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信仰とは何でしょうか

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私の家は曹洞宗で、お葬式も、法事もお寺にお願いしています。
一度詳しく学びたくて本を買い読んでみたのですが、難しくあまり理解でき
ませんでした。

ある人に宗教は難しく表現して複雑にしている。と教わったのですが、スピリチュアリズムと宗教の違いはどんなものですか?

私は、自分が生まれてきた意味は、
信仰を大切にし、地に足をつけ、
たくさんの事を経験し、感動や喜怒哀楽を学び愛を学ぶことだと思っているのですが、仏教では、人が生まれてくる意味などは説かれているのでしょうか。
もし、そういったことがあったら教えて頂きたいです。

宜しくお願い致します。

2019年7月3日 18:34

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

信仰とは、自分や世界にレッテルを貼らない生き方

曹洞宗僧侶です。順に回答します。

>ある人に宗教は難しく表現して複雑にしている

これは半分本当で半分嘘ですね。単に「難しくしたい派」と「簡単にしたい派」で、ブームが交互に来るだけのことです。古今東西、流行は巡るのです。
日本仏教は大昔から絵解き(マンガの祖先)で表現したり、琵琶法師や落語のようなライブで平たく表現をしていました。
その一方で、戦後世代(団塊の世代前後)に「難しくしたい派」が直撃していたので、今の年輩の方々はそういうイメージが強いのです。でもですね、今やお坊さんYouTuberなんか何人もいますし、少女コミックコーナーにはお寺を舞台にした作品がいくつも並んでいます。仏教系コミックエッセイも沢山あります。テレビドラマにもなりましたね。
その点、曹洞宗はネット利用は積極的なんですが、出版には熱心じゃない感は否めません。

>スピリチュアリズムと宗教の違いは

宗教というくくりは広すぎるので、スピリチュアルと仏教で比較させていただきます。
スピリチュアルは「幸運を引き寄せ」たり、「運命を変え」たりしようとします。自分にとって都合のいい結果を引き寄せようとするわけです。
仏教は真逆で、「私に都合良くなれ!」「なんで都合良くならないんだ!」と、自分自身の自己中心的な心のあり方をやめましょう。その方が根本的に楽になりますよ…という方向性です。
欲望を刺激して、どんどん欲望を膨らませながら叶えようとするより、欲望の沸点を下げた方が楽だとお坊さんは思うんですよね。

>人が生まれてくる意味

これは説かれていません。仏教的な意味で「地に足をつける」とは、鳥が飛べば飛んだ世界、魚が泳げば泳いだ世界、そのままを生きることです。
鳥が飛んだことに何の意味があるのか?魚が泳いだことに何の意味があるのか?あるいは人が生まれたことに何の意味があるのか?そのように考えてみたところで、その考えは全て頭の中で展開しているストーリーです。そういうストーリーが展開した瞬間、人はリアルの世界から妄想の世界に迷いこみ、現実とのギャップに惑ってしまいます。
そういうストーリーを考え出す前の、この世界がこのまんまの段階で、このまんまの世界を誠実に生き抜く……そんな生き方を信心(信仰)と言います。

2019年7月3日 20:08
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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

仏教は仏に成る教え。仏とは真理に目覚めた人。

仏教は「苦」をなくすための教えです。人と生まれたという事はまだ「苦」の中にあるということです。だからけして人がその他の動物より優位であるとかそのようには考えません。生まれるものは迷いの中にある「苦」なるものです。

ですが同時に、人と生まれたという事はその他の動物と違い、その「苦」を自覚することが出来るがゆえに仏法を聞く事ができる千載一遇のチャンスであるとも説かれます。

さて、ここまででお気づきの通りポイントは「苦」です。

仏教で説く「苦」とはいわゆる「苦しい」とか「辛い」というよりも深い意味であり、言うならば

「条件づけられているがゆえに思い通りにならない」

という意味です。

ですから苦しいことはそのまま「苦」であるし、いわゆる楽しいことも嬉しい事もそれがやがて変化する際には逆に辛さが大きくなるためやはり「苦」なのです。

あらゆるものごとには原因がある故に原因が変われば変化していく…そしてやがては滅びる…これが「一切皆苦」「諸行無常」という真理です。

仏教ではいわゆる神のような絶対的な存在を規定しません。だから運命論でもないし、仏罰とか仏がお願いを叶えてくれるということもありません。

あらゆるものごとは数数えきれない原因と条件が織り成して相互依存的に成立していると考えます。

その中において究極の「苦」は「死」です。人はかならず老い、病み、死にます。それらに条件づけられて逃れることが出来ません。だから生まれたということは「苦」の中にあるのです。

