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生きる意味よりも、自分の幸せについて考え行動することを
るる様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
生きているのも、今ここにあるのも、全てはご縁により成り立つものとなっております。
正確には、因縁(原因と条件)に依りてとなります。
生きる意味も、因縁に依りて成り立つもの。
しかし、因縁に依りて成り立つものの、では、その因縁のうちで、どれがそのものをそのもの足らしめているのか、つまり、そのものの実体とは何かを探し出そうとしても、それは見当たるものではなく、実体があると思い込み続けていては、無いものをいつまでも探し求めるようなもので、迷い苦しんでしまうのであります。
生きる意味も、「これだ」という実体はありません。しかし、実体は無くても、何もないわけではなく、因縁に依って有り得ているものとなります。
その因縁が善きものであれば、生きる意味も善きものとなり、因縁が悪いものであれば、悪いものとなる。それゆえ、善き因縁に努めれることで、善き意味も見いだし得るものとなります。
但し、結局、最終的にその意味を条件づけるのは自分の心次第にもなります。
例えば、拙生にとっての善き因縁、善き意味と捉えたとしても、貴方様にとっては悪い因縁、悪い意味と捉えることもあるからであります。
とにかく、生きる意味とは、実体は無いのですが、因縁と心次第で有り得ているものでしかなく、そこにあまり囚われ過ぎても答えは出ない感じにもなります。
それよりも、自分が考える幸せとは何か、その幸せのための因縁に努めて、結果へ向かっていけているのか、そのことの方がより重要になるのではないだろうかと存じます。
その結果の後付けからでも生きる意味などどうとでも自分なりに考えられるものとなります。
生きる意味云々ではなく、自分はどう幸せになりたいか、そのためには何をしなければならないのか、是非、この機会にお考え頂くことも。。
川口英俊 合掌