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精神疾患の母親(64歳)

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私の母は私が小さい時から精神疾患(統合失調症、うつ病)を患っており、
幻聴、親戚の家や家族の勤務先、警察などに頻繁に電話をかけ、迷惑な行為をしています。病院には通院し入退院を繰り返しています。

いちばんひどかったのが16年前に私が前の夫と結婚し、私は1人っ子なので同居をはじめました。2.3年経った頃、症状がひどくなり近所の人から「毎日用もないのにうちに来る。」とクレームがきて、私は頭を下げ事情を説明し母のフォローをしてきました。
親戚からも「おまえが母親の面倒をちゃんとみないから皆が迷惑している、何とかしろ!」と言われていました。
担当医や市役所にも相談しましたが、結局解決にはいたりません。
そんな生活が今でもずっと続いて、心身ともに限界を感じてしまい私も7年前からうつ状態になってしまいました。その後、担当医の提案で母は生活保護を受けて1人暮らしをしています。
私は周りからの電話が怖くて出れなく、人と接するのも避けるようになりました。

昨年末、また親戚の叔父さんからの留守電で母の苦情で暴言を言われました。そのときは怖くて殺意すら感じました。もう死んで楽になったほうがいいと思いましたが、実際死ぬ恐怖があり実行できません。

母と親戚との関係が今後改善されるとは私には思いません。

ただもう家族がいがみ合い、喧嘩したりするのはもうたくさんです。

今の夫、幼い娘の為にも、どう前向きになればいいかアドバイスをお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

問題を2つに分ける

あなたはお母さんの事を問題にしていますが、それはあなたの問題だと知ることで楽になれます。
「母が何かするんじゃないか心配」でしょうが、心配している心の箇所はあなたの中。
実はお母さんの問題ではなく、あなたの問題だと気づいてみましょう。

「お母さんを問題にするアタシの心が問題だった」と唱えるのです。
私の申し上げる所の真実が見えてきます。

お母さんはお母さんで、当の本人はそれをしながら何も問題はないのです。
もちろん困った時は助けになってあげてください。
お子さんには、同じことを教えてあげてください。

今まで本当に大変でしたね。
よく勇気をもってご相談くださいました。
あなたと同じことで悩んでいる方がおられます。
きっとたくさんの人が救われると思います。
「あの人が、どうしたこうしたと、問題にするこの人。」
「アッチがどうしたこうしたと騒ぎを起こす此処」 

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
丹下様の言う通り、確かに母は周りが注意しても自分の行動が正しいと思い、治そうとはしません。
自分の心に問題があると、考え方の視点を変えてみようと思います。どうしても気持ちがくじけそうになる場合は、祈るしかないのかと思っています。
少しでも気が楽になれるように、アドバイスを受け止めてやっていこうと思います。

本当にありがとうございます。

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