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両親の死

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有り難し有り難し 17

初めまして宜しくお願いします。
私は先日 母を末期癌で無くしました。
母とは自転車で5分程の距離に住んで居ましたが自ら進んで会いに行こうと思っていませんでした。
父が2016年に亡くなるまで4年間の間
私は自分の家庭よりも父に尽くしました。今でも思い出し泣いてしまいます。延命治療を選択しなかった後悔。母はどちらかと言うと非協力的で許せない気持ちが強くあり
母から電話が来ても無視をしたりしてました。
今年になって母から頭が痛いねん
しんどいねんと電話が来ても
それなら病院に行けばと冷たくしてました。
そんな中3月26日に母の様子を見に行った私の子供が直ぐに病院に連れて行かなアカンと言う事で救急に行き
聞かされたのは癌が転移して頭蓋骨が溶けているとの事でした。
治療は出来ず4月28日に亡くなりました。苦しみながらでは無かったです。
私は父の時の様に母には献身的な看病も出来てなく今でも母が居ない事の事実も受け入れる事が出来ず母の遺影を見る事も出来ません。
ごめんなさいと心で謝るだけです。
私には姉も妹もいます。
しかしどちらも遠方で
お母さんの事は頼むよって言われていたので申し訳ないと思っています。
今回は誰にも言えない気持ちを打ち明けたかったので書かせて頂きました。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご両親の「死」は、あなたの「生」へと繋がっています

こんばんは。亀山純史と申します。

両親に限らず、家族の死に直面するとき、もう何も語ることが出来ない故人に対して、様々な思いが沸き起こってきます。「するべきことは全てやった。」という言葉を発することが出来るとしたら、それは故人とかかわってきた私たちではなく、故人その人においてでしょう。

私たちは必ず死ぬべき存在であることは、みな知っています。だからこそ、家族に対しては、一日でも長く生きていてもらいたいと思うのです。そして家族が亡くなれば、「あの時、ああしていたら、あと数日、否、あと数か月、数年、生きていてくれたかもしれない。」と思うのです。

人の命との関わり合いは、後悔の連続です。しかし、そのような後悔の思いを通して、私たちは命の尊さを噛みしめることでしょう。そして、命の尊さを噛みしめるところに、亡き人の「死」は、今こうして生きているあなたの「生ーどう生きるべきかー」へと繋がってくるのです。

今、母の遺影を見ることが出来なくても、お母さんはあなたのことを恨んだりはしていません。あなたのお母さんへの思いは、十分にお母さんのもとへ届いていることでしょう。

以上が私からの回答です。少しでも、さっちゃんのお気持ちに寄り添うことが出来たならばと思っています。

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