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誤った仏教の解釈と、仏を拝む行為について

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私は「仏を拝む」という行為を、独自の解釈で行ってしまっています。(確かそれを指す仏教用語があったと思いますが失念しました)

信心自体は強いのですが、ただ、その強い信心が間違ったものに
基づいているのでは、いつか間違いを起こすのではと、心の中で引っかかり続けています。

私の解釈では、

大日如来=真理、森羅万象、宇宙の一切。
他の仏や菩薩や如来=大日如来の化身、大日如来の内心。

であれば、
大日如来=森羅万象、宇宙の一切=自分自身も含む
であって、
他の仏や菩薩や如来=既に自分の中に存在している。

つまり、例えば「不動明王」を拝むのであれば、
どこか宇宙の果てか極楽か、とにかく超自然的な場所にいる
不動明王という存在に対し助力を願うのではなく、
自分自身の中にいる不動明王に働きかけ、自分自信が不動明王となる。

という解釈で信仰しているのですが、他の仏教徒の方のブログ等を拝見しても、「日本昔ばなし」的な不動明王が登場する話を見聞きしても、どうも自分の解釈が違っているようだと日々感じており、自分自身だけの謎信仰として心にしまっております。

私の解釈は、本来の仏教の世界観からどれくらいかけ離れてしまってるでしょうか。また、正しく仏教を学ぶ場合、何か良い手段はありますでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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礼拝の向こう側

ところで、あなたはいったい何を期待して拝んでるの?

あなたはどっちを向いて、何を目指して拝むのか。
ますは、そこから確認すべきではないでしょうか。

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おきもち

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質問者からのお礼

ご返答ありがとうございます。
身辺事情により、お礼が大変遅れたことをお詫びいたします。

いただいたお答えに関して自身で改めて整理してみました。

>あなたはどっちを向いて、何を目指して拝むのか。

私は「不退転の決意」そのものを不動明王として認識しているので
結果的に自分自身の決意を拝んでいる。という感じです。
そして、私は現在、自分自身に降りかかっている様々な
困難に負けぬよう、気合を入れ続ける事が目的となります。

一家の大黒柱である私の心が困難の前に折れては「家族の安寧」は
ありえないと考えているからです。

今回のお答えで、改めて自身を再確認する機会をいただけました事、
感謝いたします。ありがとうございました。

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