虚栄心
嘘の自分を演じすぎて、自分でも自分がわからなくなってきました。
この前まで死にそうなほど辛かったのに、それが無かったかのように、辛くなくなっています。自分を騙しきろうとしているんだと思います。
職場の人皆に良い顔をして、皆から好かれたい。本当の自分は暗くて、無愛想で学生時代もあまり好かれていませんでした。
だんだん、今化けの皮が剥がれてきて、ボロが出て人が離れていく感じがします。
どれが本当の自分か分からないのです。どれも本当の自分かもしれないけど、心が本当の意味で安心しないのです。
今、会社を休んだら、職場の人に幻滅されることを恐れています。
なぜなら、よく会社を休んでしまう同僚を僕一人が庇っていたからです。結局お前もそいつと同じじゃないかと思われることを恐れているのです。
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「演じている自分」なんて、人間らしいですね。
こんにちは。お久しぶり…かな?お仕事されているんですね、それが分かって何だか嬉しいです。
あなたはどうやら「学生の頃の自分が本物」で、それ以外は「本物じゃない=演じている自分」と定義されているようですが、その定義は任意のものですね?
「昔の自分=本物」というのであれば、遡って生まれたての赤ちゃんであった貴方が本物、ということになってしまいますから、「学生の頃」という限定をしているのは貴方の任意ですね?という確認です。
さて、ここまでお読みになって「あー定義とか、面倒くせぇ」と感じたかも知れません。けれど、多分これ、余り意識せず行っているんじゃありませんか?だから引っ張り出そうと考えたわけです。「面倒くせ」と感じたら成功です。
さて、端から(つまり私から)見た貴方の姿は「以前とは異なる行動パターンを身に付けようとして努力している。けれど疲れてきた」ところかな、と。「騙しきった」としたら「行動パターンや性格が広がった」ということでしょうし、「やっぱ辛い」となるなら、「行動パターンを変えるというのは、それだけ力業だと知る」結果となるでしょう。
ということで、「自分の行動パターンについて、選択肢を増やす」か「行動パターンを変えるのは難しいと学ぶ」、どちらにせよ変化の時だと見えます。とても「人間らしい営み」に見えますよ。
はい、客観的にいって、「あなたはずっと変化し続けている」のです。諸行無常ですからね。それに棹さそうとしている貴方は、何か「学生時代に、そのことによってメリットを得ていた」のだろうなー、と思います。それが何であったかを掘る必要はないと思いますがね。
質問者からのお礼
確かに高校卒業頃を境に、それまでの学生生活が受け入れられず、自分を変えなければという考えにとらわれて、10年近く自分を変えようと頑張ってきたつもりです。
だからそれ以前の中学、高校時代の自分を本物で自然な自分と捉えていました。
しかし今になって行動パターンを変えるのは難しいと感じるようになりました。
ただ、気づかないうちに10年前と比べて良く変わってる部分もあると思います。その分、精神的に負荷をかけていた部分もあり、人として大切な感覚を失ってしまったような気もします。
自分を変えようとしたことが良かったのか分かりませんが、人間らしいと言って頂き、少し気持ちが安心できます。
ありがとうございました。