月命日
前回、最愛の恋人の自殺の事で相談させて頂きました。
回答して頂いた事を心にとめて毎日過ごしておりますが、彼が居ない世界で何のために生きているのか、喪失感で本当に毎日悲しみでいっぱいです。もうすぐ彼が逝ってしまってから1ヶ月になろうとしています。
彼の遺骨はご両親に引き取られ、地方に行ってしまいました。
月命日の日に私は彼が発見された所に行くべきか悩んでいます。
彼が逝ってしまった時は、どんな所でという思いが強く、彼が亡くなった次の日に警察の方に案内して頂き場所は分かりました。
でも、またあの場所に行くのは今の私にはとても苦しくて辛いんです。
その場所に行って供養した方が良いとは思っていますが、どうしたら彼の供養になるのかお導きをお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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供養とは
ご相談拝読しました。月命日というのは亡き人への思いが強くなる日でありますね。
月命日に彼の最後の場所に行くべきかどうかということですが、気持ち的に辛いのに無理して行く必要はありません。それは「本当は行くべきだけど無理ならば…」という話ではなく、供養とは特定の場所においてでしか行えないものではないからです。
もちろんお骨の前や、お墓の前や亡き場所にて…など、人の心情として亡き人への思いを馳せやすい場所でということは一つの方法ではありません。
しかしお坊さんとしては「①ご本尊の前で」をまずは勧めますし、あるいは「②あなたが手を合わせる場所ならどこでも」とも言えます。
供養とは「残された人が亡き人のためにしてあげるもの」として考えるものと「亡き人が残された人のために用いしてくれた場」として考えるものがあります。
前者は追善供養(亡き人が成仏する様に行う)、後者は讃嘆供養(亡き人から私たちが学ぶ、亡き人を仏様と見出し出会い直す)です。
どちらの場合でもやはり「①ご本尊の前で」がまずは基本です。ご本尊とは仏様です。仏様の教えを通して私たちは亡き人を思う自分自身の姿・在り方を知り、またそのことを通して亡き人と死を自分自身のことと捉え直していけます。
大切な人の死へは後悔や悲しみや様々な思いが伴います。自分のどんな反応も自然なものであると受け入れましょう。
その上で、亡き人の死を尊重する、受け入れる眼をいただいていきましょう。
彼は今どうしているでしょうか。もしも迷っている・苦しんでいると思うのであればそれはなぜでしょうか。それは亡き人ではなく、こちらの思いなのでしょう。
亡き人は命を終えていかれた。その事実からといかけられているのは実は残された私たちの方です。亡き人を大事なことを教えてくれる仏様として見出し、出会い直していけるところに供養(共に養う)が成り立ってくるのではないでしょうか。
無理に納得する必要も、急いで乗り越えようとする必要もありません。これからも亡き人は大切な存在としてあなたにはたらいてくださる(影響を与えてくれる)仏様です。
お仏壇などの環境が整わなければ「②あなたが手を合わせる場所ならどこでも」かまいません。
あなたのペースでゆっくりとでいいのです。
質問者からのお礼
すぐご回答して頂き本当にありがとうございます。
とても気持ちが楽になりました。
供養のあり方を改めて考える事が出来ました。
自分の気持ちも焦らず乗り越えて行けるように、彼にもちゃんと安らかにして貰えるように、頂いたお言葉を胸に、供養していけたらと思います。
本当にありがたいお言葉をありがとうございました。