何故世の中こんなにも不公平なのですか
自分はバイト繋ぎでしかも長く続かず、結婚も出来ず(まあ結婚は半ば望んでいませんが)人生も後半に差し掛かり何事も上手くいきません。
一方で自分の夢を全て叶え、結婚も出産もし幸せな家庭を築きながら好きな仕事をしている人が身近にいます。
こんなに身近なのに、身近でなくともこの差は何なのでしょう。私とてそんなに努力していない訳でもないはずなのです。
何事も上手くいく人と比べてしまってひどく憂鬱でしばらく立ち直れそうにありません。
どんな風に考えればよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人と比べることこそ、苦しみの原因なのです
ご質問ありがとうございます。
上手くいく人と比べてしまい憂鬱になるというお気持ちを聞かせていただきました。また一度落ち込むとなかなか立ち直れないほど、つらい思いをされていると感じました。
ご質問内容は、「自分と他人を比べてみて、いつも自分が不公平に感じるという」ということかと思いましたので、その点についてお答えさせていただきます。
まず世の中は不公平だと私も思います。順調な人を見れば羨ましく思うし、またそうではない人を見ると「あの人よりはマシ」と考えてしまうのが人間の根底にはあります。まず世の中は不公平だという現実は変わらないと思います。それは、今も昔もこれからも、おそらく人間は優越感や劣等感というものから避けられない存在なのでしょう。
しかし、ひとつだけ優劣感や劣等感を感じない方法があるとすれば、そもそも比べることを辞めるということです。人と比べる時点で、劣等感を感じるか、劣等感を感じない時点で心の底で「あの人よりはマシ」と優越感となっていないでしょうか。比べる時点で相手を評価している自分がいるのではないでしょうか。反対に自分も比べられているという気持ちになると、またつらいものです。①不公平だからこそ、比べないというのが1つの方法です。
次に努力は報われるとは限らない。けれども、目標に向かって努力することは尊いことで、自ずと結果は生まれてくると考えます。
他人の努力は他人にはわかりません。結婚や出産、いわゆる幸せな家庭という一面を見たとしても、そこにどのような努力があったのか私には分かりません。氷山というものは、海面に1メートル浮いて見えるだけで、海の中ではその7倍もの氷が必要といわれます。他人に分からない努力や悩みも同時にあり、その結果が今見えているだけなのかと思います。
だからこそ、「羨ましい」という気持ちがあるのなら自分もさらに努力が必要なのだと思います。お友達と同じ環境を作ることはできません。けれども、今自分がが大切にしたいもの、理想とする将来像に近づくように、行動あるのみだと思います。➁努力が理想を実現する保証はありませんが、一歩一歩理想に近づけるように努力している人の姿に、人は惹かれるものです。
その進む方向(理想)が決まり、一歩一歩進む(努力する)ことが実感できたときに、自ずと他人と比べる機会が少なくなっていくように私は思います。
人間とばかり比較しないで
他者と比較する場合、仏教では生命全体を視野に入れると思います。
なぜなら私達は輪廻転生をくりかえし、来世では虫や魚、さらには地獄の住人や餓鬼、あるいは天(神様)にさえも生まれかわる可能性があるし、過去世でもそのように輪廻をくりかえしてきたのですから。
比較するなら、人間とばかり比較しないで、色んな生きものと比較しましょう。
蚊取り線香で殺される蚊だって、正社員になりたいでしょうけど、正社員以前に人間になれなかったのです。
人間になれて、衣食住や教育や医療を得られたことがどれだけ幸せなのかを、まずは喜びましょう。
で、たとえば去年の新卒の人はかなり就職率も良いでしょう。少子化だし。
モーニング娘。が「明るい未来に就職希望だわ」とか歌っていた頃は不景気で就職率も低かった。
時代が少し違っていれば、スタートダッシュからつまづく場合もある。
能力や努力だけでは予測できない、さまざまな縁、複雑なからみあいで結果が左右される。
だから、あなたはたまたま小さな小石につまづいただけ、隣のライバルはたまたま地雷を踏まなかっただけ、かもしれません。
だから、自分を責めず、
どうせできることしかできないんだから、できることをできる範囲でやればよい、と思いましょう。
死ぬまで生きればいいだけさ、
行ったところが着いたところ。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。何度も何度も読み返しています。
すぐに考え方をコロリと変えるのは難しいですが、沈みそうになったとき、こちらのご回答を思い出し日々精進しようと思います。