無縁になってしまった49日法要
先日、叔母が他界し、菩提のお寺は曹洞宗でしたが、喪主の長男が、無知のため、真言宗の形式で葬儀を行ってしまいました。
来週49日が来るのですが、
その後、菩提寺に相談するどころか、葬儀社から紹介された、自宅の近所にある、曹洞宗の寺院に相談に行き、結果的に、他宗派で法事を執り行なってしまったこと、菩提寺がある、という当然な事より、49日、100日法要は断られ、故人は曹洞宗を信仰していましたが、お経を上げてくれる和尚様とはご縁がなく、49日法要は、喪主が一人で、心を込めて行うと言われました。
菩提寺に相談するという選択肢がなく、具体的な理由もないようでした。葬儀社に依頼しきりで、他人任せなのも垣間見えました。
墓地管理規則も無視した行為ですので、ご縁がなくなるのは当然です。
そして、この行為により、いずれ墓地そのものも撤去されると思うと、今までろくに墓参りもした事のない喪主に、故人に頼まれて、先祖代々の墓を守ってきた私としては、先祖を敬う心を抉られる様な、許せない気持ちで頭の中が混乱しています。
49日、100日、1周忌…と法要がありますが、呼べるお寺様もないため、喪主が一人で行うというのはいかがなものか、ご意見をいただきたく存じます。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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無縁は縁を取り持つことで有縁になる
コミュニケーション不足の問題は、コミュニケーションをするしか乗り越えようがないでしょう。ネットという第三の場で話を進めても余計に状況がかき乱されるだけです。
まず、法事というものは『故人さまをご供養したい人、みんなのための儀礼』です。喪主個人の私物ではありません。当然、喪主の意向は尊重せねばなりませんが、同時に喪主にも親類縁者みんなができるだけ心穏やかになるよう心を配る責任があります。その責任を果たす努力をしてこその喪『主』です。そこから逃げるならただの喪中の人です。(もちろん状況や辛さに応じて責任の軽重を塩梅してあげないといけませんけどね。)
そうした時に、まずはもう一度喪主さんと話してみて、今の金魚さまの思いを伝えましょう。「あなたはそれでもいいのかもしれないけど、私は心を抉られる様な、許せない気持ちで頭の中が混乱しているのだ」と。それが“具体的な理由”になるのであればそれに越したことはありません。
もしそれでも具体的な理由にならないのであれば、そこまでの喪中の人です。日本には信仰の自由があります。喪中の人が1人で心を込めて拝むのは、その人の自由です。自由にやらせてあげれば良いでしょう。その一方で、他の親類縁者が直に菩提寺さんとコミュニケーションをすることを禁止する権限は、喪主にはありません。ご供養したいという思いを止める権限もありません。
昨今のことですから、菩提寺さんも「困ったことですね」と同情し、上手い具合に道筋を示してくれるのではないかと思いますが、人によっては怒り出してしまうかもしれません。それは実際にコミュニケーションをとってみなければ分からないことです。
菩提寺さんと話してみて、話が上手くまとまれば何よりです。万が一、上手くまとまらず縁が切れてしまうようでしたら、またここでご相談ください。
そんな風に、今からでも出来る範囲で筋を通しながら、少しづつコミュニケーションをしていくのが一番だと私は思います。筋を通すことは、それ自体が安心できるものです。悲しい時期に、さらなる重荷を背負われるようなことで本当にお辛いとは思いますが、心穏やかに手を合わせられる環境が整いますよう、お祈り申し上げます。
質問者からのお礼
お忙しいところ、回答いただき感謝申し上げます。
私は故人の姪という立場で、喪主には、容赦なく意見を言ってはいますが、本人の性格上、頑固で自分の考え、意思を貫くことしかないようです。
意思疎通の難しさを痛感しております。
喪主に常識がないため、また故人も望んだこととは考えられず、この様な流れを作り、最悪の展開の結果に絶望しております。
取り乱した内容で、お恥ずかしい限りですが、大慈師様の、YouTubeを見て、心の平穏を取り戻して行きたいと思います。
ありがとうございました。