その「苦」の原因を遡っていくと「無明」(むみょう)という煩悩であることにお釈迦様は目覚めました。その煩悩を滅したならば肉体的な死はなくならなくとも、死を苦と感ずる状態からは脱する「涅槃」(ねはん)という究極的に穏やかな境地に達するのです。それが成仏です。

そういう意味ではおっしゃるところの「自分が生まれてきた意味」は「仏になるため」ということになります。
それを自分なりの言葉や感覚で確かめていくところに救いがあるのでしょう。

スピリチュアリズムはよくわかりませんが仏教はいわゆる超能力とか引き寄せとかそういうわけのわからないものではありません。
あらゆるものに「わけ」=「原因」があると考えます。同時にそれらのすべてに人間の思い計らいが及ばないという分限も持ち合わせています。それを「不思議」と言います。

2019年7月3日 20:14
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はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

質問者からのお礼

吉武文法 様
ご回答いただきまして、ありがとうございました。
生まれてきたということは、輪廻の中迷いの中にいるということなのですね。
老いて病み死ぬ、生きる苦しみということでしょうか。
その中で、自分なりに仏教を学び 苦 に対する考えを持っていきたいです。
少し難しかったので、何度も読み返しよく考えてみたいと思います。
ありがとうございました。

大慈 様
ご回答いただきまして、ありがとうございました。
頭の中で展開するストーリーにはっとしました。
仏教とは、生き方を教えてくださっているのですね。
煩悩の数だけ苦しみがあるのでしょうか。
幸せとは自分の中にあるもので、ほかに求めるものではないのかもしれないと思いました。
ありがとうございました。

「宗教について」問答一覧

宗教とは

祖父の葬儀の時に「死後の世界はこうなっています」と何層かになっている図の説明を受けました。 仏教に限らず死後の世界、天国地獄も含めて「あることは知っているでしょ」からはじまることが多く、「なんでだれも見たことないのにあるということになっているのか」が解りません。 さらに私の認識では例えば仏教はゴーダマシッタルーダが釈迦のペンネームで小説を書いてそれを各宗派の開祖が読んで読書感想文を広めた、というイメージなのです。そう考えないと宗派毎の教典の違いや祭事の違いなど差が出てくることが理解できません。 宗教が絶対のもので揺るぎがないものであれば解釈が変わったり宗派が分かれたりするものではない。会派が別れたり解釈が変わるのは不完全な創作物である証かと思います。広めるために土着信仰と結びつくなどその尤もたるところです。 かなり偏った意見になっているのですが「こういうことになっている」だけで「なぜそういうことになっているのか」「それが間違いない検証は取れているのか」を説明しているものがあれば教えていただきたいと思います。 化学実験でいえば「再現性」、こうすればこうなる、というものです。それがなければ「どうなるか解らないのに信仰するの?」となってしまいます。 また、どうしても論理的に根拠がしっかりしているものでないと認められない性格なのですが、「いやいや宗教というのはそういうものじゃないんだよ」というのがあれば教えていただけないでしょうか。

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宗教、神道、スピリチュアル

今の世の中は情報で溢れています。 スマホって簡単にいろいろ調べることができて、情報で溢れかえっています。 心がツライときや精神的にしんどいときに、 精神的に弱く強くなりたいなぁ 傷つきやすい性格を変えたいなぁと思い、 検索魔になって検索すると、 あれやこれやいろいろ出てきて、 何が良くて何が悪いわけではないと理解していますが、情報が多すぎて、よくわからなくなってきます。 何がホントなのか?何を信じていいのか? きっと私意外にも藁をもすがる思いで、いろいろ検索する人もいると思います。 (確固たる宗教など崇拝してる方は、このような迷いはないかと思いますが…) 信じたいことだけ信じてればいいのでしょうか? 仏教的な目線は下記のことはどのように思われますか? 全ての出来事は引き寄せ? 出会う人や出来事は偶然?必然? 自分に起こる出来事は必ず必要? 乗り越えられない試練はない? 健康に問題があるときは暗示? 仏様にお願い?神様にお願い? 宇宙に任せる? 自分の胸にすーっと収まった言葉こそがご縁があり、その時に、ん?なんか腑に落ちないなって思う言葉は受け入れなければいいのでしょうか? そのような言葉でも後から受け入れるようになるかもしれませんが… 私自身、家に仏壇もあり仏教ですが、正直、意識するときはお墓まいりや法事の時だけです。ですが、今度はお墓があるお寺に仏教講座があるので、参加しようと思っています。 自分勝手な考え、散文、お許し下さい。 お手数お掛けします。よろしくお願い申し上げます。

