hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

答えが出せません

回答数回答 1
有り難し有り難し 18

私には付き合ってもうすぐ3年になる彼女がいます。
彼女は私と出会う以前からうつに苦しんでおり、彼女を支えたいと思い務めていた仕事も辞めて他県から引っ越してきてきました。引っ越してきたのは約1年前です。

そして、2週間ほど前に彼女から友人(女性、仮にA子さんとします)を紹介され、彼女、A子さん、私の3人で遊ぶ機会がありました。

A子さんはとても優しく周りへの気遣いもできとても素敵な方でした。
私は友達と呼べる人があまりいないこともあり、是非A子さんとお友達になりたいと思いました。

その日の夜、A子さんは帰宅し彼女と私の2人になってから彼女からA子さんも心の病で苦しんでいることを聞き、また、A子さんが過去に男性関係で酷い目に会ってきたこと、今のA子さんの彼氏の方にも酷いことをされている事を知りました。

私は最初の内は、彼女の親友だからと言う理由で相談乗ったりしたいましたが、徐々にA子さんに対しても情が出てきてしまいました。

もちろん彼女のことは大好きだから一緒にいたいです。しかし、A子さんのことも放っておけなくて、彼女と同じように守りたいと思うようになりました。

本当に身勝手なのは分かっていますが、どちらか1人を選ぶことは難しく考えても考えても答えが出せません。

私自身、恋愛経験は今の彼女が初めてのためどうして良いかわかりません。
自分以外の人のことでこんなにも悩むのも初めてです。

相談できる人もおらずとても苦しいです。アドバイスを頂けないでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まず どちらもあなたのものではないと知る

自分の彼女
自分の恋人
自分のワイフ
人間は気が付くと マイマイマイ が付いています。
オレの、オレの、僕の、僕の、わたしの、わたしの、
まず二人ともあなたに所属させない事。
「人間は何も所有することができない」 (ジョン・レノン 福岡正信)
私も私のものはありません。
自分の中でセルフセルフしたものを強く持つから、乱れる。
ですが、それは物事や人間関係を正しくみたものではありません。
一度、あなたの中のマイマイした気持ちを両方捨て去ってみましょう。
そうすればどちらに対してもナイスな助言ができます。
私的な気持ちがあると身動きが取れなくなる。
自分の所有意識、所得意識を超えればあなたは人間的に大きな存在になりましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