私になにができますか?
私は4歳の時に父を自死で亡くしました。なぜ、父がその道を選んだのかは母にも見当がつかずわかりません。私は幼いながらに、普通の亡くなり方とは違う、ということも気づいていました。
成長する中で、仲のよい友達や周りの人にも父の話題になった時には、やはり自死とは言えず、いつも「病気でなくなった。」と本当のことは言えませんでした。大人になったいまでも、後ろめたい気持ちで、なかなか本当のことは言えずずっと偽り続けているようで、苦しくなる時があります。自分の子供にでさえ、話せない自分がいます。
自死を選ぶ人にも本人にしかわからない理由はあるのだと思います。でも、遺された家族もまたその理由を探し、もがきながら生き続けていきます。だから、自死はやっぱり悲しい選択です。自分が結婚し子供を持って、改めて強くそう感じるようになりました。
世の中には、私のように本当のことを話せず、生きていかなければいけない人もたくさんいると思います。そんな人達が、ほんの少しでもスッと肩の力がぬけるようなお手伝いが何かできないかと日々感じております。私にできることはありますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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率直に伝えてあげてください
「自分だけじゃないんだ」「同じ境遇の人がいるんだ」人はそれが分かるだけでも心が楽になります。あるいは、自分に寄り添ってくれる人がいる、自分を受け入れてくれる人がいると感じるだけでもグッと楽になります。
寄り添うとは、助けを求めて来る人を待つことではなく、こちらから寄らせていただき、添わせていただくことです。今はネットでも様々な取り組みに出会えますし、Q&Aにも悲しい声は溢れています。入口の敷居は決して高くありません。
あるいは、本来なら子供の頃から体調管理や体質改善のように、自死に向かわないベクトルを日常のレベルで調えなければならないものです。その意味で、日常生活の中や世代交代の中で伝えられるのがベストなのだと思います。できることは無数にありますよ。
私自身、回答に追われて神経がすり減っておりましたが、前向きなご質問に触れさせていただくことができて少し元気が出ました。ありがとうございます。
質問者からのお礼
大慈様、この度は心温まるお言葉ござありがとうございます。
最近、知り合いの身内の方が自死で亡くなり、質問させて頂いたことを
また深く考えるようになり、今回思い切って、こちらに投稿させて頂いた次第です。
寄り添う、、、"待つことではなく、こちらから寄らせて頂き添わせていただく"
心に強く入ってきたお言葉です。待っているばかりではなく、何か自分自身でも行動を起こせないか、調べたいと思っています。
大人の自死も含め、子供の自死は本当に悲しすぎます。大慈様のおっしゃるように、"自死に向かわせないベクトルを日常生活のレベルで調えていかなければいけない。" 私達大人が、きちんと向き合っていくべき課題でもあります。
自死で亡くなる方、そして残されてもがき、辛いお気持ちで生きていく方がどうか少なくなりますようにと、お祈りしながら私ができることを探して行って参りたいと思います。