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自分で自分を苦しめてしまう

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有り難し有り難し 69

自分で自分がわかりません。

思えば不登校になったことも、特にいじめをうけていたなどの決定的な原因があった訳ではないのです。
ただ、人との関わりがひどく苦手だったことは事実です。

数年間引きこもり、アルバイトをいくつか経験しましたが、自身の責任感のなさや愚かさから幼稚で身勝手な判断を繰り返し、どの職場も長続きせず、様々な場所のあらゆる方々に不義理をし続け、今日までのうのうと図々しく生きてきてしまいました。

どうして、こんな自分に手を貸してくれた人や励ましてくれた人、期待してくれた人、よくしてくれた人を裏切ってまで、内にこもってばかりいる意味は何なんだろう。自分が楽になる為だけに人間関係を壊し、引っかきまわして、後から苦しむのはわかっているのに、自分自身が理解出来ません。

生きているのが苦しいです。
精神障害のチェック項目に自分を当てはめてはため息をついたり、逆に今までの生きづらさは全て病気のせいなんだと安心してみたり、もう疲れました。

私はまともじゃないのに、病院に行っても病気だと言われたことはありません。
普通と病気の真ん中にいて、どちらの世界でも私は仲間外れです。

いつも人目が気になり、皆が自分を見ているような気がして、目線をどこに置くのかが難しく、疲れました。細かく言えば、気がするのではなくて私にとっては紛れもない事実なのに、気にするなと言われても、それができればこんなに苦しんでいません。幼いころから頭にこびりつく、自分は普通の人間とは違っていて、周りの皆もそう思っているという考えが抜けず、疲れました。

幸せな人を羨んだりするけど、これまで幸せを手放してきたのは自分自身です。
どうして同じ失敗を繰り返すのか、破滅型とか悲劇のシンデレラという言葉を最近知りました。私のことかも知れません。

いつまで経っても変われず、同じような場所で同じようなことで悩んだり、地団駄を踏み続けて、自分で自分をダメにしていると思ったら、もう自分がクズすぎて死んでしまったほうがいいのにと思います。

私はどうしたらいいですか?
変われますか?
普通になりたいです。
自分を好きになれますか?
真面目で誠実になりたいです。

2019年2月26日 7:51

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分で自分を苦しめている心を自分で改めるしかない

豆腐の美味しいお店では豆腐に何か添え物をしないでそのまま食べることをお勧めしています。
「お客様。こちらの豆腐はまだ出来立てですので、最初のひと口めは何もかけずにお召し上がりください。」
それが何なのかって言いますと後でわかります。
そのまま読んでみてください。
自分で自分を苦しめているという事の気づきはとても大きな気付きです。
多くの人は、他人のせいにしてしまうからです。
私自身も人間関係で苦しんでいた時に、師匠から「問題はその相手に対して問題を起こしている自分の心なのだ」とヒントを頂き👉( ゚Д。)そこから仏道修行の経絡秘孔を頂きました。
今までは外の世界に原因を求めていたのですが、苦しみの原因は自分のものの考え方や、自分流のモノの捉えかただったのだと気づかせていただきました。

そこから坐禅の必要性・意義について実感できるようになりました。

人生は何十年と続く。
その中で自分のこの問題起こしやすい、移ろいやすい心をこそ何とかしなければならないと感じました。
わかりやすく言えば心を動かさない修行とでも言いましょうか。
相手をわたくししない。
自分流の思い方に振り回されない。
考え方を離れた生き方をする。
坐禅とは自分に向き合い、自分の物事に対する能動的な心をしずめることです。
たとえば人が親切にやってくれたせっかくの善意の提供物も思い方ひとつで台無しになってしまいます。
「お客様、こちらの豆腐はまずそのまま塩もかけずにオメシアガリクダサイ。」
物事に自分流の思いを添えるという事は、出来立てのふわふわ豆腐に味の合わないソースやドレッシングをかけてしまうようなものです。

自分がクズだとかダメだとかアホだとかボケだとかいうのも豆腐で言うと要らない薬味。要らないトッピングなのです。
スタバとかサーティーワンとかラーメン屋さんにトッピングのサービスがあるにしても何もかけずにいるという姿勢だって大事なのですよ。
だからもう自分のことを愚かだとか幼稚だとか身勝手だとか図々しいとかクズだとか死んだ方がイイとかいうのも実はそれも要らぬネガティブトッピングなのです。
お釈迦さまや坊さんというのはポジティブな仲間外れです。
無理して迎合して誰かの仲間になるよりも、アタシはアタシという個性で完全独立出家してみてください。自分を縛っているものが解けるかもしれません。

2019年2月26日 17:38
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

まずは自分を知ることが大切です。

質問読ませていただきました。

自分のことが自分でよくわからなくなっているのですね。そして、自分の内部と外部の狭間で揺れて苦しんでおられる。心中お察しいたします。

さて、智香さんのお悩みですが、それはそのまま仏教の教えへとつながっていくでしょう。
どういうことかと言いますと、仏教では己れを知り、制御することの大切さを説きます。
それは、身体的健常者であろうとそうで無かろうと、精神的に病んでいようといまいと変わりません。全ての人に言えることです。

しかし、己れを知ると言いましても、それがなかなか難しいものです。
自分のことは自分が一番見えていないとよく言われるように、近すぎて客観的な目で見ることが出来ないのです。
ですので、周りの方に「私の悪いところはどこ?」と聞いてみてもいいかもしれません。他人の言葉というのは、図星であればあるほど突き刺さります。しかし、その言葉を冷静に受け止め、自分を反省する材料と出来るのであれば、自分のことが少し見えてくるのではないでしょうか?

