自分が分からない、信用できない
私は頭が悪く偏差値低い大学を受験する予定です。正直浪人したいですが親が中々話を聞いてくれず、今やりたいこと将来の夢などがハッキリせず大学入って見つければ?と親からも先生からも言われます。
しかし私は見つからないと思います。環境も変わるから 大学で見つけるものという考え方は理解できますが怠惰な大学生活と妥協した生き方しかできないと考えています。たしかに経験せずして語ることはできませんが。
誰かがやれないことを挑戦してみたり、他人が幸せになることをしたいとは思ってはいるのですが本当に自分の本心がそうなのかは疑問です。
果たして偏差値の低い大学で選択肢も狭い中で見つけられるのでしょうか。
そのような条件にしてしまったのは自分自身が悪いのですが高校時代成功したことが一切なく思い悩んだり計画しても何一つ得られず、ずりずりと今まで引きずってきてしまいました。
自分が死んでも誰かが幸せになってくれれば良い、自身を無価値などと思えるくらい自分が嫌いで信用できずよく自暴自棄になります。
環境が変わったからと言ってそれは本当にやりたいことなのか。遊んで大学暮らしたら自分の考えがよりわからなくなるのではないか。と不安も色々あります。
どうしたらいいかもう分からないのです。何かアドバイスお願いします。このままだと耐えれません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今までの自分はダメだった。
こんにちは。お久しぶりです。前回の「バイトして海外で暮らしてみる」は検討してみましたか?
今までのあなたの質問(3つありますね)を読んでいると、同じことを繰り返して言っているように見えます。つまり「俺の欲しい寿司ネタが流れてこないなぁ」とばかり、10分も20分も回転寿司の椅子に座っているだけのよう。
「今までの自分はダメだった」、そうですか。でも「今自分が何をするか」の自由は、私たち常に持っているのですよ。過去を変えることも未来を憂うことも、それだけでは無意味。「…だから今、こうする」という「現在の行動」を制御するものでなくては、意味がないのです。
ということで、「今までの自分はダメだった。そして、今の自分は」どうするか?行動の時だと思います。
変化を恐れるプライド、変化を面倒くさがる怠け
自分のやりたいことなんて、わからなくて良いのです。
社会に求められる存在になりましょう。
私の知人で、昔、こんな人がいました。
普通に就職してしまったら、自分が普通の人だと認めることになる。
だから、就職できなくても夢を追っていたい。
それは、プライドの煩悩と怠けの煩悩ではないでしょうか。
もちろん、本当に本気でつかみたい夢があるなら別ですが、
特に具体的な夢がないなら、家族や周囲の期待に応えて、普通に進学して普通に就職して普通に働いて普通に国に税金を納めればよい。
それで充分社会貢献になります。
何をやりたいかではなく、自分が何をやってきたかという経験が、今後、あなたの本当の実力になっていきます。
本当にやりたいこと以外はやりたくない、というような姿勢ではなく、
何でもやってみれば、そのうち自分に合ったもの、自分だけの経験や技術が身に付いていくのだと思ってみましょう。
(すでにあなたも、頭では理解しているでしょう。)
変化を恐れるプライドと、変化を面倒くさがる怠けを、克服するように頑張りましょう。
ちなみに、私は学生のとき、たまたま入ったサークル活動、たまたま始めたバイトがありましたが、
そのたまたまの経験が、就職活動や、今の人生に多大な影響をもたらしました。
バイトとかで、普通に毎日やっている仕事や作業ってありますよね。
それって、やっている人にとっては「当たり前」なんですが、やったことない人と比較すると「プロのわざ」なんですよ。
自分独りではなかなか毎日努力できません。
学校や部活やバイトなど、他人に「やらされる」環境に身をおくことで、「プロのわざ」が近づくのです。