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私の煩悩について

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有り難し有り難し 4

こんばんは、いつも質問に答えていただきありがとうございます。
2つ伝えたいことがあります。
私は今部活から飛び出して顔を出さずにいます。https://hasunoha.jp/questions/33367
こちらに書いてある通りです。目を通していただければと思います。
私はいつもぐるぐるとこの時質問したようなことを考えていました。そして自分は競技を続けていこうという気が自分にはもうなく諦めていると思いました。
体調が悪くなってしまうのはこの事から自分が許されようと思っている事からくるものだと思います。
私はこのことを部員に伝え今まで黙っていた事を正直に告白したいと思っております。
また散々迷惑をかけたことと今までお世話になった感謝の気持ちを伝えられたらと思います。

今の私に足りないものは前の質問で丹下覚元様がおっしゃった通り自分と向き合うことだと考えています。自分と向き合うために皆さんはどのような事をされているのでしょうか、また参禅をして自信と向き合うとありましたがこれはどの様なことを指すのでしょうか。答えていただけると幸いです。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

拝読させて頂きました。
人間関係がうまくいかずに部活に行くことができなくなってしまいあなたは大変苦しんでおられることでしょう。

そのような状況になったのはあなた自身のせいでもあるかもしれませんけれども全てではありません。その方にも問題行動はあったでしょうし、周りの部員の方々にも大なり小なり問題はあったと思います。
詳細な経緯はわかりませんけれどもあなた一人のせいにすることはいかがかなと思います。
できればあなただけではなくて所属する方々一人一人が自分に向き合ってみることが望ましいです。

あなたがご自分のことを見直して反省することも大切かもしれません。
おっしゃるように座禅なさってみてゆっくりと心を整えて自分を見つめ直すことも有効な手段かと思います。

とはいえあなたと同様にそれぞれの方々が見直す必要があると私は思います。
部活動ですからそれぞれが好きで活動していることです。そんな中でも人と人との和や繋がりを大切にすることお互いが尊重し合うことは必要です。
それができないならばその活動の本来の意味や目的からは離れていると思います。

学生時代の活動ですから時間的には限りがあります。今残された時間の中であなたも他の方々もそれぞれに自分のことを見直してそしてできるならば再度お向き合いなさりじっくりとお話合いなさってみて下さいね。

繰り返しですがあなた一人のせいでは全くありません。

あなたにはこれから未来が広がっていきます。今は人生のほんの一時でしかありません。
今のようなことはあるかもせれませんけれどもあなたはこの経験から考え学んでいます。
自ずとあなたは成長しています。
そしてあなたはこれから様々な可能性を持ち、成長していくのです。

どうかくよくよなさらずに前向きに取り組んでくださいね。

私はあなたを心から応援したいと思っています。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
そしてすいません。周りの人達を巻き込む勇気がありません。もう散々迷惑をかけて苦しめたのにこれ以上求める事は自分に勇気がありません。ごめんなさい。

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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