hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

今を大事にすることと先の予定

回答数回答 4
有り難し有り難し 93

今、目の前にあることを大事に生きる。
生きることは、常に死と隣り合わせだと気付かされました。
でも明日の予定、来週の予定、1年後の予定…など、あるかどうかわからない先の日々に対して準備もします。
すごく矛盾していると感じます。
特に、子育てに関することでこの矛盾を感じます。
どのように考えれば、今と未来が両立するのでしょうか。

2019年4月1日 7:59

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【已今當】過去、現在、未来

”すごく矛盾していると感じます”
あまり難しく考えないで。

ン十階建ての超高層ビルも、1Fが無ければ立っていられません。
樹齢ン千年以上の大木も、根っこがなければ立っていられません。
学者、技術者、スポーツ選手、、、どんなにすごい神技もどんなに広く深い知識も、圧倒的な基礎の上にやっとそれが成り立っているわけです。

先を見通して計画的に物事を進めていく事と、いたずらに将来を不安がることは別物ですよ。どんなに遠い未来も、結局は今ココの積み重ねであって、一足飛びに思うような結果は出るもんじゃないよ。と仏教は教えています。そして、もし過去に囚われすぎて後悔の念に取り殺されそうになったり、未来に囚われすぎて不安に押しつぶされそうになったりした時には、必ず今ココに戻ってきて、足元から確認しなさい。仏教はこのように教えています。

2019年4月1日 12:02
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1600件を超えました


最近、【レンタルお坊さん】はじめました。 とりあえず何でも相談してくださ...

永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ。

これは英語のことわざです。
今を楽しむことと
将来に備え頑張ることは
確かに行動の内容が違いますが
全然矛盾していません。
いつ死ぬか分からないからこそ
今を楽しみ
将来にも備えるのです。

例えば
受験勉強ばかりで
高校生でしか味わえない生活を放棄していたら
志望校に受かればまだ報われますが
もし若くして死んでしまったら
充実した一生だったと言えるでしょうか。
逆に
高校生生活を刹那的に享受していたら
将来とんでもなく苦労することは明白です。

今現在と未来とは両立できるし
させなけらばならないものなのです。

2019年4月1日 13:43
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1600件を超えました


和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...

『吉祥経』に答えがあります

 漢訳されずにパーリ語で遺っているお経『吉祥経』には12個?10個?の吉祥なことを挙げていますが、その一つに「準備すること」があります。

 過ぎ去った過去のことやまだ来てもいない未来のことをあれこれ思い煩うのは心で行う悪行為であり時間の無駄にしかなりませんが、

 今の自分を起点にして将来に備えて準備することは、吉祥なこと、善行為の一つなのです。

 例えば、将来のために、今、勉強する。明日の試合のために、今、練習する。

 授かった子供が良き人間として世に出るために、善悪の道徳を教えてあげる。その子に必要な技術や学問を教えてあげる。

 衰え行く自分の老後のために、今、貯蓄する。死を穏やかに迎えるために、今、心を清める。などなどです。

 訓練とか学びとかは、皆、準備することの仲間ですね。そのような気持ちで自分や家族の将来を考えるのは、「未来はまだない。今だけ」とは意味が違って、将来に備えて、何が起きても良いように、今、鍛錬する、準備するという意味の吉祥なこと・善行為になります。

 スマナサーラ長老が和訳して解説しておられます。日本テーラワーダ仏教協会のホームページなどから探してみてください。

2019年4月2日 7:39
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1600件を超えました


初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...

一日一日の大事に積み重ねましょう

現在何事もなく生きていることが、今後も不変に続くとは限りません。それは老若男女、身分立場の区別なく、生ある万物はいずれ死に到るものです。「人身受け難し」というように人に限らすこの世に存在するものは必然性より生まれたものではなく、奇跡の連続によって生まれたものなのです。当に「有り難きこと」であり、「尊きこと」なのです。人は今置かれている自分の立場に応じて良くも悪くも自分の将来を案じますが、何人でも実は一分一秒の先も知り得ぬものです。つまりは自分勝手な「計らい」によってみずから迷い苦しみを想定し、導かれていくのです。生きるということは楽しい事よりも辛く苦しいことの方が多いと思います。しかし生有る限り生きていかねばなりません。
「一大事とは只今の事なり」という格言があります。一瞬の一時すらも疎かにぜず、今自分が出きる最善とは何かを常に心の拠り所として、一日一日を積み重ねて暮らしてみては如何でしょうか?

