一歩は自力
きのうきょう宗教を学びだした私が少し気付けたこと。
お釈迦様は万物の事象この世の真理に気付いたある意味科学者、その事象をあらゆる角度から示し教えとして依るべき法を説き、衆生の救済を願い慈悲の実践を説く大乗仏教へ発展。一神教は全知全能この世の創造主たる裁きの神と神の似姿としての人との契約による律法(刑罰)とイエスの登場による博愛、赦し合い生きる社会へ。
私は挫折がなければ人生に仏教もキリスト教も全く必要なかったと思います。老・病・死からは逃れられませんが大丈夫でしょう無宗教の強みで常に慢心してるので。満たされることの無い物欲・色欲に一喜一憂するけど裕福な日本に於いてはその手の努力もそれなりに楽しい毎日です。ちょっとつまづけば哲学者の一節で応急処置。裕福で便利な日本だから人との繋がりも必要最小限且つ利害の一致で無駄のない繋がり方。生かされてるなんて思いもしない。
二・二六事件で父親を目の前で殺害されたカトリック修道女の渡辺和子さんの語りが好きでよく動画を見てます、「主は与え主は奪う主の御名は褒め称えられよ」あれが欲しいこうして欲しいと神に請求書の祈りをするのではなく、神様が下さったことに確かに頂きました有難うございますと言う領収書の祈りが大切だと仰ってました。
「敵を愛し迫害する者のために祈りなさい。」冗談だろと思うイエスの言葉ですが、宮沢賢治さんと同郷の斎藤宗次郎さんの生涯を知ると綺麗事とも思えない真理への道なのかと思います。
上記のことは到底誰にでも出来ることではなくて、他に選択肢など無いほどに理不尽で不条理な境遇の中でその道に徹して歩む勇気があった人たちだと思います、私程度の挫折や苦しみでは真理には辿り付けないでしょうけど「難思の弘誓は、難度海を度する大船」易行・他力とはいえ船に乗る少しの勇気と一歩さえあれば支え導き歩むこと生きることの喜びをくれるのも宗教の博愛や慈悲で、並の人間には悟れずとも有り難い事かと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自力尽くしてこその他力
質問者からのお礼
和田 隆恩 様
回答ありがとうございます。
>自力尽くしてこその他力
自力と他力やっぱり素人は勘違いしがちですね。
他力だと甘んじれば緩むし、自力と言えばこんなにもやったのにと過信しそうですが、他力と言う言葉はやるだけやった人、どうしようもない流れの果ての言葉ですかね。
他力、言葉一つももう少し大事に使った方が良いですね。
hasunohを知ったのはわりと最近ですがそれまでに悩んだ末の答えを自分なりに出しましたが今考えると殺伐としてましたね、苦しいので答えを急ぐけどせっかくのご縁を大切にしないといけないですね。