雨ニモマケズ
宮沢賢治さんのこの詩が好きで、小さな額をあえて何の説明もせず子供部屋に掛けて、自分の部屋にはそれなりの(1万円以上したような)額を掛けています。
仏教に興味を持った時にすがる意味で小さな阿弥陀様の仏像を買ってみようかなと思ったんですが、いざとなるとやっぱり恐れおおくて買わずにいたんですが、何か手を合わす対象が欲しくて、この詩がいい感じの額に入ってたので購入しました。
見かえしてみると詩の最後に、そういうものに私はなりたい。と言うように簡単なことではないと思いますが、でも生身の人間でもバカな私でも努力しだいで出来なくはない、生身の人間の最大限のことが仏教の教えを通して書かれたいるのかなと思いました。
仏教に八万四千の法門があるといわれるのは、私のようなバカでも通れる道があることの例えなのかなと思います。
にも関わらず虚しく思うのは愚痴ばかりで、歩んでいなかっなからですね、仏(皆さん)の慈悲に慰めっぱなしではいつまでたってもですね、今を尽くして行こうと思います。
仏教を2500年の間繋いでくださり、有り難うございます。
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そのままでいいんだよ、
頑張らなくていいんだよって
宮沢賢治は仰っているんだと思います。
他の人からの評価なんかに縛られない者になりたい
ってことです。
それが1番強いです。
出来ることをしていって
出来ないことは無理しなくて構わないんですよ。
質問者からのお礼
和田隆恩 様
回答有り難うございます。
・デクノボウ
・褒められもせず、
苦にもされず
他人の評価からは離れてますね。
無理なこと大きなことは長続きしないと思うので、やるべきことやっていこうと思います。
出来ない自分や抱えきれない虚しさはナンマンダブで阿弥陀様におまかせします。
追伸
お寺を調べてビックリ(^^)