自殺したいと考えるのは罪ですか
はじめまして
ネットで何か質問をするのは初めてですので、拙いところ等あるかと思いますが話を聞いて頂けたら幸いです。
私は自分が嫌いで仕方がありません。自分がゴミのような存在に思えます。その理由についての自分なりの分析はできています。
私は幼少期から兄と自分を比べて生きてきました。まわりにそのような空気があったこともありましたし、兄を嫌っていたわけではないのですが、この人に負けるのは嫌だと思って生きていました。
ですが、中学受験の際、兄が合格した学校に私は合格できませんでした。その時に生まれて初めて自殺というものを意識しました。他人にしてみれば取るに足らない挫折の一つかもしれませんが、私にとっては特別な敗北だったのです。
また、受験期に継母の情緒が不安定になり、ちょっとしたことで暴力を振るうようになったことも死を意識するようになった遠因かもしれません。
中学に上がった後も無力感と絶望感に苛まれ、眠れない夜も多かったのですが、同時に前を向きたい、自分を肯定する何かが欲しいと思っていました。
その後高校に上がり進路について考える頃になると、幹部自衛官に興味を持つようになりました。初めて兄を意識せずに自分自身が興味を感じた道だったのですが、小児喘息持ちだったこと、他の進路もあるかもしれないと思ったこともあり、防衛大学校ではなく一般大学に進みました。
ですが、就活の段階になってもその夢は変わらず、結局一般大卒の幹部自衛官採用試験を受けました。結果は一次は通ったのですが、二次で不合格でした。
その後、一旦は民間企業に就職したのですが、諦めきれず会社を辞してもう一度受験しました。今度は必ずと決意したのですが、結局同じ結果に終わりました。
小児喘息だった(完治したかはわかりません)という要素が無意識のうちに自分の選択に迷いを生じさせたのか、あるいは生来の性格故かはわかりませんが、恐らく面接が敗因だと思います。
その試験は年齢制限のためもう受けることはできません。追い求めたものだったのに、ただ時間を無駄に過ごした、自分は自分の期待にさえ応えられなかったのだと思うと死にたくて仕方がありません。
私は異常でしょうか。
長文・乱文失礼致しました。宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
普通なことです
拝読させて頂きました。
あなたがそのように、死にたいと思うことは私は特に異常だとは思いませんよ。
いろいろなことが重なって辛い状況にあったり、挫折感を味わったり、深く悲しい思いをなさったり、或いはふとなんとなく死にたいと思うこともありますからね。
生きたいと思う感情もあれば死んでしまいたいと思う感情も私達の心の中にはあるのです。
私もふとひと時そう思う時があります。
ですから私の中では普通の感情です。
私も今まで生きてきた中で様々な失敗を繰り返して挫折感を味わい、病気になってしまった時にはいつもそう思っていましたし、自殺をこころみたこともありました。
とはいえ今なんとか生きております。今生かされているという感じです。
そして今は僧侶として生きております。それは私の生命は与えられたものだからです。できる範囲でできることをやっていこうと思っております。
あなたも様々与えられて今を生きていらっしゃると思います。様々にこれからも紆余曲折もあるでしょうし、失敗や挫折もあるでしょう。それでもあなたにはあなたの人生が与えられていますし、あなたの大切な未来があるのです。叶わない夢もあれば叶う夢もあるでしょうし、これから新たな出会いの中での発見もあります。ましてあなた自身の特性や才能やセンスがあるでしょう。不思議なご縁の巡り合わせの中であなたは気がつくこともあるでしょう。
人生そう簡単にはいかないものです。とはいえいろいろな気づきもあるのです。
この場所であなたがご質問頂きましたのもまた一つのご縁ですからね。
挫折や失敗のない人生はないのです。仮にあったとしても空虚です。
あなたがこれから様々なご縁に恵まれながら経験を積んでいかれて成長なさっていかれ充実した毎日を生きていかれますようにと心から祈っておりますね。
私はあなたにきっと豊かな未来が来ると信じていますから。
あなたは今挫折感の真っ只中にいるのですからそう簡単ではありませんよ。あわてずに一呼吸なさりながらもう一度ゆっくりと見つめなおしてくださいね。
私はあなたの未来を信じていますから。
自分で自分を苦しめる思考回路
「罪」とは、どういう意味でしょうか。
私は、「罪」とは、自分や他人の悩み苦しみを増やすことだと思います。
自殺を望んでいるとき、あなたはあなた自身を不幸にするような思考回路に陥っています。
自分で自分を苦しめているから、「罪」と言えるかもしれません。
気にしなくてよいことを気にしてしまう、執着心が要因でしょう。
ぜひ、こだわり、執着を捨てたすっきりと明るい心を目指してください。
「まぁいいか」「どうってことないや」と柔軟に考えられるように。
細胞はどんどん新陳代謝して、過去の自分はもういない。ただ記憶データを受け継いでいるだけ。
だから、過去に死んでいった細胞たちの抱いた夢のために、今・ここの自分まで苦しむ必要はないのです。
質問者からのお礼
御回答ありがとうございます。
とても有り難いお言葉を頂戴いたしましたが、私の中ではまだ片付けることはできそうにありません。
叶う夢叶わない夢があることは頭では重々承知していましたが、心ではなかなか納得できないものなのですね。私にとってはやっと自分を肯定できる夢が見つかったと思っていたものですから。
ですが、戴いた激励や言葉についてもう少し考えてみます。
本当にありがとうございました。