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死ぬのが怖い

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有り難し有り難し 22

今すぐに死ななければならないのですが怖くて死ねません。死後の世界などないのは分かっていますが死ぬのが怖くなくなるような話はないでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

『道理をわきまえる』。

なぜ死ぬのが怖いと思われますか。

私には
『今すぐに死ななければならない』というその考え方じたいが
そもそも怖くてたまりません。

なぜそんな話になるのか。
何があなたをそうさせるのか。

悪いのはひとえさんではありませんよ。
何がひとえさんをそうさせるのか。
そこに原因があるのであって
ひとえさん自身が悪いのではありません。
ということは
『今すぐに死ななければならない』理由は
ひとえさんには無いのではないでしょうか。

別に私は、善意で「死んだらだめだよ」ということを申し上げたいわけではないです。
軽々しくそう答えることは
むしろ仏の道に反してさえいるのかもしれません。

私の宗派では
『物事の道理をよくわきまえなさい』という言葉があるのですが
私はこの意味がなかなか分からなかったんですね。
道理というと、論理とか正しい考え方とかをいうんだろうかと思うところですけれども
どうも違う。

でも今にしてみれば
すごく懐の深い言葉だなとも思うのです。

『物事の根本にはかならず原因がある。』
これを仏教がさんざん口酸っぱくして主張する理由は
ただ単えに

『あなたが悪いのではない』
ということを言いたいからではないかと思うのですね。

誤解も反論もあるに違いない言葉なのですが
(だから仏教は理屈っぽいのかもですが)
私の中ではこれは、究極的な言葉でして

この言葉の為に生きている、と自らを規定して
生活しているのが私なんです。

自己弁護と捉えられても致し方ありません。
でも大事なのは
『死ぬ前に、ひとえさんが「自分の存在を悪いもの」「亡きもの」にしようとする、
その理由が本当に正しいかどうかを
突き止めてからでも遅くない。今すぐということはない。
だまされるなよ。』

と申し上げたい、ということです。
この『だまされるなよ』が、『物事の道理をわきまえなさい』という言葉の
意図なのだと私は信じています。

『今すぐ死ななければ』。
すごく乱暴でプライドの高い言葉だと感じます。
きっと死んでもその自意識の高さは残るでしょうね。
でもそれはひとえさんが悪いのではない。

自分は悪くないのに死んだら
悔しいと思いませんか?

怖さは感じないでしょう。
でも悔しさ、恨めしさはずっと続くに違いありません。

                       南無釈迦牟尼仏 合掌

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有り難し
おきもち

吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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生きてもいいのですよ。
前回のご質問から2年ぶりですね?
まだ他人とのコミュニケーションで苦労していますか?
何か行動されましたか?
例えば下記のような相談サイトもあります。
電話相談も記載があるので相談してみてはどうでしょうか。
http://www.pref.kanagawa.jp/docs/ch3/cnt/soudan/index02.html

死ぬ恐怖を克服する前に、生きる辛さを克服する方向に向かってみませんか?

お返事ありがとうございます。
一年よく頑張りましたね。
友達ってなかなか大人になるとできないものですね。私も仕事以外の付き合いは皆無です。
いっそお見合いなどで人生のパートナーを探してみるのもいいかもしれないですよ。
あなたがしてみたいことを手伝ってくれる人をこれからも探してくださいね。
あなたは決して無駄なんかじゃありませんよ。
あなたらしく生きていいのですよ。
ご自分を責めないでくださいね。
またハスノハに近況でも何でも投稿してくださいね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

もう11か月も前になってしまいました。
せっかくお時間を割いて答えていただいたのに、お礼もせず申し訳ありませんでした。

どうせ死ぬのは怖くてできません、なおさら申し訳ありません。
やはりわたしはさっさと死んだほうがいいような気がしています。
生きていても無駄だからです。価値がないからです。私は私にそう思います。

