私をいじめた人が楽しく生活しているのを聞いてから心が苦しい
中学時代、私を「人間の失敗作」と呼び精神疾患になるまで追い込んだ彼らが楽しそうに生活しているの生活しているのを聞いてから心が苦しいです。
私は中学卒業後、病気の症状が重かったため通信高校に進み現在は一年遅れで大学に通っています。
症状は相変わらず重いままですが、これから何とか就活しようと思った矢先人づてにこの話を聞きました。
その話では、彼らはそれなりの大学に入り内定も獲得したそうです。Facabookで確認したところその話は本当みたいで、大学の友達と楽しそうに写っている写真も投稿されていました。
それを見たときに嫉妬や妬みという感情はわきませんでした。それよりも悲しみが溢れてきました。
私を病気になる原因を作った彼らが普通に暮らしていて、私は毎日薬を飲みながら必死に大学に通う。
この不条理は心の中でどう整理したよいのでしょうか?
読みづらい文章で申し訳ありません。
容姿に執着、他人の目線が気になる、劣等感を抱きやすい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
全力で決別する
もう、違う道を行ったのだから、心の中でもう一度会おうとするようなことをすべきではありません。Facebookを確認なさったって…その人たちが幸せだったら幸せだったで悲しくなり、その人たちが苦しんでいたら苦しんでいたで、ついそれを喜んでしまう自分自身が悲しくなるのではありませんか?どう転んでも苦しむようなことはしちゃいけませんって。
他人から聞かされてしまうのは仕方がないですけどね、それ以上は深入りさせられないように「ごめん、俺、あいつらのことダメなんだ」って言って良いのですよ。そういう所で頑張って良いのです。
芸能人の方々が口を揃えておっしゃる言葉があります。ネットで自分の評判を見てはいけないと。どんなに人気絶頂の超売れっ子でも、必ず酷い悪口が書かれているから。私も似たような事情で2chの宗教関連だけは近寄らないようにしています。「〇〇寺修行道場出身の連中は産業廃棄物だ」というレスを『お坊さんが』書き込んでいたりしますからね。
お坊さん同士で軽蔑し合うからこそ仏教全体が軽蔑されると何故分からないのか…でも、話して分かる相手ではないから絶対に近付かないのです。「邪見の輩(ともがら)には群すべからず」です。
みんなそういった心のバランスを保つためのルールを守る努力をしながら生きているのですよ。
不条理というものはどうしても存在してしまいます。それこそお坊さんなんか酷い言われようですよ。妻帯や世襲で生まれた坊主は本来、存在すべきではないみたいなこと何度言われたことか。でも、その1つ1つはもう、過去なのです。過去はほじくり返してはいけないのですよ。どんな掘り返し方をしても自分が苦しむから。こんな回答を書いてるお坊さんだって今まさに辛いのです。
過去は整理しようとしてできるものではありません。ただ手放して、先を向く努力だけしましょう。
人を踏み躙っておいて、幸せになれる訳がない
人を踏み躙っておいて、幸せになれる訳がない
以前、或る知合いの方から、こんな相談を受けたことありました。
知合い
「実家の母親が亡くなり、葬儀も無事終わりました。実家ではタバコの販売店をしていたので、「日本たばこ㈱」に営業者変更の手続きをするからハンコを貸してくれ。」と実家の兄に言われたので貸しました。その後、実家やアパートや貸地の相続手続きの事を何も言ってこないので変だなあと思っていました。後で、私から借りた印鑑で全部の土地や預金を自分一人で相続する手続きをしてしまったことがわかりました。兄弟のことを裁判で訴えのはさすがに嫌です。でも、嫌な思いをしました。こんなことが許されることでしょうか?」
私
「人を騙して、財産を多く得たとしても、そのことで幸せになれる訳がありません。お兄さんには奥さんも居れば、子供もいると思います。しっかりと働いて蓄えた財産、正当な手続きを経て得た財産だからこそ、大事に管理し、次代にしっかりとバトンタッチしなければと考えます。子供達にもそう言い聞かせられます。しかし、人を騙して得た財産の場合、一生懸命騙して得た財産だから大切にしよう、とは家族に言えないでしょう。つまり、財産を騙し取っても、その家族はその財産を大事に守り伝えて行くことは出来ません。騙し取った財産はその家族を幸せにはしてくれません。」
ご質問の趣旨は、「私を病気になる原因を作った彼らが普通に暮らしてい」ることに憤りを感じておられることだと思います。本当にそうですね。そういう連中がのさばっていて良い筈がありません。
仏教には「自業自得」いう言葉があります。「悪い行い」という種蒔きを繰り返していては、いつか必ず「悪い芽」が出て「悪い樹木」へと成長します。発芽したり樹木へと成長したりするまでには、種々の条件によって、短期間であったり長期間であったりします。「そうた」さんをいじめた連中は、いずれ報いを受けます。人を踏み躙っておいて、幸せになれる訳有りません。
「そうた」さんの心の傷はすぐには癒えないかもしれませんが、そんなくだらない連中のことを心に留めて置くことは、人生というあなたの貴重な時間を浪費することになります。彼らの行く末を気にするよりも、自分の人生をしっかり歩く事の方が大事です。「良い種」を蒔きつづける人生を歩みましょうよ。
質問者からのお礼
大慈さん、吉田さん回答ありがとうございました。
大慈さん
大慈さんのアドバイス通りこれからはネットで彼らのことをみるのはやめます。大慈さんのおっしゃる通り自分のことを傷つけているような気がするので、他人を見やすいSNS等の利用も最小限にしたいと思います。ありがとうございました。
吉田さん
「彼らにはいずれ報いがくるから大丈夫」と彼らを切り捨て、良い種を蒔き続けていきたいと思います。
はっきり言って私の傷はまだ癒えていません。きっと癒えてもやけどの跡のようになって私の心の一部になるでしょう。
でも、そのころには傷に慣れてすべてをいい経験だと考えられると思います。ありがとうございました。