2019年4月2日 9:21
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1600件を超えました


質問者からのお礼

転落院様

御返事ありがとうございます。
過去の後悔、未来の不安、生きている間はどちらもなくなりそうにありません。
自分自身のコントロールが一番難しいです。そんな私がお母さんをしてていいのかな、子供たちに申し訳ないなと思うことも多々あり、わけがわからなくなるんです。
必ず今ココに戻り足元を確認する。
煩悩にのみこまれそうになったら、今ココを確認します。
解りやすい仏教の教え、よりよく生きる智恵をまた一つ教えていただき、ありがとうございます。

和田様 

いつ死ぬかわからないからこそ、今を楽しみ、将来に備える。
御返事をいただいてから、何が自分の中でひっかかっているのか考えています。長男はたくさんの予定を残したまま亡くなりました。その中には楽しい予定もあったのに。なぜ?
ふっと、この答えのない、なぜ?にはまり、脱け出せなくなります。どうしようもなく煩悩だらけです…。
矛盾を感じる自分も受け入れながら、先の日々のためにも、今を大事に生きるよう努めます。
御返事ありがとうございました。

藤本様

御返事ありがとうございます。
テーラワーダ仏教、初めて知りました。ホームページもみました。
準備することの中身が、本物の善行為になるのか、吉祥なことなのか、自己満足だけの準備にならないよう、日々の生活を大切に過ごしたいと思います。
テーラワーダ仏教、またたずねてみます。ありがとうございました。

寶川様

御返事ありがとうございます。
ストンと心の中にお言葉が落ちてきたような感じです。
今自分が出来る最善とは何か、
常に自分自身の存在が誰かのために、何かのために役立てるよう、今を大切に生きていきます。

今ココの積み重ねが、先の日々に繋がっていること。あれこれ思考に捕らわれず、私をワタクシしないで目の前にあることを大切に生きるよう努めます。
ハスノハの皆さま、ありがとうございます。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

私の命の使い方

22歳、今年大学を卒業したばかりです。 学生の頃、私は大きな夢や野望をたくさん持っていました。また、それと同時に、自分の置かれている立場や住んでいる場所、全てに不満を抱えていたのです。卒業してすぐに、家族の反対を押し切り以前からずっと憧れていた街に飛び出しました。しかしそこでの暮らしは思い描いていたものとは大きく異なり、鬱のような状態になった私はすぐに実家に帰ることになりました。そして家族の有り難さにようやく気付いたその頃から、私の中の一部がまるで他の人と入れ替わってしまったような気がするのです。以前は猪突猛進でやりたいことに向かって後先考えず進むような性格だったのですが、そんな人格はどこかへ消えたかのように、家の中に引き篭る生活を何ヶ月も続けました。その間に段々、叶えたかった夢のこともどうでもよくなりました。家があること、母のご飯を食べられること、ただそれだけで幸せだと思うようになったのです。自分の目的の為なら家族や親友を犠牲にしても良い等と言っていた私が突然そんな風に変わったのですから、両親も驚いていました。 そして非正規ではありますがやっと仕事も見つかりました。それは学生時代、就活中に友人が馬鹿にしていた職種であり、当時の私自身もそんな仕事をすることは永遠にないと思っていました。けれど、この度のことで自らの愚かさや傲慢さに気付いた私は、誰もが憧れるような仕事をしたいという欲を捨て、自分でもできることをやっていこうと思い直したのです。何も出来ない、資格も無い私には元々そんな生き方がお似合いだったのかもしれません。 最近はよく「自分の人生なのに何故そんなに他人事でいられるの?」「若いのに何故もっと頑張らないの?」と言われ、色々と考えてしまい疲れます。 周りの友人は、今も目標に向かって頑張っています。しかし私はそれを見て焦るということもなく、このままでいいと思うのです。少しのお金を稼ぎ、適度に趣味も楽しんで、家族と平和に暮らしていきたいと思うだけです。とにかく今は、家族に恩返しがしたいです。それ以上のことは望みません。 私の考え方は間違っているでしょうか? 目標も夢もない人生を送るのは、せっかく与えられた命を無駄にしていることと同じなのでしょうか?

