回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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いつも通りに
もし、質問者さんが病気になられたとします。
病気の人だから、病気の人だからと言って特別扱いされたり、変に気を使ってもらったり、今まで通りに接してもらえなくなってしまうと寂しいものではないでしょうか。
まずは、今まで通りの関わりが大事だと思います。
寂しいことはないか
つらいことはないか
できることはないか
手伝えることはないか
尋ねられたとしても「じゃぁ、これをお願い」とも言いずらいものではないでしょうか。
お友達として一緒に過ごしてきた中で、共有し合ったものなどをお持ちになったり、同じく共有できることなどのお話をしたら寂しさを紛らわすことができるかもしれません。
仏教においては病苦を超えるべきことが説かれますが、それはご本人様がそれを望んでいない限りは周りの方が説いても中々耳には入らないものでしょう。
病気の苦しみからの救われというのは、病の中に合って病を厭う心を無くすことです。
私もがんという程ではありませんが、ずっと咳の止まらない風邪が続いております。
病と言いましても一日中、その痛みが続いているというワケではありません。
そのピークがつらいという事がある。
痛みがつらいという事がある。
痛みに関しては現代の医療ではある程度緩和する事もできるでしょうから、痛みを無くしさえすれば病気の苦しみは軽減できるでしょう。
あとは、今までやれていたことが、それによってできなくなってしまう事。
家族を守れないこと、家族を経済的に困らせてしまう事、保険に入っているかどうか。
万が一の時に保険に入っていないのであれば、金銭的な援助も可能な限りしてあげることも大事だと思います。
自分も大変であっても友の為にできる範囲のことをしてあげる。
何の条件付けもなく、ただ、ただ。
「俺にとってこいつは大事な奴。だから、この位はしてやって当たり前。」というところをあなたが考えて惜しみない献身をしてあげてください。
現代はガンを治すことに誇りを持っている医者も沢山います。
お定まりのマニュアル通りの抗がん剤治療で治るか治らないかは本人次第というドライな医療もあれば、患者一人一人に合わせた治療をしてくれる方もおられるでしょう。
ガンを治した実績のある方を調べて紹介するという方法もイイでしょう。
完治されますことをご祈念申し上げます。
質問者からのお礼
丹下覚元様。この度はお返事ありがとうございました。友人は以前から人生を諦めているような発言をしばしばする事があって。友人の親子関係。大切な人との死などが原因かと思います。本人は昔から自分の苦しみ悩みなどを話す事人間ではないので余計に心配です。いつも通り側で素のままの自分で寄り添いたいと思います。ありがとうございました。