親とは
タイトルどうりなんですが、子供にとって親とはどうあるべきなのか悩みます。
道しるべ、正しい道を教えてあげる存在、一番の理解者、そっと見守る…正しいものなんてないのだろうと思います。全部正解で全部違うのかな。と、思います
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
親と子供は同い年、違いは・・・
あなたはなぜ親になれたのですか?
答えは簡単です。子供が生まれてきてくれたから、ですね。
私には娘がいます。もうすぐ1歳です。
私は、親になってもうすぐ1歳です。
ですから同い年です。
わからないことだらけです(笑)きっと娘も戸惑っていることでしょう。
娘との違いは何か。経験です。
でもこの経験は娘がもう少し大きくなるまで役に立つことも伝えることもできなさそうです。
片意地張らずに共に歩む、それでいいんじゃないですか?
私はこんな両親で育ちました
七人の子供を産んで生活苦笑顔絶やさぬ母でした
病身の父はアル中家中が修羅場なれども反面教師
父は荒れ母の苦労を見て育つ愚痴など言わぬ母を支えて
良き父の一面も知り荒れ騒ぐ父の悲痛をわがものとして生く
荒れる父見つつ育って将来のあるべき老いの自分を思う
悩まない子供を育てる
親とは、大人でなければならない。
仏教では大人をダイニンと言います。
つまり真実がわかる、悟った人です。
正しい、間違っているという、価値観はすべて人間が考え作り上げたこと。一般的にとか、普通ならという周りの目を意識したものもすべて、人が作り上げたことに過ぎない。
善悪なんて元々ない。そこに人が自分勝手な価値観を付け足しているのです。
庭にある木を見ても、「木」なんて名前がないその前の状況があったはず。そこに人が勝手に名前をつけたのです。色もそうです。赤だの茶いろだのそんななまえがつくまえから、そのものがそのように、ただあるだけ。
事実とはそういうものです。
考えはあくまで考え。事実ではないのです。
あなたがお気付きのように、大人は事実に徹して生きる救いの道をしめし、慈悲の心を子供に持たせることができるよう導く存在でなければならないでしょう。
一般的なルールは教えなければいけませんが、それが事実とは違うものであることも知らなくてはなりません。
答えは目の前にある!?
はじめまして
私の感じたことをお伝えさせていただきます
私も人の親である身
この質問はときおり考えることがあります
こういう存在でありたい
こういう親は嫌だ
いろいろ出てきますが
親としての方法、正解はないと思っています
常日頃振り返って考えていく
それが大切なのではないかとでしょうか
人それぞれ親の姿があっていいと思います
その答えは目の前にいるお子さんが示してくれています
お子さんを見ながら自分を振り返っていけたらいいですよね
ぜひ一緒に悩んでいきましょう
今回こうして声をあげていただきありがとうございます
ぜひ参考にしていただけたら嬉しいです
合掌
固定しない
こんばんは。「親とは何か」、定義ではなく意味合いをおたずねですね。
まず第一に、回答タイトル「固定しない」ですが、あなたの挙げた「道しるべ、…」以下は全て正しいことがあります。また、違うこともあります。つまりあなたの言うとおりなのですが、
それら一つ一つが「その状況に対して正しいか、否か」は、その状況との関係によります。つまり「常に絶対正しい」ことではないのです。ここから導かれることは「リアルタイムな判断が必要である」ということです。つまり…「必ず良い結果が出る、という保障はない」ということにもなります。
ただし、大雑把に言って、あなたが見落としている視点があります。それは「限界を伝える」ということです。「これ以上はダメだよ」「ここまでね」と言うことは、親が伝えるべき事と考えます。これ、見落としがち&難しい事です。親自身が「どこかで諦めねばならない事がある」と知っていなければならないのです。それを知らないと、モンペ度数が上がります。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございました。
全てにおいてそうだなと思うこと、そうかとわかることがありました。