不安
わたしは気付かず過ちを犯してしまいました。 それがいけない事だと気づき弁護士の方に相談したところ法的には問題ないためどうする必要もないと言われました。しかしながら、周りの人にバレたら軽蔑されるような道徳的に常識的に問題があった行為でありました。バレたらいままで大切にしてきた人を失望させ信頼を全て失う行為であることです。毎日自分がしたことに後悔し謝って、毎日いつか天罰が下りバレて全て失うのかと大事な人の顔を思い出しながら考えます。因果応報ですべて失うのではないかと考えてます。バレているか不安で、人ともうまく話せなくなって不安で夜も眠れず鬱のようになってしまいました。隠しながら生きるしかないと思っていますが後悔と自責の気持ちで毎日不安で前に進む勇気がありません。いつか暴かれて起こる自分へのバッシングや天罰を考えてはこんな自分が生きてて良いのかと思ってしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
皆同じであり、埃を持っているもの。
拝読させていただきました。
生きていることは、人と接しながら日常を過ごしています。
人は懺悔ということを考えれば、キリがないほどの生産性を持っています。
「人間、叩けば必ず、埃が出る生き物」
「人生、振り返れば、恥ずかしいことばかり、前を向いて進むしかない」
と、色々な人生訓がありますように。
時間が経過することで、薄れていくことも内容によりあります。
また、犯罪者の場合であれば、生涯重たいものを背負いながら、日々を過ごしている人もいます。
何かに怯えながら、生きることはとても辛いですよね。それは「この先の未来」を考えてしまうことで、不安が襲ってきています。
弁護士に相談し、法律的に問題がないとのことでした。
道徳的であれば、これを機に自身を改める良いキッカケです。
「ピンチは、チャンス。大ピンチは、大チャンス」
と、あるように人は何かの機会(縁や原因)があることで、運命に変化を伴います。
失敗したことを後悔と捉えるのではなく、失敗をこれから起こらないように自身に戒律(戒めとルール)を持つことで、好転人生へとゆっくりと動きだします。
時間を戻せたらいいのに。時間がはやく過ぎたらいいのに。あんなことしなかったらよかった。色々と振り返れば考えますが、そこをこれからどうすれば、二度と起こらないようにするべきかを考えていく思考回路。
今、お気持ちが不安の渦中であれば、近所の神社や寺院があれば、祈りを捧げ、心の声を届け、懺悔と改心しますという報告を日々行うことで、救われていきます。
神さま・仏さまは、必ずご参拝者を観てくれています。
心に太陽の光が当たり、晴れやかな日々が一日もはやく到来しますよう、心から祈念いたします。
合掌
南無大師遍照金剛
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
毎日祈り少しでも人のためになれるように生きたいと思いました。前に進むのは怖いけれど前に進むしかないと思いました。全て失う覚悟と自らの罪に戒めの心を常に抱き少しでも人のために生きれるように。それでもまだ不安が行ったり来たりしていますがそれも抱えて人のために生きてゆかなければと思いました。