友人は結局できませんでした。頑張れなかったです。
なのに、他の人同士が仲良くなっているのが、妬ましくて仕方ないです。
他人に話しかけるのも共感するのも媚びるのも好きになるのもうまく出来ない。
自意識過剰とプライドの高さを直せませんでした。
考え方も変えられませんでした。
頭も悪くて教養もないので、人が何を言ってて、他人同士がどう共感しあって、
仲良くなっていくのかも全然わかりませんでした。

自分がなりたいまともな人間になれません。それが無様で恥ずかしい。
何が好きか嫌いかもよくわからない。いや、嫌いなものは増える癖に
好きなものが何もない。生きていて無駄だと思います。

してみたかったことは、他人がいなければできないことでした。
それが楽しいかはさておいてしてみたいことでした。
でも他人にとって価値のある人間にはなれませんでした。
他人の為に生きたくないから当然かもしれない。

生きていても無駄なのは、全部自分が悪いんです。
両親もすこしまともではないけれど別に暴力を受けたわけでもない。
甘やかされて育って学校も行かせてもらって現在まで健康。

なのになんにも誰も好きになれず、結局甘ったれた根性で
時間を全部無駄にしてしまっている。しなきゃならなかったことや、
したいことがなにひとつできなかった。甘ったれてて意気地がないから。

悪いのは私です。私の考え方と甘ったれた根性が全部悪いです。
今すぐに死ななければならないじゃなくて、多分
今すぐにこの価値がなくて無駄で無様な人生から逃げたいでした。

どうせ怖くて死ねません。申し訳ありません。
面倒をかけてすみません。
大げさなことを書いてすみません。
もっと本当に、深刻に大変な人がいるのに、こんな幼稚な質問に
答えてくださってありがとうございます。
本当に恥ずかしいです。
せっかく答えていただいたのに、理解できているかもわからない。
こんなに意味不明なことをばかり書き連ねて、恥を上塗りしています。
相手にしてくださってありがとうございました。
本当に死ぬのが怖くなければよかったです。

「死ぬのが怖い・死恐怖症にお坊さん知恵袋」問答一覧

親離れと親の死に対する恐怖心

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初めてご相談させていただきます。 私は死にまつわる物事に異常な恐怖を感じます。 例えばお葬式、葬儀場、霊柩車、火葬場、お墓などです。 始まりは小学生の頃、親戚が亡くなり初めて遺体を見ました。今でも忘れられないのですが、母親から幽霊の話をその時に聞かされて恐怖で逃げ出したい気持ちになりました。その後、成人してから父型の祖父が亡くなった時に初めて火葬場に行きましたが、とてつもなく怖くて出棺後を見届ける事ができませんでした。その後祖母も亡くなった時も怖くて立ち会わず恐怖に苦しみました。 私はどちらかと言うと母方の祖父母の方で育てられました。その2人もこの10年で亡くなりました。その際は最期まで見届けて、骨上げにも立ち会う事ができました。 しかし、その後異常な行動が始まりました。死にまつわる物事に異常なまでの反応をします。 例えば葬儀場の近くはなるべく通らない。 喪服を着てる人を見かけたら、その人が歩いていた所はジャンプしてまたぐ。 電車で見かけたら車両を変える。 霊柩車が通った道は遠回りしてでも避ける。 葬儀に参列した際はその時着用していた下着やシャツなど全て処分する。 カーナビなどで、〇〇苑【葬儀場や火葬場】と言う言葉を見つけると異常なまでに恐怖を感じる。その日、何時間も気にな楽しめない。 霊柩車を1日に何台も見つけてしまう。 小さい頃、霊や悪霊が悪さすると母親から刷り込まれ今だに目に見えない不思議な物を信じて恐怖にかられています。 霊が私に何かするんじゃ無いか?不幸を連れてくるのでは無いか、呪われるのでは無いかと、毎日恐怖にビクビクしてとても生きづらいです。お墓の近くを通ったりした際はすぐに洗車に行きます。 コロナが始まってから余計にこの強迫概念にかられとても苦しいです。 僧侶の皆様にこの様な質問は失礼に当たるのでは無いかと何年も悩みましたが、勇気を出してお伺いします。 どうかこの強迫概念が少しでも楽になる助言をいただけましたら幸いです。 よろしくお願い致します。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