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信仰とは何でしょうか

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私の家は曹洞宗で、お葬式も、法事もお寺にお願いしています。
一度詳しく学びたくて本を買い読んでみたのですが、難しくあまり理解でき
ませんでした。

ある人に宗教は難しく表現して複雑にしている。と教わったのですが、スピリチュアリズムと宗教の違いはどんなものですか?

私は、自分が生まれてきた意味は、
信仰を大切にし、地に足をつけ、
たくさんの事を経験し、感動や喜怒哀楽を学び愛を学ぶことだと思っているのですが、仏教では、人が生まれてくる意味などは説かれているのでしょうか。
もし、そういったことがあったら教えて頂きたいです。

宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

信仰とは、自分や世界にレッテルを貼らない生き方

曹洞宗僧侶です。順に回答します。

>ある人に宗教は難しく表現して複雑にしている

これは半分本当で半分嘘ですね。単に「難しくしたい派」と「簡単にしたい派」で、ブームが交互に来るだけのことです。古今東西、流行は巡るのです。
日本仏教は大昔から絵解き(マンガの祖先)で表現したり、琵琶法師や落語のようなライブで平たく表現をしていました。
その一方で、戦後世代(団塊の世代前後)に「難しくしたい派」が直撃していたので、今の年輩の方々はそういうイメージが強いのです。でもですね、今やお坊さんYouTuberなんか何人もいますし、少女コミックコーナーにはお寺を舞台にした作品がいくつも並んでいます。仏教系コミックエッセイも沢山あります。テレビドラマにもなりましたね。
その点、曹洞宗はネット利用は積極的なんですが、出版には熱心じゃない感は否めません。

>スピリチュアリズムと宗教の違いは

宗教というくくりは広すぎるので、スピリチュアルと仏教で比較させていただきます。
スピリチュアルは「幸運を引き寄せ」たり、「運命を変え」たりしようとします。自分にとって都合のいい結果を引き寄せようとするわけです。
仏教は真逆で、「私に都合良くなれ!」「なんで都合良くならないんだ!」と、自分自身の自己中心的な心のあり方をやめましょう。その方が根本的に楽になりますよ…という方向性です。
欲望を刺激して、どんどん欲望を膨らませながら叶えようとするより、欲望の沸点を下げた方が楽だとお坊さんは思うんですよね。

>人が生まれてくる意味

これは説かれていません。仏教的な意味で「地に足をつける」とは、鳥が飛べば飛んだ世界、魚が泳げば泳いだ世界、そのままを生きることです。
鳥が飛んだことに何の意味があるのか?魚が泳いだことに何の意味があるのか?あるいは人が生まれたことに何の意味があるのか?そのように考えてみたところで、その考えは全て頭の中で展開しているストーリーです。そういうストーリーが展開した瞬間、人はリアルの世界から妄想の世界に迷いこみ、現実とのギャップに惑ってしまいます。
そういうストーリーを考え出す前の、この世界がこのまんまの段階で、このまんまの世界を誠実に生き抜く……そんな生き方を信心(信仰)と言います。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

仏教は仏に成る教え。仏とは真理に目覚めた人。

仏教は「苦」をなくすための教えです。人と生まれたという事はまだ「苦」の中にあるということです。だからけして人がその他の動物より優位であるとかそのようには考えません。生まれるものは迷いの中にある「苦」なるものです。

ですが同時に、人と生まれたという事はその他の動物と違い、その「苦」を自覚することが出来るがゆえに仏法を聞く事ができる千載一遇のチャンスであるとも説かれます。

さて、ここまででお気づきの通りポイントは「苦」です。

仏教で説く「苦」とはいわゆる「苦しい」とか「辛い」というよりも深い意味であり、言うならば

「条件づけられているがゆえに思い通りにならない」

という意味です。

ですから苦しいことはそのまま「苦」であるし、いわゆる楽しいことも嬉しい事もそれがやがて変化する際には逆に辛さが大きくなるためやはり「苦」なのです。

あらゆるものごとには原因がある故に原因が変われば変化していく…そしてやがては滅びる…これが「一切皆苦」「諸行無常」という真理です。

仏教ではいわゆる神のような絶対的な存在を規定しません。だから運命論でもないし、仏罰とか仏がお願いを叶えてくれるということもありません。

あらゆるものごとは数数えきれない原因と条件が織り成して相互依存的に成立していると考えます。

その中において究極の「苦」は「死」です。人はかならず老い、病み、死にます。それらに条件づけられて逃れることが出来ません。だから生まれたということは「苦」の中にあるのです。

その「苦」の原因を遡っていくと「無明」(むみょう)という煩悩であることにお釈迦様は目覚めました。その煩悩を滅したならば肉体的な死はなくならなくとも、死を苦と感ずる状態からは脱する「涅槃」(ねはん)という究極的に穏やかな境地に達するのです。それが成仏です。

そういう意味ではおっしゃるところの「自分が生まれてきた意味」は「仏になるため」ということになります。
それを自分なりの言葉や感覚で確かめていくところに救いがあるのでしょう。

スピリチュアリズムはよくわかりませんが仏教はいわゆる超能力とか引き寄せとかそういうわけのわからないものではありません。
あらゆるものに「わけ」=「原因」があると考えます。同時にそれらのすべてに人間の思い計らいが及ばないという分限も持ち合わせています。それを「不思議」と言います。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

吉武文法 様
ご回答いただきまして、ありがとうございました。
生まれてきたということは、輪廻の中迷いの中にいるということなのですね。
老いて病み死ぬ、生きる苦しみということでしょうか。
その中で、自分なりに仏教を学び 苦 に対する考えを持っていきたいです。
少し難しかったので、何度も読み返しよく考えてみたいと思います。
ありがとうございました。

大慈 様
ご回答いただきまして、ありがとうございました。
頭の中で展開するストーリーにはっとしました。
仏教とは、生き方を教えてくださっているのですね。
煩悩の数だけ苦しみがあるのでしょうか。
幸せとは自分の中にあるもので、ほかに求めるものではないのかもしれないと思いました。
ありがとうございました。

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