過去への後悔、加害者になったということへの罪悪感
こんばんは。
私はある日、自分が幼い頃犯してきた罪に気づき、絶望を感じました。
他人に暴力をふるったこと、友達の物を盗ったこと、また嘘でごまかしたこと。。
善悪の区別がつかないほど幼かった頃の物もありますが、それなりに大きくなってからのこともあって、今までよく「そんなに自分は悪人とは言えぬ」と思ってきたものだ、と心底後悔しました。
それに加え、自分がいじめられたこともありましたが、よく考えれば自分にも原因がある、と気づいたこともあって、多くの場合で加害者であった自分を信じられなくなりました。今更謝罪するのも怖くて、自分が怖いというのが大きいですが自分がやったことを気づいていない人にショックを与えるのでは無いかとか、誰なのかわからない(幼い頃のことでしたこと以外覚えていない)ことがあり、まだ謝れていないこともあります(謝った行為もあります)。
刑事罰対象になる以前のことで、そこから反省して頑張ろうと思ってきたのですが、何度も何度も後悔が尽きず、この5年ほど悩み続けております。
良い子だと言われてきた自分と加害者としての自分の差に愕然としか言いようの無い気持ちに襲われました。それから今にいたるまで、自分に出来るだけの善行を積むようにしていますが、過去に自分に何かされた人がそれで気が晴れるはずがないので罪悪感ばかりです。(失敗も時にしてしまいます)
いったい、どうすればよいでしょうか。
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これでいいのだ
拝読させていただきました。
タイトルの「これでいいのだ」は、時を戻すことができないことです。
人は成長する度に、過去の過ちが脳裏に浮かびます。そして、心に罪悪感がのりかかります。
しかし、過ぎたことはどうすることもできないのです。今から、謝罪に行ったところで、相手が覚えてない・会いたくなかったなどと、良い対応ができなかったとき、その時に素直な気持ちで謝罪をして欲しかったことが、相手からの願いです。
人は生きていく中で、誰かしらに迷惑を少なからずとも掛けています。
また、生きていくことは恩返しをしながら生きていくことです。
過去に犯した罪悪感を心中に「戒律」として、しっかり抱き、このような過ちを二度とされないように、自己に約束することです。
人は何かしら背負いながら生きているものでもあります。
過去は捨てよ、今をしっかり地に足をつけて前進あるのみ。
罪悪感を背負ったままでは、どんな良い環境でも、前に進むにも過去が蘇ります。いわゆる足枷を付けられた状態で、日々を生きているような感覚です。
相手に申し訳ないことをしたと感じることで、慈悲を持つことができました。これから起こり得る周囲の人々に同じようなことが生じそうになったときは、前に立ちはだかり、今守るべきものを守っていってあげてください。
質問者からのお礼
法源様
確かに何をするにつけても蘇る罪悪感が苦しいです。
戒律とし、今守るべきものを守って行く。
するべきことが見えた気がします。
丁寧なアドバイスを、有り難うございます。