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

親の言う通りに努力したら失敗

私はオールAの成績を取っても親から「学校のレベルが低いのに何、もっと頑張りなさい」 90点でも「10点たりない」 コンクールで日本一になっても「ただの学生レベルにすぎない」と言われてきたのが印象に強く残っています。 常に「二度と間違えないようにしなさい」 「再発防止策を考えて紙に書け」 「改善策を考えて紙に書け」 と言われて、言う通りに努力しました。 「人の生きる道を教えるのが親の仕事であり、それでないと子どもは犯罪者になる」と言われてきました。 ただ、間違いの起こさない人間などいなかったようで、全ての悩みに改善策を書き出そうと、図書館に通い文献に当たりながら、子どもなりに最善を尽くしましたが、考えすぎて、脳疲労で幻聴が聞こえるまでになり、それで薬を飲まされると、眠くなるし、体も動かなくなり、10年以上半分寝たきりです。 問題を二度と起こさないようにしようとするのをやめる、 対策を立てないのが対策だったのでしょうか? 悩みは解決しなければならない決まりは無かったのでしょうか? もしかして、成長しようとするのをやめたら、考え事のしすぎで脳が疲れるのは治るのではと思います。 幸せの青い鳥は、青い鳥を探す必要などなく、最初からここにあったのだという結論です。 マインドフルネス瞑想をしているのですが、思考によって解決するのではなく、思考により答えを探し求めなくとも最初から安らぎはここにあったのではないかと感じるようになりました。 10代半ばから半分寝たきりのため、一般教養がありません。 私はずっと、自分を適性のある仕事につけて、成長させ、失敗しないよう努力するとか、人間や社会や自然の仕組みを知ればもう困らないのではないかとか…そう考えてきました。 適性は見つかってきました。 ただ、教養をやり直すかと考えた時、こんな調子で、中年になっても老人になっても改善策のため努力するより、何も知らない自分、人間も社会もわからない自分のまま、再発防止策の探究に没頭するのをやめ、周りの事も見たら、トラブルも減るのではと思っています。 自分の世界に入り込んで常に考えるのをやめれば、教養の勉強にまたのめり込むよりいいですよね? もしかして幸せの青い鳥は勉強の先にあるのではなく、最初からここにあったのではないかと思うのですが…

有り難し有り難し 29
回答数回答 2

病気だらけの人生。私に出来ることは?

私は生死をさまようような病気をはじめ、大小様々な病気を30種類以上してきました。病気だらけの人生です。 まず7歳で年齢的には珍しい病で開腹手術をしました。その時にある病院では「うちでは助かったケースはない」と言われましたが、転院先で手術は成功。生き延びることができました。 しかし、その後、お腹の中で溶けるはずの糸が傷口から飛び出てきて、ピンセットで引き抜くような痛い思いもしました。 その手術との因果関係は不明ですが、小3から内臓疾患になり、乗り物酔いや吐き気に悩まされました。 中学から離人症になり、突然、夢か現実か分からなくなる精神疾患になりました。 小中と心身の病があり、学校を休みがちでした。 勉強は好きで自宅学習をしていたので成績は良かったのですが、逆に災いし、酷いいじめにもあいました。 後に不登校を乗り越え教員となります。 高校からは新しい内部疾患になりましたが、明るく前向きな気持ちで過ごし、楽しい学生生活でした。 大学卒業後は教員になりました。教え子から麻疹がうつり、42度の熱が1週間続き、生死をさまよい、母に育ててくれた感謝の言葉を述べ、死を覚悟しました。 後遺症で記憶力の低下があります。 その後、仕事や介護、家業の手伝いなどがプレッシャーとなり、20代後半で双極性障害(躁鬱病)になりました。 家族の癌が発覚、ショックで寝たきりの鬱になり、車椅子生活でした。転院の末、徐々に回復し、家族の介護を行い見送ることができました。 双極性障害は重症化し、今では数日おきや一日の中でも躁鬱の波に苦しんでいます。 数年前に私の心身の病気を理解してくれる夫と結婚できたことが、人生最大の幸せだと思っています。 子供が欲しいのですが不妊治療が必要で、心身の持病が悪化する可能性があり、迷っています。 自分の子供を産みたいので養子は考えていません。 小さい頃からほぼ毎日のように病気に振り回されてきましたが、なんとか生き延びることができているのは有り難いです。 同じ病気の人の為になれたらとSNSもやっていますが、あまり共感を得られず、考え方や書き方に問題があるのかと落ち込みます。 なぜこんなに病気の多い人生なのでしょうか? 誰かの役にたちたいです。 私は何を学び、何をする為にいきているのでしょうか? 人生の指標を探しています。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

