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生まれたくて生まれたわけでもないのに、つらいことが多いです。

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有り難し有り難し 17

お世話になっております。これまでも色々とアドバイスを頂きました。ありがとうございました。
恋愛や結婚はすっかり諦めましたが、気持ちも漸く落ち着いてきました。

最近、思うことがあり仏教的にはどのような考えがあるのかを伺いたくアドバイスを頂けないでしょうか?
私はおかげさまで44歳になり、人生も折り返し地点を過ぎたかなと思って降ります。もちろん、いつ自分が死ぬのかなど分からず明日死ぬかもしれません。ただ、人生なかなか苦しくつらいことも多いです。今は自分が喜びを持てることになるべく時間をかけるようにして、つらいこととのバランスを取るようにしています。

残念ながらこの世に生まれてきて良かった思えることは少なく、父親と祖父が憎しみ会い、父親は私を憎みました。母親も私への関心は薄かったと思います。両親を愛をきちんと受けることが出来れば、私の人生もどんなに明るかっただろうと思います。正直、子供を憎むくらいであれば、私なんか作らないでほしかったです。一時期結婚したくて悩みましたが、出来ませんでした。私も人を愛することが出来ないのだろうなと思いました。子供もほしいと思ったことはありません。

それでも、これから先生きていこうとは思います。今の関心事は自分が孤独死した後の遺体の処理はどのようにしてもらえばいいのだろうと言うことです。おかしな死に方をすれば迷惑をかけてしまいますので、せめてきちんと健康管理して生きようと思います。

仏教では、私のような悩みに対してどのように仰るでしょうか?もっと苦しい人もたくさんいるから、おまえはまだ幸せだ、でしょうか?最近思うのですが、身近により幸せそうな人がいるのが人間にとってはより苦しいと思います。ので、自分はまだマシというのは受け入れがたいです。

実際には幸せでいっぱいな人などそれほど多いと思えません。みんな何かしらの不幸を抱えながらこの世で生きている。しかも、自分の意志でこの世に出てきたわけでもありません。
これを無情というのかどうかは分かりませんが、みんなが抱く虚しさに仏様はどのように仰いますか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人と比べても仕方が無い

幸せを実感したい時に、人はどうしても誰かと比較してしまいます。
そうするのが一番手っ取り早いし、シンプルに納得しやすいからでしょう。

でも、私の幸せは私が感じるもの、私が幸せだと思うものが、必ずしも周囲の人と共通するとは限らない。
他人の感じ方は私と違うし、そもそも比べようが無いものなんですよね。

私自身も、生まれ育った環境や境遇に関して言えば、結構不幸です(笑)
不幸自慢大会を開けば、けっこう上位に入るのではと思います。
でも、幸せは自分が感じるもの、生い立ちも育った環境も一切関係ないと思っています。

仏教のことばでは無いのですが、私は「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が好きです。
置かれた場所は選べない、自分に出来ることは、そこでどう生きるか、ただそれだけ。
かないさんもこれまで色々と辛いことがあって、そう簡単には前向きになれないかもしれません、しかし、大切なのは今この瞬間、私はどう生きるか。なのでは。

手元にある不幸の数を数えながら、誰かを、何かを怨みながら生きるか。
手元にある「よかった」を数えながら、感謝の心を持って生きるか。
決めるのは自分、父親も祖父も関係ないよ。

本当に幸せになりたいのなら、まずは自分を捨てなさい。
自分の思いもプライドも損得勘定も全部、傍らに置いておきなさい。
そうして、自分以外の誰かのためにはたらきなさい。
できるかな?

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有り難し
おきもち

様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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質問者からのお礼

林様

お返事を頂いてからお礼を書くまで2年を以上を要してしまいました。お無礼をお許しください。

もうすぐ47歳になりますが、こちらにたくさんの書き込みをさせて頂いた特に比べて少し精神的に成長してきたのではないか?と感じます。もともと、結婚できない(今も独身のままですが)ことで悩んで来ました。仰るとおり他者と自身の比較をし続けてきました。ですが、最近は不思議と他人とあまり比較しなくなってきました。理由は分かりません。

会社で失敗した時には自分を責めて、謝罪することを懸命にしていたのを覚えています。今はこれが"つまらない"プライドだったのではないかと思います。そして、今はあまり自分を責めなくなり、それより一時の謝罪よりも失敗をかみしめて時間をかけて同じ事を繰り返さないためにはどうするか?という事を考えるようになりました。人に非難されることもあまり気にしなくなりました。非難している人も、その人自身も今、別の問題を抱えているかもしれないし、失敗しながらも踏ん張っているかもしれないと思うからです。

うまく表現できませんが、良い意味で今自分自身に感心があり、結婚できているかどうかとかは小さいことで、自分に磨きをかけ続けることが大事なのではないか?と今は思えています。

アドバイスをありがとうございました。「自分の置かれた場所で咲きなさい」を実践してみます。自分の置かれた場所には機会もたくさんあることに気づきつつあります。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