スピードを出す車を見たときの気持ちのコントロールの仕方
自宅前の道路が、抜け道で、たくさんの車が制限速度をはるかに超えてスピードを出して走っています。
スマホを片手に運転しているドライバーもいます。
スピードを出す車を見ると、許せなくて頭に来るのですが、
それが毎日の光景であるため、怒りを解消できず、感情がおかしくなりつつあります。
スピードを出す車のように、相手が完全に間違った行動を見たとき、
気持ちの面でどのようにコントロールまたは処理すればいいかご教示ください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
身の危険を感じる生活では、誰だって気持ちの安まるときがない。
怒りもだし、身の危険を感じますね。
ご近所の反応はどうですか?
抜け道とはいえ、民家の間をスピードを出し通り抜けていく車が絶えないのは、問題ですね。
地区、自治体に掛け合い、規制してもらえないか、警察にも要請するよう動く方が現実的です。
朝の時間帯は規制するとか、一方通行にするとか、標識を立てるとか、いろいろ住民で協議していきましょう。
気持ちのコントロールも大事ですが、毎日のように、身の危険を感じる生活では、誰だって 気持ちの安まるときがありません。ご近所、地区に提案してみましょう。事故が起きませんように。
心の向かい先を考える
たとえば、街ゆく人を観察していると、道に唾やガムを吐く人、缶やペットボトル、ごみを捨てていくモラルの無い人がいます。
その人たちを見ていて黙ってしまえばそれでおしまいですが、それでは問題は解決しない。
モラルを守らない人たちのなすがままを見ると許せない気持ちも出てくることでしょう。
じゃぁ、それでいいのかと言えば本当はよくありません。
社会全体としてもモラルが高まらなければ本当の意味で平穏な世の中にはなりません。
私がおススメな方法は、実際に駅で道行く人たちの行動を観察してみることをお勧めします。
こへんろさんだけに駅まで「こへんろさん」に行ってきてください。
それは何のためにやるかというと、自分が誰のどこの何に焦点を合わせているのかを知るためです。
おそらく「そこ」だけを見てしまっていたのだと思います。
世界の一ヶ所だけあなたの焦点によって集中豪雨であっても晴れやかな大地だってあるのです。
人間の行為はそれぞれが自己責任です。
公共のゾーンでなすべきことをやるのは当たり前。
ルールを守るのも当たり前。
ですが、世の中の現実の実際はそうではない。
60キロの道で本当に60キロで走っていたらあおられる。
お巡りさんが見ていなければみんなそこそこルールを守らないことをやっている。
それはある種、認められているという事。
麻薬だって総元締めは捕まえない。
政治だって立場がお偉い人は捕まらない。
その現実がある中で、自分が何ができるか。
「それが世の中なんだ」では、いかんのではないでしょうか。
そこで私はこの私自身の心を最終的にどこへどう向けるべきかを考えるのです。
私であればこうします。
自分が車のスピード違反で毎回ムカつく。
毎回ムカつく自分にもムカついてくる。
よってそのムカつく自分、すぐにイラついてしまう自分の心の暴走運転を菩提心で向上させるのですよ。
こんなことで何ですぐにイラつくのか。
心が取られやすい。
ならば、その事を問題にするわが心をこそ問題にするべでしょう。
そして、心をおさめて冷静に物事を見れるようにして、その上で正せることは正していけばよいのです。
仏教は悟ってお終いではありません。
悟ったって世の中で苦しんでいる人がいる。
全ての人を助けられなくても助けよう、治そう、より良くしようとして「菩提心をもって」生きるのです。
楽しい妄想にかえる
その道路に金属バットを持って仁王立ちし、スピード違反のガラスをたたきわってやるとか、オイルをまいてスリップさせてやるとか妄想してみるのも楽しいでしょう。
しかし、それをやっちゃうと自分も犯罪者になっちゃう。
自分が逮捕されちゃう。
そこまで妄想してみてはどうでしょうか。
質問者からのお礼
皆様、私の悩みをお答えいただきありがとうございます。
丹下覚元 様
心をおさめて冷静に物事を見れるように心がけるようにします。
たとえば、あんなにスピードを出して自分の命が惜しくないのかなーなど
そのような事を考えながら気持ちを静めるようにします。
ほかの発想方法があればご教示頂けると幸いです。
しかし、気持ちを静めるだけでなく、地元の市議会議員を応援するなど、
地域を安全にするために活動しようと思っています。
中田 三恵 様
近所の方も問題視しています。
すでに地元の市議会議員がその道路をゾーン30にするよう行政に要請しています。
できるだけ早く実現してもらいたいです。
願誉浄史 様
その妄想はかえってもどかしく、自分を苦しめるだけのような感じがします。