過去の過ちに苦しんでいます
こんにちは。アドバイスを頂戴致したく、投稿させていただきました。
私は思春期に、友達にひどいことをしてしまいました。一度嫌な部分が目についてしまうと何もかもが嫌になってしまい、一緒にいることができずに急に冷たい態度をとってしまうことが多々ありました。
時には仲間はずれにしてしまったり、私はそこまで思っていなくても、当人や周りからすれば「いじめられている」と感じてしまうようなことをしてしまっていたかと思います。
それが原因で先生に注意されたり、問題になったことはありませんが、傷つけてしまったことは事実です。
今ではとても後悔と猛省し、二度とそのようなことはしないと自分を戒めています。
このことを気に病みすぎて体調を崩してしまうこともありますが、これは自分の蒔いた種ですので受け入れてはおりますが…現在の生活に支障が出てしまうことに悩んでいます。
傷つけてしまった友達とは、もうほとんど会うこともなく、連絡もとっていません。
会って謝罪すべきなのかとも思いますが、相手に過去の辛い思いをぶり返さてせしまっても申し訳ないですし、謝罪して過去の過ちを浄化したいという自己満足に過ぎないようにも感じます。
そしてもっともな理由をつけて、本当は会って謝罪する勇気がないことや、拒絶されて自分が傷つくことを恐れていることも事実です。
こんな自分が本当に嫌です。
反省や謝罪の気持ちを持って過ごすことはもちろんですが、過去の過ちに囚われすぎずに過ごすにはどうしたらよいでしょうか?
アドバイスをよろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
時間が解決してくれるんだと言い聞かす。
今、心が正直になり、素直なお気持ちが発心している段階ですね。
おっしゃっておられますように自分の気持ちだけで謝ってしまうと、相手も困惑してしまうこともありますね。
しかし、相手の考えていることは、分からずトラウマになってしまっているかもしれないかもしれませんよね。
これから何十年と生きていく上で、必ずシコリが残ります。直接会って謝罪されますことをオススメいたします。
結果はどうあれ、互いに終わりと心の中でリセットできるに違いありません。
リセットできることで、お互い次の人生に進んだときに、謝ってもらった。謝った。と、いう事実は、不思議と自身の力となります。
過去は消えないですが、足に足枷を引きずって歩く人生は、何をしてもハリがでなくなりますので。
仏教の開祖でありますお釈迦様は、このように言葉を残しています。
「善は急げ」
事が上手く運びますよう祈っております。
合掌
質問者からのお礼
ありがたいお言葉、ありがとうございます。
いただいたお言葉を心に留め、自分の気持ちを整理していきたいと思います。
誠に有難うございました!
ありがたいお言葉、ありがとうございます。
いただいたお言葉を心に留め、自分の気持ちを整理していきたいと思います。
誠に有難うございました!