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主人が浮気しました

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3人の子どもを持つ母です。主人が会社の上司の、女の方(既婚者)と浮気をしました。肉体関係は無い、けど腹心の友で、仕事の話がほとんどだからと説明を受けましたが、出張に行ってる時に、このまま駆け落ちしたいとか、ラブラブな会話を私に愛してるからと言いながらしてました。出張から帰ってきた後、消しそびれたものを見てしまいました。
浮気が発覚したのは出張の2週間前で、その時相手の方とも話をして、もうやめてくださいと納得してくれたと思ってたので、ショックで仕方ありません。その後も、彼女に会ってるのがわかったり、私が寝てからラインで、話してたりという事が続き私も正直参ってます。必ず終わらせるからとは言いつつダラダラ今に至り発覚から2ヶ月が経ってます。浮気をはじめて、約1年が経ってると思います。
私には、待ってて、大丈夫、ここは俺の場所だから家族が大事だから必ず帰るから、とだけ、絶対に捨てないからって。でも、仕事はほぼ毎日終電で帰ってきてるし、何をどう信じて良いのか分かりません。
実際発覚する前は定時で上がり彼女と週3回位は飲んでいたみたいです。なのに信じろって、自分勝手にもほどがあります。
この先待っていても私は捨てられずに妻のままで居られるのか不安で、自分を痛めつける毎日です。主人のことは大好きで、結婚して、やんちゃだけど、可愛い子供達が居ます。この子達の為にも、別れないで頑張ろうと思っていますが、最近心に余裕が無いのが現実です。
遺書も書いて死のうと思った事もありますが、子どもたち残してはダメだよねって、自分に言い聞かせてます。その代わりに主人が帰ってくるまで自傷行為が止まらず、腫れ上がるまで足を殴ったりタバコで腕を焼いたりしてしまったり、夜ねれなかったりと、助けてください。心が限界に近づいてます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

妻は母親になりすぎず、恋人で居た方がイイ場合もあります 

あなたは多分ご主人とコミュニケーションをとらない、とれない、とるのが苦手、取るのを恐れている、とらないようにしている、と感じました。
ご相談の内容からも、SOSsン号は発していながらも、一番肝心な「お話合い」が全然ないことが問題に感じます。
その浮気相手との自然消滅を待つより、その浮気相手のご両親に訴えかけることです。
相手にも弱点があるはずです。
相手の職場、両親、子供を守るのもあなたの仕事。
旦那を取り換えるのもあなたはできる限りのことをするべきです。
愛しているならばこそ、浮気相手にイイ人ぶって持ってかれてもたまったもんじゃありませんよね。
相手に行っても変わりません。
相手の夫、家族、ご両親に連絡を取るために、彼女にあって携帯を取り上げてでも、相手のご両親などに訴えかけることです。
浮気が本気になる前に、あなたも本気にならなければいけません。
ご主人を浮気に走らせてしまったのはもちろんご主人も悪いですが、あなたもご主人の寂しさを埋めてあげなかった分もあると思います。
不倫はどう正当化しても悪いものです。
あえて謝ってみてください。
ご主人もあなたが怒っていることで帰って来づらいと思っていると思います。
夫が安心して帰って来れる環境(あなたがゆるす、あなたがウェルカム、性格の改善)さえ整えば、ご主人はちゃんと帰ってきてくれるでしょう。
あなたは母親になってしまった。恋人であることを忘れてはいけません。
ご主人が求めている存在は恋人です。
あなたが母親兼ご主人の恋人にならなければ、ご主人は冷めてしまうタイプなのでしょう。
ご主人は自己中心的な性格です。
自分が望むものに忠実です。
あなたがそこを察して、もう一度恋人になってあげてください。
夫婦は恋人で。
親子は友達が理想的だと思います。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

返答ありがとうございます。主人が浮気を始めた頃私も忙しく、相手にしていなかったのだと思います。まだ続いていたとしても、これからは帰りたくなる家を作りたいなぁと。
ここが家だから私のことは愛してると言ってる主人を少し信じて、責めるのはやめようと思います。
ただ、今後、浮気相手の影が見えてきたら直接連絡をして、しかるべき対応をする話をしたいと思います。
ほんとうにありがとうございましたm(__)m頑張ります!

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