また、智香さんは自分が変われるかどうか悩んでおられます。私は、そんなあなただからこそ変われるのではないかと思っております。
本当に苦しみ、「自分を変えたい」という強い気持ちがなければ、自分を変えることはできません。なぜなら、自分を変えるのは勇気と根気がたくさん必要だからです。中途半端な気持ちでは途中で挫折してしまうでしょう。
しかし心から悩み、死んでしまったほうがいいとまで思い詰めているからこそ、その苦しみから抜け出すために自分を変える勇気と根気を持つことが出来るのです。

その強い気持ちを持ち続け、自分を知って制御する努力を続けるのであれば、必ず自分は変わりますし、その結果として必ず自分のことが好きになるでしょう。
もし挫けそうなときは、またハスノハにてご相談下さい。必ず背中を押してくれたり、喝をいれて下さる方がいらっしゃるでしょうから。
もしよろしければ、メールにて相談いただいても構いません。

諦めずに、まずは自分を知る工夫を色々試してみて下さいね。
何か少しでも参考にしてみて下さいね。

2019年2月26日 19:02
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有り難し
おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の自然に囲まれたお寺で...

質問者からのお礼

ご回答いただき、ありがとうございました。
何度も繰り返し読ませていただいております。

丹下覚元様

自分を苦しめているのは自分だけども、解放できるのも自分自身しかいないのだと、考えさせられました。
長年の思いグセのようなものを打ち消すことは簡単ではありませんが、"気付ぎを大切にしていこうと思います。

藤川 誠海様

必ず変われるという言葉をいただき、少し勇気が湧いてきたように思います。
自分を知ることは怖いことですが、少しずつ自分を理解し、向き合っていけたらと思いました。

お忙しい中ご回答いただき、ありがとうございました。
勇気を出して投稿してよかったです。
またご縁があり、目にとまれば、ご回答いただけると有り難いです。

「自分とは・自分を何とかしたい」問答一覧

これまでの自分の生き方を後悔しており、前に進むことが怖い。

初めて質問をさせて頂きます。 私は40代になります。 大学院を出て、2度転職し、自営業を営んでいました。 昨年、仕事に行き詰まり、病院で2カ月をすごした後、会社をたたむことにしました。 どの職場でも周りの人に助けられたこともあり、何とかやってこれたと思っています。 そして、この度会社をたたんで、以前から関心があった飲食店を始めたいと思い、アルバイトを始めます。 思い返すと、自分のやりたいことばかりをやってきました。 ただ、自分が何の成果を残せたのか、誇れるものがありません。 現在は親に経済的な援助を受けながら、飲食店でのアルバイトを始めることになりました。 私自身が40代、そして両親が70代となり、これまでの生き方が本当に一生懸命に生きてきたのか自信がありません。 これからは一から頑張らなければと思った矢先に、自分のふがいなさ、親への負い目、社会の目がどうしても気になり、ふさぎこむことが多いのが正直なところです。 人は人と思いながらも、どうしても自分の自信や前向きな気持ちがおれることがあります。 胸をはって、少なくとも親には恥ずかしくない時間をこれからは送りたいと考えています。 このような中途半端な生き方をしてきた自分にもう一度立ち上がる勇気や図太さを持つには、どのように日々を生きていくべきでしょうか。

