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仏様について

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有り難し有り難し 33

仏様には、如来、菩薩、明王、天部、その他があり、仏様に1位、2位、3位、と言うような上下関係はなく、それぞれに役割の違いがあり、コンピュータに例えれば、如来がコンピュータ本体、菩薩は基本OS、明王は応用ソフト、天部は支援ソフトとの事ですが、コンピュータ本体である如来様がなくなった場合、仏様の世界はどのようになりますか?

2019年6月4日 19:12

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こういう話かな?

なんとなく分かる気がします。
①如来がコンピュータ本体というのは、如来は世界そのものといういう意味でしょう。ハードとしての世界(宇宙)そのものであり、同時にソフトとしての世界の道理(法則)そのものも含む…と。

②菩薩は基本OSというのは、OSがハードを動かすプログラムだと見なすと「ん?違わない?」となります。
でも昔のMS-DOSに対するWindows みたいに、一般人には理解しがたいMS-DOSの言語を、Windowsが誰でも感覚的に使えるよう通訳していると捉えると、MS-DOSが如来でWindowsが菩薩というのはしっくりくるでしょう。

③明王は応用ソフト…これは私もよく分かりません。ウイルスバスターみたいなやつのことかな?
むしろ私の感覚では、PCのハードとOSが如来で、菩薩が応用ソフト、明王はセキュリティーソフトくらいの方が分かりやすいように思います。

④天部は支援ソフト…『聖☆お兄さん』で、梵天や帝釈天、吉祥天のような天部は、お釈迦さまのマネージャーやプロデューサー…というイメージで描かれていることからきているのでしょうね。

仏教では、コンピューター本体…つまり世界はいくつもたくさんあります。釈迦如来の世界が私たちの世界、もっと西には阿弥陀如来の極楽浄土があり、逆に東には薬師如来の浄瑠璃浄土があり…みたいな感じです。
あ、そうだ。ハードとソフトひっくるめて如来と言わずに、阿弥陀如来OS(ソフト)搭載のPC極楽浄土(ハード)くらいに表現したほうが平たかったですね。

話を戻しますが、そんな感じで世界はいっぱいあります。つまりパソコンがいっぱいありますので、パソコン1つがなくなっても問題ありません。むしろPC釈迦如来の後には正当後継モデルのPC弥勒菩薩が予定されていますからご安心を。その先の予定は未定ですけど、まぁいずれ何かしらリリースされるでしょう。

ちなみに菩薩は必ずしも悟っていないわけではありません。例えば観音菩薩。大昔に悟った正法明如来が人々の救済のため、観音菩薩という姿で私たちの世界に来ています。
それに厳密に言えば如来も菩薩も人格ではなく、世界や救いのありようの暗喩です。
書ききれませんが、「仏様に1位、2位、3位、と言うような上下関係はなく、それぞれに役割の違い」というのはこの2点を押さえてあるように感じられます。

2019年6月5日 14:19
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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

どうでしょうかね…

拝読させて頂きました。
仏教は全ての人やものが仏様に成ることを目指していく教えです。
全てのものが一切の迷いや苦しみや憎しみや怒り等のを捨て去って完成に円満なものつまり仏になる教えであり、道ですよね。
ですから仏は目指す目標です。菩薩も天つまり神も王も仏を目指す途中です。
そのように仏となっていく為に様々に研鑽を積んでいく道です。
ですからコンピューターの世界やシステムとはちょっと違うように思います。
マンダラは仏教の世界観を表現していますからそれはコンピューターの世界と似てる部分はあるかもしれないですけど仏様が真ん中ですからね。

捉え方や考え方はそれぞれかとは思いますが私はそのように思います。
如来様つまり仏様がなくなることはありません。
私達は共に仏様を信じて仏様に成るように道を歩んでいく同胞ですからね。
いつか必ず私達自身がそれぞれに仏となっていくのですからね。

2019年6月5日 8:03
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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして9年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラー...

う~ん。

みぃさん、こんにちは。

コンピュータに例えられないと思います。
仏の世界観は密教曼陀羅が示しています。それを参考にするといいかも知れません。
ただし、それも一つの見方であり、仏教経典によって仏の世界観はまちまちです。
いろいろ勉強しみてくださいね。合掌

2019年6月5日 9:17
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おきもち

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法身と色身

みいさま

仏様の存在には、大きく分けて、「二身」があり、一つは、「法身」として、悟りの真理そのままのお姿、しかし、このお姿では、誰に対しても、その真理をお説きになることはできません。

もう一つは、「色身」(報身・応身)として、衆生に対して教えを説かれるためのお姿となります。

まだ悟られていない、如来を目指されておられる菩薩は別として、如来の色身、化身として現れられている菩薩や明王としてのお姿は、所化(迷い苦しんでいる衆生の側)に応じて現れられているものであり、もし、それら如来の色身・化身のお姿が無くなられても、法身自体は無くなることはないため、そのまま浄土にあられると思って頂いても構わないかと思います。

もちろん、一仏国土、一浄土は、如来のお力が及ぶ範囲となるため、もしかすると別の国土へと教化に赴かれることがあり、例えば、今のこの娑婆世界には如来(お釈迦様)の法身が不在である可能性もなきにしもあらずではありますが・・(ただ、お釈迦様がお加持なさられた法の力は、まだこの娑婆世界に残っているのは確実であると存じます。)

川口英俊 合掌

2019年6月5日 12:48
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

コンピューターの例えをしてしまいましたが、色んなお話、ユニークな例え、仏様の事少しだけ勉強、知ることが出来た様に思います。教えて下さりありがとうございました!

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

本尊とお唱えの対応関係

 こんにちは。当家の菩提寺は曹洞宗なのですが、「うちのお寺のご本尊は歴史的な経緯から阿弥陀如来なんですよ」と住職に聞きました(あまり大きくもないこともあり、それまで遠目にはわからなかったんです)。宗派の本尊と各寺院の本尊が一致してないことはよくあることですので、それ自体はへえそうなんだ。ぐらいの感想でしたが、ちょっと後で考えてしまいまして。というのも、その阿弥陀如来様の前に「南無釈迦牟尼仏とお唱えしましょう」という掲示があり、ずっとそうしてたんですけど、目の前におられるのは釈迦如来じゃありませんよね・・・?「南無阿弥陀仏」じゃないんでしょうか??みんなに目の前で「南無釈迦牟尼仏」と言われて阿弥陀如来様はどう思われることなんでしょう?両方唱えてみるべき?  実は、法要の際に住職が「南無釈迦牟尼佛・南無高祖承陽大師・南無太祖常済大師」と列挙している部分に一言「南無阿弥陀仏」と挿入していたことがあり、おお!ここで配慮してたのかと得心したんですが、逆に言えば阿弥陀如来関係はここだけです。そもそも、曹洞宗のお経は釈迦如来や観世音菩薩関係のものばかりですよね。  寺の本尊もしくは各家庭の仏壇の本尊と、お唱えやお経って、必ずしも対応してなくてもいいものなんでしょうか?多分いいんだろうけど、なんでなんでしょう?(だって、そうじゃないと薬師如来や地蔵菩薩や不動明王のお経なんか唱えたくてもまず唱えられませんよね。)如来や菩薩は相互に「私の前で誰それからこんな読経があったよ」と報告してくださってるのか、それとも上司不在時の代理決裁のように宛先が別の如来でも処理してくださるのでしょうか?このあたり、どう理解したらいいものなんでしょうか、よろしければ回答お待ちしております。

有り難し有り難し 9
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仏さまとの約束を破ってしまった

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有り難し有り難し 11
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