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信仰ってなんだろう

私は、信仰するということの概念について悩んでいます。何故なら、私は、神様や仏様の存在を信じてはいるのですが、それは人間の心の内にある概念に過ぎず、形而下で捕捉できるものではないと思っており、この考え方が取っ払えない以上は心底から神仏を信仰することは叶わないのではという疑念を抱いているからです。 私がこのような考え方をもったきっかけは、遠藤周作さんによる著書「沈黙」を読んだことです。ご存知でない方に簡単にあらすじを説明しますと、キリスト教の弾圧があった江戸時代に、ある宣教師が拷問の末に棄教したという報を受けてその弟子が真相を求めて来日し、救いを求める弱い隠れキリシタンや彼らを拷問にかける大名と出会いながら、仏教との相違や絶対神の是非について考え、葛藤するというものです。 私がこの小説で衝撃を受けたのは、諸行無常の考えを礎とした仏教を信仰しているはずの大名が、キリシタンだというだけで農民の魔女狩りを行い、キリスト教の弾圧に執心していたことです。 宗教というのは、固まった思想を提示することで人々の心を安定させたり、民衆を統制させる側面があるとは思うのですが、劇中のように政の道具としての扱いにとどまったり、科学が普及した現在において金稼ぎのダシに成り下がってしまったりする宗教文化を多々見ると、もしかして心の底から神仏の存在を信仰することは最早なり得ないのではないか、という疑念を感じずにはいられません。 こうした疑念に輪をかけるのが、自然の脅威です。現在猛威を振るうコロナウイルスや、台風、地震などといった災害は、私たちにとっては害悪でしかなく、早期の収束や撲滅を願われるばかりですが、それらの現象は我々の嘆願とは関係なくただ事実として存在するのみであり、これらを既成の宗教概念によって説明するには限界が生じるのではないかと思います。それを考慮すると、我々に都合の良い神仏への疑念が益々助長されるばかりです。 私は、目的によっては多少の方便は許されても良いと思っていますが、神仏を本気で現実のものと信じている方々のことを考えるとどうしても後ろめたいものを感じます。こうしたことについて、僧侶の皆様はどう思われるのでしょうか。冒涜と思われるのでしょうか。それとも、これも信仰と思われるのでしょうか。 大変無礼な質問であると承知しておりますが、何卒宜しくお願いいたします。

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神を信じているはずなのに~相談します。

私は神の実在を信じています。でも、各宗教の説く信仰の世界になじめず、ひとりでさまよっています。 私の煩悩は「自殺したい」とか「神よ私を速やかに殺してください」と願うことです。 自殺すると仏教で言う「無間地獄」に堕ちると信じるので、具体的にはあの世で自殺霊・地縛霊になり、救われることはないと信じるため、怖くて実行できません。 そんな人生否定の感情や死後の恐怖から生きるとしたら、なんと消極的で暗い、マイナスの人生観・生活観でしょうか? 私は人生の初期に親から新興宗教の経典を読まされ、神棚の前に正座して「人生は苦悩なり」という経文を唱えさせられていたことが、そもそもの間違いの始まりだったのではないか?と思います。 小学生のころから「人生は苦悩なり」と権威をもって教え込まれるのではなく、夢や希望や「わくわくすること」を追いかけてがんばり、その夢をつかむよう教えられるべきだったのでは?と思います。 小中学校時代、その新興宗教の夏季合宿に必ず参加させられていました。 中学に進学したとき無意識に友達の前で「あ~死にたい!」と口にして嫌われました。そのころそんなことを言う子は一人もいませんでした。 高校時代は「自分は不幸だ」と友達に告げて「じゃあ、なぜ自殺しないのか?」と問われました。 大学時代、変な宗教に強引に勧誘され「早く過ぎ去れ、青春よ~!」という歌を歌わされました。 大学卒業後は自殺未遂をして精神科に入院することになり、絶望のどん底でした。 3年後、父の死をきっかけに退院して新聞配達や肖像画制作をしてがんばり、登山までするようになったのですが、15年ほどで体力が衰え、失職してひきこもりになり、医師の診断通り「統合失調症」ということを受け入れざるを得なくなりました。幻覚も妄想もない統合失調症患者もいるということですが、私もそのひとりなのだと思います。 症状は「疲れやすさ」「意欲の低下」「睡眠障害」の3つです。 神への信仰、医療に頼っていますが、仏教文化も私には必要で、多くの影響を色濃く受けています。「般若心経」「観音経」「白隠禅師和讃」を仏前であげることもあります。CD集『ひろさちやの感動するお経』全8巻も繰り返し聴いています。 障害年金で暮らし、身近に相談相手もいない私は母亡き後果たして生きて行けるのか心配と不安で夜も眠れないほど悩んでいます。

有り難し有り難し 15
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