芸術家になれないなら死にたいです
3歳の頃からピアノを習っていました。その頃からいつだって私の一番は音楽でした。
しかし、同じ時から「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから(私はそうではないから)」と自分と家族に言い続けていました。ピアノ教室にはその後十数年間は通いましたがプロを目指そうとしたことはありませんでした。どういう理由でそんなことを言い始めたのか自分でもわかりません。ただ時々、音楽家になれない自分の苦しみを家族のせいにしたくなった時は、「幼いながらに家庭の経済事情を慮ったからではないか」と考えます。
映画と美術品と文学も好きです。そして、それらを創作する人々にどうしようもなく憧れています。
この質問のタイトルの「芸術家」について、「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」と私なりに定義してこの名称を使いました。私はそのような人ではありません。今は大学の勉強、卒業すれば(今のままならおそらく)会社勤めを中心とした生活を送り、趣味で芸術に触るだけの人になるのでしょう。
「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから」という呪いを無意識に自分にかけ続けてきた。それが呪いだということにも今更気がついて、残っているのは後悔だけ。
そして現在は、「音楽だけでは食べてはいけていない人」を見つけては自分を慰めています。自分からその人たち世界に飛び込むこともしない。私は醜いです。
音楽を、映画・美術・文学に置き換えても同じです。毎日、毎分毎秒、芸術を追いかけて、新たな芸術に出会うたびにそれを愛して、同時に「自分には創り出せる代物じゃない」と泣き喚く。
悲しくて悔しくて恥ずかしくて苦しいです。しかし芸術への執着に折り合いをつけたい訳でもありません。
ただ、こんな無様でみっともない人生ならさっさと幕を下ろしたいです。
この質問を書き込んで、これからも芸術を一番に愛します。芸術家になりたいなりたい、なれないなれないとどうしようもない事柄を嘆き続けます。自殺に失敗するようなリスクは取れない臆病者のまま生きていきます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一つの提案として。
Blue Monday さん 相談ありがとうございます。
「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」=音楽だけで食べていける人
というくくりになっていますが、
「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」は、会社勤めでは、それが出来ないことなのでしょうか?
確かに、時間的、物理的な制約はあるかもしれません。
しかし、あなたの精神は、そして奥にある無意識は
「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」という状態が可能ではないかという事です。
会社の中で、あるいはどのような社会の中で、あなたがどう生活するかわかりませんが
どう、自分を表現していくかは、あなた次第です。
会社の中で、「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」として自己表現するとしたら、どうしたらいい?
確かに会社の中で新人としている間は、表現が難しいかもしれません。でもその創作の精神をもってすれば、やがて上司もうならせる、パフォーマンスが発揮できるのではないですか!!
だから、あなた自身をどう表現したい?
創作家、芸術家として普段の言動をどうしたらいい?
ワクワク感が止まらないあなた自身の表現を、
やがて就職する会社でも、あなたのコミュ二ティーでも発揮するとしたらどうしたらいい?
そのことを考えて、行動してみては如何でしょうか?
もしかしたらおそらく、会社に勤めても、何かの芸術家として独立しているかもしれません。
あなたにはそれが出来る可能性が充分にあると私は思います。
あなたがあなた自身であるために!!
お読みいただきありがとうございました。
一礼
私にとって芸術とは
拝読させて頂きました。
「芸術」について私がとやかく申し上げるのもいかがかな?とは思いますが、できればお伝えしたいと思い記載させて頂きます。あくまで私の持論ですからどうか気になさらないで下さいね。
人が生きていくには仕事していかなければなりませんがその生きていくことそのものが「芸術活動や創作活動の根幹」だと私は思ってます。
人が生きていくことそのものが尊いことで価値のあることです。それを表現しているのが芸術ですし、表現する活動です。
その次元で考えるならば「そのことで食べていくこと」は低い次元です。
「そのことで食べていけるから」は芸術ではありません。
逆にどんなに高いレベルの技術や能力や才能があってもそこにこころや魂の声や息吹や賭けた命が表現されているから尊いのです。人を感動させられるのです。
己の可能性を求めて高い次元や高い技術を目指して精進していくことは本当に尊いことです。尊敬や敬意を表するべきことです、価値のあることです。
とはいえ「食べていけるだけの地位を築くこと生活していけるだけのポジションを得ること」が芸術活動の真の目的とは違うのではないでしょうか?
今も昔も世には無名の素晴らしい芸術家は沢山います。本当の芸術を志す人は人の評価や地位など二の次なのです。
本当にあなたが心の底から芸術を愛するならば死に物狂いで必死に生き抜いて下さい、あなたの生き様で人を感動させる表現をなさって下さい。
「芸術とは人を感動させることです。心を揺さぶることです。芸術とはいのちそのものなのです。」
どうか芸術を心底愛してあなたの生き様で表現して下さいね。
あなたが本当に芸術を愛するならば、芸術を見極めるならば「食べていけるレベル」という呪縛をすっきりと棄てて下さいね。
これからその先の地平には本当に素晴らしい芸術つまりあなたにとっての生きることの意味や目的の真意を見ることができますし、目指すことができるはずです。
今からどうかしっかりとあなた自身の生命をかけて生き抜いて人を感動させて下さいね、私達を感動させて下さいね、そして己自身も感動させて下さいね。
あなたならば必ずできるのですから。
あなたを心から応援させて頂きます。
ゴッホは死後に評価された
質問者からのお礼
願誉浄史様、Kousyo Kuuyo Azuma様、釋 孝修様、ご回答ありがとうございました。お礼が遅くなってしまって申し訳ございません。願誉浄史様、Kousyo Kuuyo Azuma様、釋 孝修様からの回答を頂いたことで、自分の人生にも、愛すべき芸術にも、大切に向き合おうと思えました。