ののさまのうた、そのほか
この歳になっても、ののさまのうたの1番と2番は泣いてしまいます。
子どもは大きな声で可愛い振り付で歌うのでしょうが、、、
私は、歌詞の内容のように本当にこうだったらいいな、こうできたらいいなと思います。
特に悲しい出来ごとがあった時、無実なのにつみびと扱いをされた時、いくら説明しても理解して貰えない時。
聖書には、変えられない事は受け入れて、変えられる事はかえる。その二つを見極める賢さと勇気を。。確かこのような内容だったと思いますが、神様に祈るそうですね。
仏教ではお釈迦様は似ているような事をおっしゃっていますか?
教えてくださいませ。
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こんにちは。
「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」というお経に、
「或囚禁枷鎖 手足被柱械 念彼観音力 釈然得解脱」
(手かせ・首かせをはめられ、牢獄に鎖でつながれた状態となったとしても、その人が観世音菩薩の名を称えれば、身を拘束しているそれらの物はことごとくバラバラに壊れ、たちまち自由の身となることができましょう。)
とあります。
ブッダの真理の言葉「ダンマパダ」277に、
『「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明かな智惠をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である』
とあります。
お問い合わせの言葉に近いかな、と思いました。
仏教は、仏さま、教え、僧侶に「帰依」(こころの支えとする)信仰です。
ののさまばかりでなく、仏教の教え、そしてお坊さんが、おとうさまのようにまたおかあさまのようにいつもあなたの心を支えているのですよ。
質問者からのお礼
光禪様
ご回答どうもありがとうございます。
我にかえるというか、悲しみや悔しさの気持ちに押し潰された感情のままでいるのではなく、よく見なさい。と言われているようなお言葉ですね。
お釈迦様のお言葉は何故こんなに凜としているのだろうと考えたら、良いとか悪いとかではなく真理をおっしゃっているからなのですね。
お坊様の皆様にはいつもお世話になっております。本当にどうもありがとうございます。