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一歩は自力

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有り難し有り難し 19

きのうきょう宗教を学びだした私が少し気付けたこと。

お釈迦様は万物の事象この世の真理に気付いたある意味科学者、その事象をあらゆる角度から示し教えとして依るべき法を説き、衆生の救済を願い慈悲の実践を説く大乗仏教へ発展。一神教は全知全能この世の創造主たる裁きの神と神の似姿としての人との契約による律法(刑罰)とイエスの登場による博愛、赦し合い生きる社会へ。

私は挫折がなければ人生に仏教もキリスト教も全く必要なかったと思います。老・病・死からは逃れられませんが大丈夫でしょう無宗教の強みで常に慢心してるので。満たされることの無い物欲・色欲に一喜一憂するけど裕福な日本に於いてはその手の努力もそれなりに楽しい毎日です。ちょっとつまづけば哲学者の一節で応急処置。裕福で便利な日本だから人との繋がりも必要最小限且つ利害の一致で無駄のない繋がり方。生かされてるなんて思いもしない。

二・二六事件で父親を目の前で殺害されたカトリック修道女の渡辺和子さんの語りが好きでよく動画を見てます、「主は与え主は奪う主の御名は褒め称えられよ」あれが欲しいこうして欲しいと神に請求書の祈りをするのではなく、神様が下さったことに確かに頂きました有難うございますと言う領収書の祈りが大切だと仰ってました。
「敵を愛し迫害する者のために祈りなさい。」冗談だろと思うイエスの言葉ですが、宮沢賢治さんと同郷の斎藤宗次郎さんの生涯を知ると綺麗事とも思えない真理への道なのかと思います。

上記のことは到底誰にでも出来ることではなくて、他に選択肢など無いほどに理不尽で不条理な境遇の中でその道に徹して歩む勇気があった人たちだと思います、私程度の挫折や苦しみでは真理には辿り付けないでしょうけど「難思の弘誓は、難度海を度する大船」易行・他力とはいえ船に乗る少しの勇気と一歩さえあれば支え導き歩むこと生きることの喜びをくれるのも宗教の博愛や慈悲で、並の人間には悟れずとも有り難い事かと思います。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自力尽くしてこその他力

ご縁ということを想うと
自分で選んだことすら
そう導かれたのかもって感じます。

まんじゅさんが気づけたことは
やはりそういうご縁あっての賜物なのでしょう。

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有り難し
おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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質問者からのお礼

和田 隆恩 様
回答ありがとうございます。

>自力尽くしてこその他力

自力と他力やっぱり素人は勘違いしがちですね。
他力だと甘んじれば緩むし、自力と言えばこんなにもやったのにと過信しそうですが、他力と言う言葉はやるだけやった人、どうしようもない流れの果ての言葉ですかね。
他力、言葉一つももう少し大事に使った方が良いですね。

hasunohを知ったのはわりと最近ですがそれまでに悩んだ末の答えを自分なりに出しましたが今考えると殺伐としてましたね、苦しいので答えを急ぐけどせっかくのご縁を大切にしないといけないですね。

「仏教全般」問答一覧

お金なんて要らんと貫いた心

神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。 その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。 後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです! 話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。 先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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