自分ばかり苦しんでいると感じます
私の育った家には、金も教養もなく、愛もありませんでした。認知症を患った祖父母と、互いに軽蔑しあう両親と、私を時には過剰に可愛がり、時には理由もなく拒絶する姉がいるだけでした。
家の外の社会でも、多くの人たちが、あるときは面白半分に、あるときは明確な(そして理不尽な、と私自身は感じています)敵愾心をこめて、私に対して悪意をぶつけました。それらに対して、ささやかな反抗を試みたこともありますが、いつも叩き潰され、大勢の前ではずかしめられました。そのときに私の肩を持ってくれたり、慰めたりしてくれる者はなく、むしろ嘲りを受けました。
子供の頃から、なるべく人との衝突を避けるように、気持ちを傷つけないように、という思いで生きてきました。周囲からも概ねそのような人柄だとみなされていたと思います。それがかえって目をつけられたのかもしれません。ずっと加圧器の中にいるような人生だったと感じています。
いまの私の悩みは、自分が幸福になるイメージが描けないことです。大袈裟なようですが、私自身のなかに、ともすれば私の生まれる前から、なんらかの呪いや悪い因子のようなものがあって、それに私は一生絡めとられたまま抜け出せないのではないか、救われることはないのではないかという思いがあります。
周囲から愛され、環境に恵まれ、伸び伸びと知性や人格を育てた人を見ると、羨ましいという以上に、もう自分には決して追いつけないほど人生に差をつけられているのだ、と感じます。なにをしても虚しく、意味がないと思ってしまいます。
なにか人のためになることがしたいのですが、人を信じたり、愛情を向けたりすることが難しいと感じます。新しいコミュニティに入ることにも、いつも恐怖を覚えてしまい、なかなか踏み出すことができません。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
経験を活かして進むことで幸せを得ることができるんですよ!
質問読ませていただきました。
家族のこと、社会に出てからのこと、色んな人間関係に悩んで苦しんでこられたのですね。心中お察しいたします。
さて、まずは人は生まれつき平等ではありません。「生まれる」ということについては、等しく「生」を受けますが、どのような形や身体的特徴などで生まれてくるかは人それぞれです。それは何故かと言いますと、過去世の業(ごう)を背負って生まれてくるからです。
過去世にした行いが報いとなって、今世での命を受けます。ですので、たとえば「生まれつき病気」とか「身体が悪い」とか、そういう生まれ持って変えようのないものは過去世の業が大きく影響します。
しかし先天的なものではなく後天的なものは、過去世の業に加えて「縁」が大切になってきます。
たとえば性格や人付き合いなどは、育つ環境や出会う人、そういう人生を歩む過程で触れ合うものに大きく左右されるということです。もし過去世の「業」によって生まれつき身体が不自由であったとしても、素敵な「縁」にたくさん触れて育ったのであれば、その人の心や性格は穏やかで前向きなものとなり、幸せに過ごすことができるでしょう。
つまり、自分の中で変える事が出来る部分は、触れ合う「縁」を変える事でどうとでも変わっていけるということです。
そう考えると、横道さんの「なんらかの呪いや悪い因子のようなもの」は「業」と置き換えられるでしょう。
しかし、触れ合う「縁」によって自分も周りも変化してきますので、抜け出す方法はいくらでもあるということになります。
また、社会に出て自分ばかりが酷い目に遭うと感じられているのであれば、自分の何が悪かったのかを見直し、そこを直していく努力も必要となります。
人付き合いというのは、自分を押し通すだけではうまくいきませんし、相手におもねるばかりでもうまくいきません。時には相手に妥協し、どうしても譲れない部分や意見を求められている場面では自分の意思をしっかり示す必要があります。
言葉で書くと簡単ですが、そのバランスを実践することが一番難しいんですけどね・・・
しかし、その塩梅を自分の経験などを通して自分でつかみ取っていくことが重要です。そうやって工夫し、しっかり前を向いて進んでいくことで、初めて幸せを得ることができるのではないでしょうか。
何か少しでも参考にしてみて下さいね。