臓器移植の募金
初めまして、シホと申します。
以後、お見知り置きを。
臓器移植の募金行為でご相談です。
私はいじめられた経験から、命の大切さを学びました。
さらに、大好きだった祖父母も亡くなり、姪が生まれた時に大切な人たちを失う苦しみ、命の喜びなどを知りました。
1人でも命を救いたいなどという理由で少額ですが、募金しています。
今年、街頭で臓器移植の募金を行われていたので募金しました。
その子が無事に目標額になったと記者会見で知りました。
記者会見を拝見して、『良かった』と思いました。
ですが、ある掲示板でその子の臓器移植・募金に対して書き込みがありました。
拝見すると目を疑いたくなるような 内容でした。
以下が私が拝見した内容です。
・『心臓病と闘う子はほかにもいる。不平等』
・『もっと多くの子を救うための行動を起こすべき。これでは、なんの解決にもならない』
・『デポジット代(医療費)はそれは実質、移植を待つ患者の列に割り込んで、順番を抜かすための金だ。寄付した人は犯罪者集団』
・『その子を助けたいがために他人の命を蹴落とした。命の選別した』
・『「誰かを助けようとする行為」が他の人にとってはとてつもない悪意になる場合があるんだよ。自分が善意のつもりの行為が巡り巡ってとてつもない悲劇をおこすことだってあるんだ。それぐらいのこともわからんくらいアホなのか』
などという意見を読んでしまい、ショックを受けています。
自分が行っている事は犯罪行為であり、とてつもない悲劇を起こす悪意なのでしょうか?
そして、命の選別でしょうか?
今はとても、泣きたくなるくらい悲しくて、苦しいです。
自分でももう、良かったのかわからなくなっています。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ある詩を贈ります。
【 若者 と ヒトデ 】
ある朝、
老人が海岸を歩いていました。
引き潮の浜辺は、
波にさらわれ打ち上げられた
何千ものヒトデでいっぱいでした。
老人はそれらを踏まないように
注意深く歩きましたが、
それらはまだ生きているように見えました。
「陽が上がれば死んでしまうが、
海に戻せば生きられるだろう」
と考えましたが、
「全てを救うのは無理だ・・・」
と、何もせず歩き続けました。
ほどなく同じ海岸で
一人の少年に出くわしました。
その少年はヒトデを一つまた一つと取り上げ、
一心不乱に海に投げ返しています。
「何をしているの?」
と老人は尋ねました。
「ヒトデを助けているんだよ」
と少年は答えました。
「なぜそんな無駄なことをするの?
こんなに多いんだから全部は無理だよ。
それなら意味がないよ」
と老人が言いました。
少年はためらうことなくまたヒトデを取り上げ、
「でも、このヒトデには意味があることだよ」
と言いながら、
それを海に投げ入れました。
あなたは悪くないのでは
そのインターネットの書き込みが事実だったとしても、あなたはそれを知らずに善意で募金したのだから、あなたは悪くありません。
それに、法律違反をしたわけではないでしょう。
お金を出して順番に割り込める制度が制度としてあるのだとしたら、制度を使う権利は誰にでもあるわけで、私は、募金集めをした関係者の努力が勝ったのだと思います。
質問者からのお礼
お礼が遅くなって申しわけありません。
個別に返信を書かせていただきました。
以下が返信内容です。
願誉浄史様
ご回答をありがとうございました。
そうですね、法律違反していないのに…責められる理由がわからず、ずっと悩んでいました。
こんな事で悩んでいるなんて、お恥ずかしいですね。
願誉浄史様が仰るとおり、募金を集めるって、相当な苦労だという事がわかっています。
私も募金活動をした時にいい事をいう人もいれば、嫌な事をいう人もいました。
嫌な事を言われたとき、無視していましたが…でも、心の底ではその人たちの言葉に振り回されていたのかもしれません。
努力が勝ったのなら、堂々としていなければいけませんね。
本当にありがとうございました。
気持ちが楽になりました。
和田 隆恩様
ご回答をありがとうございました。
詩を拝読させていただきましたが、素敵な詩です。
そうですね、命の大切さに触れる機会が少ないからこそ、老人のような考えを持つ人はいますね。
でも、私は少年と同じ思いです。
だからこそ、どんな命だろうと助けたいという気持ちはあります。
目の前で命が消える辛さはもう、嫌ですから。
他人の言葉に振り回されることなく、助けられる命があるのなら、努力してみます。
本当にありがとうございました。