輪廻があるなら、私は天界も地獄も見て来たのでしょうか?
こんにちは。
前回質問で、輪廻思想がどうも腑に落ちない、と主張した者です。
ただ、輪廻に限らず、事物が「ある」とも「無い」とも断定するのは中道の教えに反すると感じるので、輪廻思想の側からも質問させてください。
輪廻転生があるなら、私は六道あらゆる世界を見て、生きて来た事になりますよね。何しろ仏教の宇宙観は無数劫の時間スケールで成り立ってるのですから。
また、私は、いわゆる地球外生命というものも、必ずどこかの惑星で誕生し生を営んでいると信じています。
そうなると、私の魂(?)は天上界のめくるめく壮麗な世界も体験して来たし、地獄の底の恐ろしい責め苦も受けて来た事になりますよね?
また想像を絶するような異星の光景も目の当たりにしてきたのではないでしょうか?
輪廻転生が教えているものって、
「そういう一切合切の有情は、別個に生きているのでなく、過去、現在通して、物質から魂のレベルまで、密接に繋がって生きてるんや。天人も地獄の衆生も、あらゆる命も決して他人事じゃおまへんで。なにせアンタがそれ自身だったんだからな。」
と言っているようにも思えるんです。なぜか関西弁ですが。
そういう所から、いわゆる慈悲って生まれるのでは無いでしょうか?
生前や死後を無記とするのは「智慧」ですが、また輪廻をわが事として受け止めるのは「慈悲」の根源なのかな?とも思います。
この2つの考えは矛盾するものではないとも、私には思えます。
お坊様方は輪廻と言うものをどのように受け止めてるのか、気になったので再び質問させて頂きます。
お考えを聞かせて頂ければ嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
輪廻転生が信じられないならそれでいいでないですか
前回の質問と回答も含め読まさせていただきました。
やはりインドの伝統感が日本人には違和感があるというところにつきますかね。
>>輪廻を信じるかどうかは個人の判断で結構かと思います。
に同感です。釈尊は無記だから、三世はないというのもあなたのお考えなわけでしょう。
仏教は釈尊が説かれた教えですが、いわゆる二次創作がたくさんあって、どの教えをとるか
は個人次第です。八万四千の法門と言いますし。私も日本人の死生感に大きな影響を与えた
のは浄土思想だと思っていて、死後の世界が黄泉の国から極楽浄土に転換したのが大きかったと思います。まああなたのとおり、法然上人や親鸞聖人の真意からは外れていくわけですがね。法然上人は念仏すれば極楽往生できると説き親鸞聖人は信をきょうちょうして念仏を信じれば極楽浄土に行けるとといたのですが、だんだん時代が下るにつれて死ねば極楽浄土にいけるとなり、最近は死ねば天国にいけるというふうになり、(ってきたヨッパライが典型的だったと思う。)最近は風になっちゃうそうですね。(千の風になって)
輪廻転生は苦しみの世界
輪廻転生は苦しみの世界です。
生きものには、必ず苦があるので。
仏教では、「涅槃寂静」と説きます。
煩悩を滅して輪廻転生から解脱する「涅槃」が苦のなくなった平安です。
インド文化圏の人は輪廻転生を前提に考えるので、たとえば目の前の虫が、亡くなったお祖父ちゃんの生まれかわりかもしれない等と考え、生き物への慈悲を重視します。
スリランカの蚊取り線香は、蚊を退けるだけで蚊を殺す効果はないと、テレビで聞いたことがあります。
輪廻転生は慈悲につながると思います。
また、輪廻転生とセットで自業自得・因果応報思想があります。
どんな不運や不幸も、自分の前世の行いが悪かったからだと明らめられれば、他人への怒りや八つ当たりがなくなり、平和になると思います。
もちろん、他人を差別したりするために因果応報を持ちだすのは良くありません。
あくまで、自分自身の怒り・憎しみを制御するために、因果応報をイメージするのです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
願誉浄史様
輪廻の思想は慈悲につながると言う、私が漠然と考えていた事を明言して頂き、嬉しいです。
併せて、因果応報や自業自得についても学ばさせて頂きたいと思います。
鈍阿様
そうですね。やっぱり自分にとっては「無記」がしっくり来ます。
あくまで「無」ではなく「無記」です。
ただ、私の妻や祖母などは、どうも浄土思想(と言うか天国思想)に近い死生観を持っているような節があり、死生観も人それぞれなのかな、と思う所があり質問させて頂きました。
安直な天国思想かも知れませんが、身内を何人か送り届けている身としては、故人にはなるべく幸せな後生を送って欲しい、と言う気持ちはわかるような気がします。
-追記-
お二方とも、ありがとうございます。
色々考えたのですが、いわゆる8万4千の法門は、それぞれ大変素晴らしく、見習うべき所が数多くある事は実感してます。
一方で、私自身は、やはり、自分にとって納得のできる教えから学んで行こうと思いました。
貴重な御示唆、ありがとうございました。