どうしても
以前ここで質問させて頂いた心の傷といいます。前回のお答えから仏教を少し理解したいと思い、お寺へ法話を聞きにいきました。ありがたいお話と竹林を渡るさわやかな風に出会えました。
私にはやりたいことがありますが、どうしてもそれに対して自信が持てません。その夢を叶えようと、関係のある教室に参加してみましたが、私の作品について講師の方が長時間批判し、「頑張っても私には駄目なのかもしれない。」と悲観的になります。
もちろん向上するためには、批判も勉強に代えていくべきと頭では分かっていますが、パワハラめいた批判「平凡。」「客観性が足りない。」(他の参加者の作品を示して)「こういうのかけないの?」と約一時間も個人攻撃されると本当にしんどいです(他の参加者は言われません。)。参加者の中で私が一番年若いので多分言いやすいのだと思います。
私は家族から虐待されてたので、批判へ過敏になってしまう、というのはありますが、自分なら他人にそんな言い方しないのに...。と本当に悲しくなります。
世の中には色んな人がいますから、受け流すという柔軟なマインドになりたいです。竹林の風を受け流すしなやかな竹の心になりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
意味のある批判と意味のない批判
拝見いたしました。
とても大変なご苦労をなさっているようですね。
さて、人が批判するとき、2つの対象に分けられます。
それは、批判される相手、そして両者の間にある関心事です。
今回の例では、
批判する人:講師
批判される相手:あなた
関心事:作品
という構図になりますね。
私が思う正しい批判というのは、この関心事についての批判です。
「この作品はここが良い」「作品が平凡」
これらは作品についての批判であって、あなた自身を否定しているわけではありません。
ですので、私ではなく作品についての話題だ、と割り切ってみましょう。
うまく話を詰めていけば、欠点がわかっていくので、講師とあなたで作品を高めることができます。
ただ「こういうのかけないの?」という言葉は、あなた自身を批判しています。
この批判によって、作品が良くなることはありません。
ただ、自分が傷つくだけです。
ですので、これは無視に限ります。もしくは、論点の対象を関心事に向けさせます。
ちなみに私は批判に慣れてしまったので、「今日はサンドバックの日だな」と考えて、相手が鬱憤をはらせるように立ち回っています。笑
そして、今日も相手に貢献できたなぁと考えています。負けるが勝ちですね。
傷つけられるようなことを素直に受け取る必要はありません。シンプルに、逃げましょう。
もし余裕が出たら、他人を傷つけて優越感に浸りたい理由があるのかな、などと大きな慈愛をもって対応できれば花マルですね。
質問者からのお礼
石井祐晃様 回答ありがとうございました
批判を分けて考えてロジカルに説明頂いたので、今度同じようなことがあれば、そのように考えます。
ただ家に帰ってもずっと心がしんどくて、上手く切り替えができない時があります。ちょっと困っております。
「今日はサンドバッグの日だな」まで考えられたら凄いですね。上手く受け流していきたいです。