。 その反面淡々と葬式の準備や、死後の身辺整理等を行っている自分もいます。 現在子育て中ということもあり、哀しみに浸るということはなく、父がいなくなっても当たり前の日々を過ごしています。 時間がある時に父との思い出を 思い出そうとすると頭の思考が拒絶して 亡くなる前のことも考えることを自己で阻害してしまいます。 悲しんであげるのを父は望んでいるのではないとは思いますが、淡々と法事をこなし、 日常を過ごすことにすごく嫌気がさしてしまいます。 忘れてはいません、しかし具体的にこう話したりこんな様子だったということを振り返ろうとしても考えられません。 こういう時はどうしたらいいですか。

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父と距離を取り、自分の道と向き合う勇気を

私の父は自閉スペクトラム症です。それは別に気にしていないのですが、とにかく敵を自ら作る癖、これに私や家族、そして本人がとても苦しんでいます。 気にしなければ良い事に一々反応しては、見下したり怒りを撒いて、自分も他人も傷つけます。職場でも似たような事をしているらしく、自ら敵を作ってはパワハラを行い、そのせいで職場をリストラされてしまいました。 家でもいつも何かしらの愚痴や文句、罵声ばかり。その矛先は家族にも飛び、私自身も精神的虐待を受けてきました。 私としては父には父自身や父の大切な人の幸せを願い、人生を楽しんで人と喜びを分かち合う。そんな人生を送れたらきっと父も幸せなのではないかと思い今までそうなれるよう助言などをして接してきました。 しかし父は自身にとって嫌な事は全部他人のせいにする癖がやめられないようで、こちらの意見に耳を傾けてくれません。傾けても聞いてやっていると言う意識でいます。 父を助けようという気持ちは私のエゴ。父は望んでないかもしれないし、逆に私が父に望みすぎではないかと言うのは承知しています。ですが今のままではあまりにも苦しそうで…見捨てられずにいます。しかし私自身が疲れてきているのも事実です これは父自身の課題でもあるし、父の心を変えられるのは父だけだと思うので彼とはもう距離を取り、私は私自身の課題や道と向き合おうと思うのですが、勇気が出ません。 なのでどうか私に、父から離れ自らの道と向き合う勇気を下さい。 励ましや応援、出来れば助言などを貰えると幸いです。

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愚かさで父の寿命を縮めてしまった

 コロナ前のことで、父は神経難病末期で、何度目かの誤嚥性肺炎で入院しました。療養型病院なので積極的な対応はあまりなく、嚥下困難で食事に時間のかかる父の希望で、食事介助に行っていました。 そして家にいる時と同様に、あるビタミン剤を飲ませていました。 医者にはいい顔はされないと思ったので、独断でこっそりと。 1か月ほどして、主治医から呼ばれ、体の全部が機能しなくなっているので、と暗に覚悟をするよう言われました。ここでようやくビタミン剤を飲ませるのを止めました。 その後しばらくして容態が急変し、このままここで治療するか、急性期病院に転院するか尋ねられた時、一瞬頭をよぎったのが、ビタミン剤のせいかも、急性期病院で詳しく検査して、状態の悪い父に勝手に飲ませていたのがわかったら非難される、ということでした。すぐに母が父の負担を考えて転院を否定したのと、主治医から治療そのものはここでも特に変わらない、と聞いたので、どこかホッとして転院しないことを決め、父はその後亡くなりました。 後に主治医にビタミン剤を飲ませていたことを告げましたが、特に父の病状には関係なかったとの返答でした。 しかし、飲ませたことも愚かでしたが、転院に躊躇したのは、自分の保身とエゴです。あの時、急性期病院で積極的な治療をしていたら、もう一度持ち直したかもしれない、と今更になって毎日悔やんでいます。 父は嚥下困難でも何とか食事を口にしようと懸命で、全部機能していないと言われる体であっても、必死で自力でトイレに行こうとしていました。 そんな父の命の瀬戸際に、母が希望しなかったのをいいことに、己のエゴで父の寿命を縮めてしまいました。  自責の念と後悔で、胸が苦しいです。正直、死んで詫びたい気持ちですが、残される母のことは心配するな、と最後に父に約束したので、今はそれは出来ません。母には経緯をすべて話しました。母は父の状態からあまり積極的な治療を望んでいなかったようです。しかし、父自身は一日でも長く生きたいという強い思いがあった気がします。  この罪の償い方をお教えください。

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父の変化は私のせいなのかもしれない

いつもありがとうございます。 また、父のことで相談させていただきます。 母が亡くなり、施設にお世話になっているのですが、最近は時々妄想のようなことを口にしているようです。 若い時から、思い込みなのか常識から外れたことを口にすることがありました。 またお父さんの妄想が始まったとあまり関りを持ってはいませんでした。 母がそばにいたので母が常にたしなめていたようです。 今現在母もいなくなり、寂しい思いをしているとは思います。 私は月に3から4回は父に会うようにはしているのですが、歩くのがおぼつかなくなってきており、一人では外に出ないようにさせています。 もっと自由にさせていたほうが、父は元気でいたのではないかと最近考えています。 施設のほうからの依頼もあり、一人での外出をさせないようにする選択をしたために父の元気を奪ってしまったのではないかと考え始めました。 歳をとり仕方のないことだとはわかっておりますが、父に対して申し訳ないような気持ちになり、心の整理がつきません。 本当にいつも愚痴のような相談になり、申し訳ないのですが、父の老いをきちんと納得でき、私自身の心の整理ができるようにお言葉をもらえればと思います。 お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

