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死ぬのが怖い

回答数回答 2
有り難し有り難し 16

今すぐに死ななければならないのですが怖くて死ねません。死後の世界などないのは分かっていますが死ぬのが怖くなくなるような話はないでしょうか。

2019年2月17日 18:28

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

『道理をわきまえる』。

なぜ死ぬのが怖いと思われますか。

私には
『今すぐに死ななければならない』というその考え方じたいが
そもそも怖くてたまりません。

なぜそんな話になるのか。
何があなたをそうさせるのか。

悪いのはひとえさんではありませんよ。
何がひとえさんをそうさせるのか。
そこに原因があるのであって
ひとえさん自身が悪いのではありません。
ということは
『今すぐに死ななければならない』理由は
ひとえさんには無いのではないでしょうか。

別に私は、善意で「死んだらだめだよ」ということを申し上げたいわけではないです。
軽々しくそう答えることは
むしろ仏の道に反してさえいるのかもしれません。

私の宗派では
『物事の道理をよくわきまえなさい』という言葉があるのですが
私はこの意味がなかなか分からなかったんですね。
道理というと、論理とか正しい考え方とかをいうんだろうかと思うところですけれども
どうも違う。

でも今にしてみれば
すごく懐の深い言葉だなとも思うのです。

『物事の根本にはかならず原因がある。』
これを仏教がさんざん口酸っぱくして主張する理由は
ただ単えに

『あなたが悪いのではない』
ということを言いたいからではないかと思うのですね。

誤解も反論もあるに違いない言葉なのですが
(だから仏教は理屈っぽいのかもですが)
私の中ではこれは、究極的な言葉でして

この言葉の為に生きている、と自らを規定して
生活しているのが私なんです。

自己弁護と捉えられても致し方ありません。
でも大事なのは
『死ぬ前に、ひとえさんが「自分の存在を悪いもの」「亡きもの」にしようとする、
その理由が本当に正しいかどうかを
突き止めてからでも遅くない。今すぐということはない。
だまされるなよ。』

と申し上げたい、ということです。
この『だまされるなよ』が、『物事の道理をわきまえなさい』という言葉の
意図なのだと私は信じています。

『今すぐ死ななければ』。
すごく乱暴でプライドの高い言葉だと感じます。
きっと死んでもその自意識の高さは残るでしょうね。
でもそれはひとえさんが悪いのではない。

自分は悪くないのに死んだら
悔しいと思いませんか?

怖さは感じないでしょう。
でも悔しさ、恨めしさはずっと続くに違いありません。

                       南無釈迦牟尼仏 合掌

2019年2月17日 21:04
{{count}}
有り難し
おきもち

生きてもいいのですよ。
前回のご質問から2年ぶりですね?
まだ他人とのコミュニケーションで苦労していますか?
何か行動されましたか?
例えば下記のような相談サイトもあります。
電話相談も記載があるので相談してみてはどうでしょうか。
http://www.pref.kanagawa.jp/docs/ch3/cnt/soudan/index02.html

死ぬ恐怖を克服する前に、生きる辛さを克服する方向に向かってみませんか?

2019年2月17日 22:56
{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...

「死ぬのが怖い」問答一覧

死ぬのが怖い

30代女です。 小さい頃に母を病気で亡くし、そこから死に対しての恐怖心が生まれました。小学生の時に死ぬのが怖いと感じるようになり、死ぬのは嫌だと泣いたことがありました。 そこから中学高校大学、仕事と、小学生のときのように泣くほど怖がったことはないですがうっすら漠然と死ぬのは怖いなと考えることもありました。色々と忙しかったこともあり、考える時間も少なくなってきていました。 しかし、30代になり、ずっと続けていた仕事を人間関係で揉めて、中途半端な時期に辞めました。辞めたことに後悔はなく、ずっと続いていた人間関係でのストレスも一気になくなり、最初は楽しく考えていました。しかし、暇でずっとゲームをする日々、そして自分が30代という年齢に突入したこと、周りの人は結婚をして落ち着いている中恋人もいない、次の仕事もまだ探し中、親も父のみ、そして一般的な私の年代の親よりも歳をとっていますので、父の死についても考えるようになり、父が死んだあと自分は生きていけないという考えからまた、小学生の時のような自分が死ぬことへの恐怖心が再び芽生えました。 ネットで色々調べましたがタナトフォビアだと思います、身近な人が死ぬのも恐怖ですが、自分が死ぬことへの怖さ、無になることへの恐怖が強く、突然発作のように発症し、過呼吸になったり涙が出たりととてもしんどい思いをしています。生きたくないとは思いません。死にたくないのです。しかし、不老不死のように永遠に生き続けるのも怖いです。矛盾していますが...。1度考え出すと恐怖が止まらず、夜も眠れません。今の自分の状況がこの先不安でしかなく、30代にもなってこのタイミングで結婚もしないまま死んでいくという考えしかできず、ずっと怖いです。タナトフォビアの克服など検索しましたが、読むだけで怖いです。助けてください。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

死への恐怖

母は私が幼いころに癌を患い、その後治療を続けていたものの半年ほど前に再発しました。今すぐに命に関わるという病状ではないのですが、身近な人間の死に関わりうる病気を通して死というものを考えることが増え、もうどうしていいかわかりません。 私と母とは30ほど歳が離れています。つまり、一般的な寿命を迎えることができても、私はいつか母がいない時間を30年も過ごさなければいけない。そのことが私には耐えられないことに思えます。私には妹弟はおりませんので、私は家族の中で最も長く生きる可能性が高いわけですが、自分の大切な人が皆亡くなってもなお生きていかなくてはいけないのでしょうか。頭ではそんなことわかっているのです。死は避けられない、身近な人の死も受け入れなくてはいけないし、皆そうやって受け入れて乗り越えて生きていると思うのですが、わたしにはそのことができないように思えます。親不孝の極みですが、母が死ぬ前に死ねたら幸せだなとすら思ってしまいます。 私が中学3年の時に祖父が亡くなった時のことを未だに忘れることができません。少し前まで生きていた、人が、生きてはいないということが受け入れられず、その恐怖を忘れることができません。昔見たドラマで、大量殺人を犯した犯人が、人をモノにするのが好きなんだと言っているものがありました。祖父の葬式の時に感じた、人がモノになったということが、私の中に恐ろしい記憶として残っています。祖父の死以来、刑事ドラマも不愉快で見ることができません。人の死を面白がって作っているように思えてしまうのです。私はどうしたらいいのでしょうか。受験期に入り、ストレスや疲れもも溜まっているのか、死ぬこと、母のこと、いつか大切な人が皆亡くなってしまった時のことなどばかりかんがえてしまいます。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

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