施餓鬼供養について
はじめまして。よろしくお願いします。
以前何かで在家が日常的に行う施餓鬼についてみた記憶があり気になっています。
(たしか中国の話だったと思います)
日本では在家が行える施餓鬼法はあるのでしょうか。
おかしな質問で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
日々の生活の中で
拝読させて頂きました。
施餓鬼は広く寺院によって毎年行われている行事です。
飢え苦しむ餓鬼に施しをすることにより功徳を積むことですから沢山の方々が施餓鬼会法要に参加なさっていらっしゃいます。
もとのお話はお釈迦様と弟子の阿難さんの逸話に基づいています。
ちなみに浄土宗ではこのように書かれいます。
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/施餓鬼会
施餓鬼はお坊さんやお寺だけのことではなくて一般の方々があまたのものに施しをすることが大切ですと教えているものです。
ですからいつでもどこでも思い立ったら実行することができるものです。
どうか日々の生活の中であまたのものに施し、助けて慈しみなさってみて下さいね。必ずあなたがその報いつまり果報を受けることができますからね。
「生飯」(さば)
守彦さま
もしかすると「生飯」(さば)のことであるのかもと存じます。
これは、例えば禅宗では、修行中の朝昼二度の食事の際に、餓鬼や畜生など食べ物に恵まれずに苦しんでいる者たちに対して、それを施すという意味合いで、皆、それぞれついでもらったご飯から七粒ほどを取り、わきにおいて、それを回収して、生飯台にまとめてお供えするという作法となります。
たいていは、鳥や虫がそれらを食べてしまうことになりますが、食べ物にあり付けた自分だけを良し(自利)とするのではなく、他の有り付けない者たちへも施す(利他)という、その施し(利他)の心を養うための大切な作法であります。
読むお経も決まっており、食前に、般若心経、十仏名、喫粥偈(朝)・喫斎偈(昼)、生飯偈、五観文、三匙偈。食後に、折水偈、粥畢偈(朝)・食畢偈(昼)。
生飯偈の時に、生飯を取ることになります。この生飯偈は、施餓鬼(開甘露門)のお経の一節となります。
簡単にされるのであれば、食べられることへの感謝と共に、食べ物にありつけない者たちのためへと向けて、生飯偈を唱えられて、生飯をお供えなさられるのも。
生飯偈「汝等鬼神衆 我今施汝供 此食偏十方 一切鬼神供」
じてんきじんしゅう ごきんすじきゅう すじへんじほう いしいきじんきゅう
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様、川口 英俊様
お礼が遅くなってしまい申し訳ございません。
ご回答下さりありがとうございました。