有り難し有り難し 25
回答数回答 1

自分の信じる『神』や『仏』が何者かわかりません

はじめまして。 うまくお話しできるか、わからないのですが… ここ最近、自分の思想がどこにあるのかわからず、お話を聞いていただきたいと思い、投稿させていただきました。 まず、私は特に、何教徒である、ですとか、特定の宗教には属しておりません。 ただ、色々と自身の考えと当てはまるものを探すなかで、最も共感できるのが仏教でしたので、こちらにおります。 私は漠然と、神様が存在していると思っています。 神が人間を作ったと思っています。 しかし、それは聖書にあるような、直接的に人間を作り出すようなものというよりは、 人が一冊の本を作り上げるようなものだと思っています。 『神』が、この世界を作り上げ、そのなかで『キリスト教』『イスラム教』『仏教』といった… 語弊を恐れずに申し上げるならば、『地球というなかの物語の設定としての宗教』を作り上げているのではないか、と思ってしまうのです。 そうした、なんでもできてしまう神のような、宇宙の外にある大きな力が、私は怖くてたまりません。 あまりに苦しいとき、そうした『神』が、私に何かバチを与えているのではないか、とさえ感じます。 しかし一方で、仏教の『因果応報』という教えを知ったとき、どこか救われるような感覚がありました。 私が苦しんだり、喜んだりするのは、宇宙の外にある神のせいではなく、自分自身の行いの結果なのだ、と。 それから、少しずつ仏教について調べ始めていますが、やはり何か神様のようなものの存在は、否定できずにいます。 そもそも、誰か一人でも信じ、信仰し、救われている人がいるならば、キリスト教の神も、イスラム教の神も、はたまた新興宗教の神であっても、存在していると思うし、それを否定したくないのです。 自分の信じるもののために、誰かが信じるものを否定したくありませんし、ないものにしたくありません。 一方で、どこか神様のようなものに怯えている自分がいますし、こんな自分が仏教の教えに惹かれることは、それこそバチが当たるのではないかと思います。 うまくお話しできたかわかりませんが、心のもちようがわからず、難しく感じております。 なにかアドバイスなどありましたら、ぜひ教えてください。

有り難し有り難し 57
回答数回答 4

自分の冷たさ

私は、母親の死によって自分自身の冷たさについて考えるようになりました。 母親が苦しんでいる時、私はとても冷たかったです。 例えば私は母親が病気で苦しんでいる時に初詣に行きました。 私は、その時トートバッグが欲しかった 初詣に行く前にトートバッグを買いました。 今思うと、私は母との時間よりも物欲・・を優先したんだろうと・・ もちろん、その時はタイムリミットが近づいてる事は 分かってはいなかったけれど、 あんなに苦しんでいた母より、私はそっちを選んだ 最初はどうして初詣を断れなかったんだろうと・・そう悔やんでいました でも、よく考えると私は断れなかったのもあるけれども、結局はトートバッグが欲しくてそっちを優先したんだろうと思います。 苦しんでいる母を横目に私は何か言葉をかけるでもなく パソコンやっていた事もありました 母が亡くなって気づきました パソコンとか物欲とか母との時間に比べたらどうでも いい事だったと・・ 母が自分の死をもって私の持ってる冷たさを教えてくれたのだろうか・・と考える時があります。 あんなに苦しんでいたのに、自分の物欲、自分の時間ばかりを優先して母の事を顧みようともしなかった 私はおかしいのではないだろうか・・ と今思い出しても自分の冷たさについてやるせなくなります 私はずっと、自分中心に生きてきた 自分の中にある冷たさ、冷酷さと、どう向き合ったらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 29
回答数回答 1

自分の道は間違ってはいないとは思うが自信が足りない

子どもは親を選べないとあったり、子どもは自ら自分の親を選んで産まれてくるという話がありますよね。でも私自身が親を選んで生まれたとは思いたくないんですよね。親は子どもを育て、子どもは成長していく。親は子どもとともに一緒に成長していく。こんなだとは思います。だけど自分は、親のことを信用できません。親と思いたくありません。私が生まれる前から、父はアルコール依存性でDVをしてきました。生まれた時は、投げとばされ、叩かれたりしていたみたいです。物心がついた時は、アザができるほどに虐待をうけ、怯えて泣いていました。自分がよく死ななかった なと思います。母は父とまともに喧嘩したりするので、その腹いせが私にきて、母はそれを止めようともかばおうともしませんでした。いつも警察沙汰になるほど暴れました。毎日酒に溺れていて、目が覚めるといつも謝るの繰り返しでした。母親は私を親子というよりも女同士のように見ていました。そんな家庭環境で育ち辛くて、17歳の時に精神的な病になりました。真面目で責任感の強い性格で家庭でも学校でもうまくいかずに居場所も逃げ道もなくうつになって、病院に入院したこともあり馬鹿にされたりしました。私が病気になった時に、母親は手かざしの業という神様に入り、私も一緒にしてましたが、父親はそれが気に入らずに、母親とよく対立していました。私を治すためだとしていたけども、私からしたら、母親が全く変わらなかったので、この神様が信じられない感じでした。私は当時、症状がひどく、入院し薬を飲みながらで生活に支障がでるほどに荒れていましたが、今は結婚して子どもを育てています。私が治ったのは、神様のおかげなんだと思い信心してましたが、神様だけのおかげじゃないよ、自分の努力もあったからと思ってます。両親から離れて暮らし平穏な日々を贈ってます。もちろん信仰はしておりません。子育てで色々と大変でイライラすることはありますが、昔とは違って安定してるほうだと思います。実家へ変えると父親は相変わらずで、母親は孫を可愛がろうとせず、目の前で平気で喧嘩したりするので、帰るのが嫌になり、電話でもまともに話さないので連絡をたちました。たまに着信はありますが、家族と連絡をたっています。母親は、神様をしているのに全く変わらないから。逆に人か嫌がることを平気でするので、許せないんですよね。私は決別することにしました。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

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