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嘘つく癖は治らないのでしょうか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 79

3度目の相談になります。よろしくお願いします。

前回と同じで旦那の事です。

旦那が嘘つきで信用できなくなり、体調悪いのは旦那なのかと。
今回もまた旦那に嘘をつかれました。
最近は知らない会社から融資の手紙が旦那宛てにきます。本人は知らない、それしか言いません。

結婚した時から旦那はおこづかいはいらない、お弁当、水筒を持っててるのでお金を使う必要がない。それなので、そのぶんは貯金に回しています。
ですが日曜日出勤の時は日払いで貰っている事を知りました。私に内緒で口座も作っていました。

旦那はお金を貯めるためだ。としか言いません。ですが、現実はサラ金らしいとこから手紙がきてるから振り込み先にするため?に作ったのかと疑っています。

旦那はもう嘘つかない、なんでも話すから許してほしいと。
私はもうこりごり。毎日毎日、旦那を疑ってみる自分がイヤになります。

ケンカになり家を追い出して3日になります。

子供と2人でゆっくりできます。
このままの生活を送りたいと思っている自分と、もしかしたら旦那は変わってくれるかもしれない。

どうしたらいいでしょうか?
男の人は嘘つく生き物なのですか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

男の立場では、、、

もえさん、はじめまして。
僧侶というより、男性の立場で答えてみます。

人は自由に使えるお金が無ければ、嘘をついても借金しても、ある程度のお金を持とうと思うものです。
このような状況では、嘘ですんでいるのならマシだと思います。
本来なら、旦那さんが最初から、「小遣いをくれ」と言うべきだと思います。
>結婚した時から旦那はおこづかいはいらない、お弁当、水筒を持っててるのでお金を使う必要がない。
>それなので、そのぶんは貯金に回しています。
>ですが日曜日出勤の時は日払いで貰っている事を知りました。私に内緒で口座も作っていました。

それから、おそらく旦那さんは、子供の頃から、
嘘をついて問題を回避する生き方をしてきたのではないでしょうか?
厳しすぎる親を持つと、子供は嘘をついて、その場から逃げる様な生き方を学ぶものです。
普通は、大人になる過程で、それは自分にとっても良くないと学びますが、
何らかの原因で、それが学べず、おとなになっても嘘で問題を回避する人がいます。
旦那さんの生い立ち、旦那さんの両親について、理解を深めてみてはどうでしょうか。

もしかしたら、もえさんが旦那さんの両親に似ているかもしれません。
そしたら、恐ろしいことに、
旦那さんと旦那さんの両親の関係は、
旦那さんともえさんに引き継がれ、
さらに
もえさんと、もえさんのお子さんに引き継がれる事があります。
これを解決するには、
まず、旦那さんともえさんの関係、
旦那さんと旦那さんの両親の関係を理解することです。
本当の原因が理解できれば、回避することが出来ます。

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有り難し
おきもち

45歳 独身 銭湯通い 浄土真宗の僧侶だけど、「中観派です」って言ってみたい。 最近は、一日一冊の本を読むようにしている。 毎日本を読んで分ったことは、 「本は高い(お金が無くなる)」です。 ※写真は五年前です。

「嘘つきは泥棒の始まり」

もえ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「嘘つきは泥棒の始まり」と申しますが、「嘘」を簡単につくようになると、様々な悪い行いも簡単にするようになるということから、このような古事にて昔から良く言われており、「嘘」は戒められることとなります。

もちろん、仏教においても十善戒、あるいは五戒の一つとして「不妄語戒」が定められております。嘘をつくことは、悪業となるため誠に注意が必要でございます。

たまに、「嘘も方便」ということで、言い訳気味に有益な「嘘」を肯定しようとすることもありますが、これは間違いであり、あくまでもお釈迦様や如来が悟りの境地から巧みに衆生を導くために説かれる教えの意味での「方便」の内容には、例え比喩的なものがあったとしても、「嘘」は絶対にあり得ません。まだ悟りの智慧も備わっていない凡夫が分かったかのように用いるような方便とは雲泥の差があることを理解しておく必要があります。

もえ様の旦那様が、隠れてお金を貯めていることが、もしも、有益なこと、例えば、もえ様やお子様の将来のため、サプライズのプレゼントのためであったとしても、現に、旦那様は「嘘」をついていることで、もえ様から疑いを掛けられ、喧嘩し、挙句に家を追い出されてという悪い結果に陥ってしまっています。更には、家庭崩壊、裁判、離婚となれば、旦那様にとっても目も当てられない悪い結果になるのは明らかでございます。

ここは、正直に、誠実に旦那様に話してもらえるようにしていかないと、現実に生活を抱えているもえ様、子ども様の将来のためにもならないのも確かでございます。

夫婦同士だけではどうしても感情的になってしまうので、どちらかのご両親や兄弟姉妹など身内の第三者も交えての話し合いによっての解決を目指すようにして、できるだけお互いに隠し事の無いようにしていくことが望ましいのではないかと存じております。

「男の人は嘘つく生き物なのですか?」・・ということにつきましては、世の中には、もちろん正直で、誠実な男の人もおりますので、一概に決め付けての偏見はあまり宜しくないのではないかと存じております。

とにかく、旦那様に猛省を促して、嘘は例えどんな理由があれども必ず悪い結果になることを知らしめて、仲直りして頂き、夫婦円満にてどうか温かい家庭を築いていって下さいませ。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

ウソは何かのサイン

あなたが知らずの内に旦那を怖がらせていることも原因の一つかもしれないですね。
男性にとって、女性からの暴力とは言わないまでも暴圧に感じることがあります。
・不機嫌
・怒る事
・暗い表情
・無言のプレッシャー
・会話が「でも」「だけど」「怒る&不機嫌」で続かない
・自分と子供にしか目がいかない
・つかれたため息
文章の印象からして、怒っているなぁ、と感じました。
簡単に言うと、お互い話し上手になるってことです。
話し上手になるためには、自分の話、意見、主張ばかりではだめ。話すにしてもやさしく、愛をもって。誰でもみんな話が下手です。夫婦は何度もケンカもしながら、上達する楽しさがあります。相手が話している時は完全に聞き入れ受け止め、でもも、しかしも、BUTもいわない。
夫としては、
「オレの、俺の、おれの、話を聴け~」
と、イイタイ所ですが、
「オレの、僕の…、私の、ワタクシめの…くだらない話なのですが…」
「くだらない話なら言わないで」
「…ハイ…シュン…」
あなたに隠し事をするということ自体、あなたを恐れている節もあると思います。
・相手は変えられないのだから、自分からグッド・ワイフになってみる。
・あなたが相手に求めるのではなく、与えてみる。
・相手が望むものを聞いてみる
これは「自分のことしか考えていない人」には反発する内容にしました。
あなたの深層心理がすでに答えを出しています。
もし、自分の事が優先モードになっていたら、そのスイッチを定期的に切り替えることですね。あなたが夫にしてあげて喜ばれることをなされた方が良いと思います。
失礼いたしました、女王様、ヒヒーン。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