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父親を憎いが放っておけません

一昨年母が亡くなり、父と主人と私の3人で暮らしています。 母が亡くなりしばらくしてから父は引きこもりになり早1年半がたちます。 小さいですが会社の社長をしていますが仕事のこともほぼ放置し社員に丸投げしている状態です。私も事務をしています。  私が過去にうつ病になった時に「俺から言わせりゃ仮病、そんな辛いなら死ねばいい」と言われました。 そんな父の近くにいたら治らないと思い、家を出て一人暮らしをし、結婚して、15年ほどたちましたが母が亡くなり結局は父を放っておけず実家で暮らしています。 やはり父の性格は変わるはずがなく、私がやる事は父にとっては全て当たり前のようです。「ありがとう」「ご馳走さま」「お願いね」などの言葉は一切なく、それどころか文句を言われます。 機嫌が悪いと明らかに表情もムスっとしており、指摘したら「こういう性格だ」と言われました。それ以外にも気に入らない事があると物に当たったり大きな声で怒鳴ります。 私ももう耐えられなくなったので「住むところが見つかったら家を出ていく」と言うと物を投げつけ怒鳴られ、しまいに自分の手の甲にボールペンを何度も刺して「死んでやる」と暴れていました。完全に病気だと思いますが病院にも行ってくれません。 離れて暮らすのが1番だと思いますが何故か放っておけません。このままでは私が病んでしまいそうです。 現場へ行かなくてもせめて事務所には行ってほしいですし、暴れるのをやめてほしいです。自分だけが辛いという考えはやめてほしいです。1番辛かった時に「死ねばいい」と娘に言う事も信じられません。 私がしていることも全て当たり前ではないことを分かってほしいです。会社のことがあるから家を出ることも躊躇しているし、やはり放っておけない気持ちも消えません。 それでも家を出れば良いでしょうか?それとも私がもっと頑張って嫌な態度や言葉はスルーして賢く接するのが良いのでしょうか?後者ができればとてもラクだと思いますが許せない気持ちも消えません。でも放っておけない気持ちも消えません…。毎日その繰り返しで苦しいです。 何か良い方法はないでしょうか。 どうか宜しくお願い致します。

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入院中の父が転院せず退院を希望しています

病院嫌いの父(79)が救急車で運ばれ、初めて入院しました。 付き添った母の話だと、病院の方からは疑いのある病名も聞かされていないのですが、ウイルス性の肺炎だけでなさそうなので、専門の科があるところに転院して検査・手術を検討したほうが良い。 ただ、またコロナが増えてきて転院先がなかなか見つからない。 見つからない時はこの病院でできる治療をして様子を見ます。とのことでした。 入院3日目、母に会って父の様子等の話を聞き『早く元気になって また遊ぼうね じぃじ がんばれ!』というメッセージと、子供達の写真を載せたカードを「明日渡しといて」と託して別れました。 その日の夜、父から着信がありました。 「俺、退院しようかと思って。 治るかもわからないのに、転院してまた検査で痛い思いをしたくない。 テレビもないし、お粥も頑張って食べても半分くらいしか喉を通らないし、動けないし、このままじゃどんどん弱っていってしまう」 私は泣きながら 「病院嫌いのお父さんが初めての入院だから、気が弱ってるのもあるんだよ。 子供達も『じぃじ、じぃじ』ってお父さんのことが大好きなんだし、頑張ってほしい。 七五三やランドセル背負った姿も見てもらいたいし、まだまだ長生きしてほしい」と伝えました。 すると父から「だからこそ元気なうちに退院して、孫達と遊んであげたい。 もうここまで生きたんだし、その時はその時だ。 まぁ、そんな相談をお母さんにしようと思ったんだけど、電話が繋がらないんだ」 その後、父と話したらしく母から着信がありました。 「『◯◯(私)は何て言ってた?』って聞いたら『お父さんの好きにしたら?って言ってた』って聞いたよ。だから『先生に退院したいって伝えてみたら?』って言ったんだ」 私の気持ちを伝えても、父は母に嘘をついたようです。 私が伝えた言葉を話すと 「検査がよっぽど辛かったんじゃない? お父さんの好きなようにさせてあげようよ。 今すぐ亡くなるって決まってる訳じゃないんだし、好きな物食べて飲んで、足は達者な人だから散歩して。 孫達と遊んでたら、入院中の今より元気になるかもよ」とのことでした。 父や母の思いもわからなくもない気持ちと、検査を頑張ってもらって、長生きしてほしいという自分の気持ちがせめぎ合っています。 退院してきたら今まで通り接することができるか自信がありません。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