心の整理をつけるにはどうすればよいでしょうか
先日この場所を知り始めて質問をしました。
1つ回答をいただけたことで少しだけ心が軽くなった気がしました。
また一つ心を軽くできればと質問をさせていただけたらと思います(これも1つの煩悩なのでしょうか)
去年、小学校からの友人の訃報が届きました。私にとっては親友と言える友人でしたがこの20年はお互い環境も変わり年に1度年賀状を送り合い数年に一度メールか電話をするそんな繋がりでした。訃報は友人の奥様から手紙で知らされたため詳しい事はわかりませんでした。
訃報を知り半年以上がたちますが、普段は心に無くても、ふと、心に上がってきて辛く悲しくなる時があります。
いつ、どこで、何が原因で亡くなったのか、どこにお参りに行けばいいのかもわかりません。無くなった友人の知り合いには伝が無く、奥様とも直接の面識はありません。またそのような状況で悲しまれているだろう奥様に聞くのも躊躇ってしまっています。
どのようにして心の整理をつければ良いのでしょうか、詳しい事を訪ねる手紙を送っても良いものなのでしょうか。
話が少しずれてしまいますが、20年ほど昔に良くしてくださっていた叔父を亡くし、10年程前には父が亡くなりました、どちらも未だに思い出し悲しくなる事があります。
叔父、父、そして今回の友人それぞれ夢に出てきた事があります、言葉を交わせたことはありませんがどの夢の時も穏やかな状況で逢えていたので叔父も父も友人も向こうで安らかであってくれればと願っています。
取り留めの無い文になってしまいました、よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
手を合わせ仏法を聞いていくというのも、死を受け越えていく道。
親しい人が亡くなるのは、本当に寂しく悲しいですね。
何かあるたびに、その悲しみは、記憶と共に思い出されるでしょう。(記念日悲嘆とも言います)思い出の場や、交わした言葉、ご命日や お盆やお彼岸、生きていく中で 様々な事柄によって、縁あった人を思い出し、懐かしんだり 時には涙を流したり会いたいと、心を揺らしていきます。
生きるということ、残されていくということも、苦しみなのですよね。
そのために、手を合わせていく、仏法を聞いていくというのも、死を受け越えていく道であります。
私たち僧侶も、多くの臨終に接します。
そのたびに、手を合わせ、仏様のお救いに支えられています。
あなたが、どのようにお参りすればと思っておいでなら。
自分の宗旨の仏様を、大切に。
あなたの気持ちを丸ごとに受け止めてくださるのですから。
ご自宅のお仏壇や、お手次のお寺様や、また宗旨のご本山へお参りなさってください。
亡き人の宗旨が違うと思われるでしょうが、亡き人は葬儀を終え 仏になってくださっているのですから、その方のと考えなくても、今のあなたの気持ちを支えてくださるご本尊様へ手を合わせ お念仏いたしましょう。
きっと、あなたの想いが、亡き人へ届けられますよ。
もうすぐ、お盆ですね。
共にお念仏申しましょう。 合掌
お友達の奥さんにお尋ねください
28歳独身の男性が亡くなったことが二回もありました。もちろんどちらもとても辛いお葬式でした。が、二人ともとてもお友達が多く、かなり年月が経ってもお墓にはご両親が知らない間にお花はお線香が供えられているそうです。ご両親はそのことに慰められています。
その方の奥様は、ご主人を大切な親友と思い、お参りしたいとお考えになっている人がいてくれることを嬉しいとも救いともお考えになるはずです。自分の夫を慕ってくれる人がいることを嬉しく思わない奥さんっているでしょうか。奥さんに連絡をお取りになることは、何も問題がないことと思います。
御父上や叔父様のことを思い出し悲しい思いになられるのは、私も同じことです。両親を比較的早くに亡くし、叔父を数年前に亡くしました。ただ、私の宗旨、浄土真宗では阿弥陀如来のお導きで覚りの世界(浄土といいます)に行き生まれると考えますので、この教えが大きな救いになっています。どうしているかなぁ、死後の世界で苦しんでいるのはないか、などの疑問が起こりませんので。あなたの御父上や叔父様、そして、お友達もご心配には及びません。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
自分の胸のうちを明かす場がある事、それに答えてくださる方がいることにとてもありがたく感じています。
また少し心が軽くなったように思います。