自分の障害と生きづらさ

私は昔から、短気な性格でした。怒ると歯止めがきかなくなるところはずっと自覚していました。 この性格で苦しみ出したのが、彼氏ができるようになってからです。付き合う人に対して悲しさや怒りを感じると歯止めが効かなくなって、自分でも怒っている時は記憶がなくなるくらい罵倒したりしてしまっていました。その彼からは拒否されるような形で振られてしまい、その後自分は何をしたんだろうと強い自己嫌悪に陥り、自分の存在価値を見失ってしまい、鬱病を発症してしまいました。 その後、こんな私でも大切に思ってくれる、将来のことを考えてくれる素敵な人と出会い、同棲をしました。この人とならずっと一緒にいられる、いてもらえると思っていました。 でも、同棲生活が長くなり私自身も知らぬうちに彼に甘えてしまっていました。段々彼に対して不満を感じた時に止まらない怒りが爆発して彼を傷つけてしまいました。 彼からもう別れた方が良いと提案され、私は全てを失った気がして、強い自己嫌悪に陥っています。 前は鬱病というだけで向き合えませんでしたが、自分は境界性パーソナリティ障害なのではないかと、自分自身も家族に相談しても思っており、治療をしながら原因も病気と分かり、彼とやり直せたらと思っております。 しかし、彼は別れた方がいいという考えで、病気だとなかなか理解してもらえず、性格だと思っています。私が納得するまで急に離れたり拒否することはないから安心して、とは言ってくれますが、同棲解消で付き合いは続けるなど色々提案しても、自分の思っていることや気持ちをうまく伝えてくれず、ずっともどかしい状態が続いています。 彼が居なくなるならば、私はやっと自分と向き合い気づけた障害にも、もう立ち向かって努力できる気がしません。少しでも彼の存在を感じてたい、努力して、癇癪を起こしたりしない想ってくれてたときの自分に戻り、それから彼に別れるかの判断して欲しいと思うのは、わがままなのはわかっていますがどうしたらいいのかわからなくて辛い気持ちのままです。 別れたいと思わせるような事をしてしまった自分自身が嫌で嫌でたまらなく、人を傷つけてしまう自分に今すぐ死んでしまいたいとずっと思ってしまいます。 どうしたら私は病気と立ち向かい、彼に理解してもらえますでしょうか。今は自傷行為をしてしまい死にたくてたまりません。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

過去の過ち これからの生き方

何度も、質問してしまいすみません。そして数ある質問の中から私の質問を見つけてくださりありがとうございます。 以前質問した私の過ちに対して有難いお言葉を頂き自分の犯した過ちと向き合って同じ過ちをもう二度としないと心に誓っています。 今まで私は、過ちを犯した人間なので一生幸せになることが出来ない、なってはいけないと思っていました。一時期は、もう生きてちゃダメなのかなとも思っていました。ですが、少し前に母と喧嘩した際初めて大喧嘩をし、その後仲直りする時私は大号泣してしまったのですが、初めてその時母も泣いていて泣きながら私を抱きしめてくれてくれてこんなにも愛されているんだととても感じました。また、喧嘩した時パニックになって祖父や祖母に助けを求めた時沢山心配してくれていて私をこんなにも愛してくれている人がいるのに死のうと思っていたこと、生きてても楽しくないと母の目の前で言ってしまったことに対し、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。母が一生懸命産んでくれた命なのに、あんなことを言ってしまってとても後悔しています。その後から、こんな私ですが、私を愛してくれる人もいるということに気づくことが出来、幸せになってもいいのかと思ってしまいました。私は自分のことが嫌いですが自分自身を愛してもいいのかなと思ってしまいました。嬉しいことがある度私なんかが幸せを感じていいのかな、なんて思わず、純粋に幸をを感じでいいのかなと思ってしまいました。 読みづらい言葉使いですみません。 そこで、質問なのですが私はこれから過去に過ちを犯してしまった人間ですが、幸せを感じて生きてもいいのでしょうか。 幸せになってもいいのでしょうか。 自分をすきになってもいいのでしょうか。 長々と書いてしまいすみません。最後まで見ていただきありがとうございます。

有り難し有り難し 20
回答数回答 2

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る