母は見てくれていますか?
お世話になります。
宜しくお願い致します。
先日、母の一周忌を終えました。
母が最後にメッセージとして残した言葉…自分の様に苦労苦労ばかりでなく幸せになって欲しい。と。頑張れば幸せになれる。と。私の心に重く残っている一言です。楽しかった、幸せでした。と言う言葉は書かれてませんでした。
父は優しい人ではありますが、今で言うとギャンブル依存症&アスペルガー的な感じですので、かなり苦労していました。私はケンカばかりする親を見たくなく、長い間実家を離れていました。数年前に実家に戻りましたが、私も母に甘えていた部分があり、弟もまた同じで、母に家族全員で甘えていたような気がします。いつも、自分の事より私達家族の事を考えてくれた母。強くて優しくて、尊敬していましたがありがとう。や、ごめんなさい。を言ったらお別れの言葉のような気がして最後まで言えませんでした。
最後の最後まで苦労や迷惑をかけ、自分が今生きてる事を申し訳なく思います。
ただ、もし私が毎日泣いて生きても、仕事もせず引きこもったとしても、私が自死をしても、母と会える事はできない。ならば、苦労して育ててくれたのだから頑張って生きようと少しづつ思えるようになり、心の中で母に話しかけております。
ただ、ふとした時に、本当は亡くなってしまったら無で生まれる前と同じで、母は傍にいない、見守ってくれてるなんてない…と思う自分がいます。
そう思うと虚しくなります。そしてまた自分が生きている後ろめたさを感じます。毎日がそのループです。
自分勝手な思いなのですが、
母は見てくれてると思いたい。
許してくれていると思いたい。
私は、実家を離れております。同居している彼とは宗派が違うので、何かを置く事は出来ないのですが少しでも何か出来ることはありますか?
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたが忘れない限り、母はいつもあなたのそばにいます。
ひとちゃん、こんにちは。
亡き母への感謝は素晴らしいですね。親は父母平等のはずですが、でもやはり母親に対する思いは、父とは比べ物にならないくらい大きいですね。母の子育てを苦労した分、私たちは母への思いが強いと思います。
さて、一休さんの辞世の句。
「今死んだ どこへも行かぬ ここにおる たずねはするな ものは言わぬぞ」
という歌があります。
常に、母はあなたのそばにいるのです。そしていることを感じることができるのが、毎日の読経供養になります。毎日仏壇の前で拝むことによって、母がそばにいることを実感するのです。私もその気持ちで読経の時に尊敬する父・母と話をしています。
お互い亡き母に感謝して、生きていきましょう。合掌
質問者からのお礼
お返事ありがとうございました。
仏壇が手元にないのですがその場合どうするべきでしょうか?