昔犯してしまった罪。幸せになる資格がないです。
12年くらい前当時高校生の時に犯してしまった痴漢行為をずっと後悔しています。
何度もしてしまい、最初は好奇心から入りドキドキ感がやめられなかったのだと思います。ですが
やっている途中に自分自身でよくないこと。男としてクズなこと。弱い女性を傷つけてしまっていること。逆の立場になり考え、知り合いがされていたら、家族がされていたらと色々考えて絶対にダメだと二度としないと決め。それから何もせず今に至ります。実際女性の身体を触りたいかと言われたらそうでもないですし、女性が好きかと聞かれたらそこまで性欲もありませんし。本当に好きな人でないと触りたくもないですし付き合えないです。女性にしてしまった行為は今でも心臓が締め付けられるほど苦しく、街ではそういうことを見かけたりされそうになってる人を助けたいと思い実際に行動もしています。これで罪が晴れるとも思ってませんが女性とも遊びで関係を持つこともできない性分でして
自分自身こんな人間が何でこんなことができたんだろうと思ってしまいます。後悔と共に申し訳なさと女性と幸せになる資格なんてないと思いこれまで生きていました。ですが初めて彼女ができ、何年も過ごしたのですがそういうこともあり僕がその幸せに耐えきれず八つ当たりしてしまい別れ、そこから彼女も作らずに生きてました。
ですが今愛してしまった人が現れ大切にしたくて自分も幸せになりたいと思ってしまいました。
どうにもできないのもわかっています。打ち明けたら幻滅されてしまいます。それほどのことを幸せになってはいけないことをしてしまってるのは十分承知の上です。ですのでそれは言わず別れを切り出した時も私は離れないよずっといると言ってくれます。
私はこんな人間ですが幸せになりたいです。許されないでしょうか。浮気もできないですし好きでもない女性と遊ぶこと自体も好きではないんです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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周りを幸せにしてみましょう!
質問読ませていただきました。
過去の罪に捕らわれて、抜け出せないでいるのですね。
心中お察しいたします。
さて、過去の罪を深く悔いておられることは素晴らしい事です。
しかし、そこの陥り、自分の身を焼いてしまっては元も子もありません。なぜなら、いくら後悔したとしても、大切なのはそれを踏まえてどう行動するか、どう生きるかなのです。
それによって、自分の罪や経験を活かし、周りの人を幸せにすることができるのではないでしょうか。
どんな偉人でも、素晴らしい人でも、全く悪いことをしなかった人というのはいないでしょう。人生の中で、必ず何かしらの罪を犯しているのです。
しかしそういう人達はそれらをバネに、もしくは教訓にして、他の人よりも一生懸命に生きてこられたのではないでしょうか。
ですから、周りから「素晴らしい人」と言われるまでになったのです。
けいさんが過去の罪に捕らわれるのは分からないでもないですが、そこに留まるよりも、そこから一歩踏み出して行くほうがたくさんの方を救えるのですよ。
そして、それが必ずけいさんの罪の意識を軽くしてくれることでしょう。
また、周りを幸せにすることで、必ず自分も自然に幸せになっています。
愛する人を幸せにするなら、それが自分にいつの間にか返ってきて幸せになってるでしょう。
周りの他の人を幸せにするなら、いつのまにか素敵な人達が周りに寄ってきて、自分も幸せになってるでしょう。
このように、「自分が幸せになる」ではなく、「周りを幸せにする」ことを意識してみてください。結果的に自分も幸せになるのです。
またそれが、今のけいさんの心の状態にも合った考え方のように思われます。
何か少しでも参考にしてみて下さいね。